今日は私の誕生日。
友人と、私たちってきっと薄命よね。ね。だってさ○○だもんねえ。それを聞いていた友人の夫曰く。その歳まで生きてきて、薄命はないだろう・・・・。ふむ・・・・確かに・・・
人生は何年まであるのか分らない。最近の遺伝子の研究では、その人がどういう運命を、背負って生きてくのか有る程度のことはわかるという。何の病気にかかるか、そういった体質になるか・・・・等。すべてではないけど、そこまで分ってしまうという科学の力も恐ろしい。形の無いものに対する畏敬、恐れが、はっきりと見えてくる時代なのかもしれない。
先日、何人かの友人達と話していた。ある友人が、歯の矯正の話をした。それに呼応して、様々に治したい箇所が出てくる。出てくる、出てくる。近眼の手術、鼻の整形しわ取り・・・・等。
自分に備わっていないもの、あるいは不具合で感じるストレスを、治る方法があるなら、治してしまいたい。どっかで理解できるけど、どっかで理解できない自分が居る。
英語の教室で、整形手術をどう思う?という、質問が私に当たってしまった。色々な質問があったのにね・・・・。とっさに、私は自分の顔を完全に気に入っているわけではない。でも、私の顔は、私の兄にそっくりで、家族のヒストリーを持っているから大好きだと、答えた。もちろん手術は必要ないと考えているとも、加えた。
小さい頃、兄が意地悪で、私に、お前だけは川で拾ってきた子だ・・・と言っていた。でも、私はそっくりな兄の顔を見て、もし拾われたなら、兄も同時に拾われたはずだと、幼いながら冷静に考えられていた。顔はヒストリーだからね。
微妙な価値観のずれ、そのものが世代を背負うということなのかも知れない。意固地になることもなく、卑屈になることも無く、美しく人生を重ねて生きたいと思うなあ。
今朝は(日本時間夜)、兄、義姉から おめでとうコールがかかってきた。なんだか嬉しかった。兄の誕生日レースの報告もできていなかったので、報告した。よく走ったねと・・・褒めてもらった。なんだか、いつまでたっても、兄妹関係は変わらない。