こんなことがあるとは夢にも思わなかったが、法被を縫った。必要に迫られた何人かが、見本を片手に、ああだこうだ!と談義しながらの作業だった。そして、見事に出来上がった。
こちらに来て、学校で少しの料理はやってみるみたいだが、家庭科教育がないことを知った。まあ、料理は、冷凍食品を電子レンジやオーブンで温めること、イコールというのが文化のアメリカだから当たり前といえば当たり前のことかもしれない。
日本では家庭科教育があった。今もあるのかな?私は家庭科のテストの点数はすこぶる悪かった。おすましの塩分の量は、だし汁の○○%ですか?の、問いには、まさか中学では書けなかったが、高校生のときは、迷わず、お好みで・・・・と書いて、誤答とされた。今でも誤答ではなく、私が正しいと信じているのだが・・・・。テストも男子生徒は技術でテストがなく、女子だけが課せられたことにも反発した。赤点、つまり落第点を取ったこともあった。まさか家庭科で・・・・とは思ったが、クラスの皆が、私が落第するのではないかと心配してくれたことを思い出す。あまりいい思いではない。
しかし、初めて洋裁に触れた時、平らな布が立体的になっていく過程に感動したことも覚えている。しかし、出来そのものは散々だった。
今回、私も含め皆が、縫い物をする知識をきちんと持っていることに驚いた。専門的に勉強したな、この人は・・・・という人も居たことも確かだけど。
遠い記憶が蘇ってくるように、そういえば・・・・と、知識が出てくる感じ。そんな時、同時に先生のことも思い出して・・・・感謝した。
家庭科教育は日本が誇れる教育システムのような気がしてきた。