どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

思い出

2007-04-14 22:30:11 | 徒然に

海外に駐在する親についてくる子供たちは、その国の言葉を知らずに学校に通い始める。日本で楽しく友達と過ごし、学習もしていたいた環境を一方的に切られて、新しい世界に踏み込んでいく。小さな子供なら遊びの延長でゆっくり言葉を修得していけばいいのだが、中学校以上の高学年になると、学ぶ科目も多く、宿題も多い。また、授業時間も長く、遊びの要素はない。一日わからない言語の中で、授業を受けることは相当のストレスになる。

母親はそれを子供たちの苦悩ととる。そして、何とか助けてあげたいと思いながら、自分にその力がないことを、いやというほど思い知らされる。言葉ができないからだ。

新しく赴任されてこられた家族があると、その母親は子供のことが心配で、かわいそうで、涙、涙、涙。その話を聞きながら、同じ体験をした、母親たちも、何度も思い出しては涙にくれてしまう。

私もこちらに来た当時は、毎日泣いて暮らした。英語ができず、子供たちのために、何もしてあげられない自分を責めに責めた。

最近、新しく来られた、子供さんのことを息子たちと話した。何かあなたたちでできることはない?そのお子さんのことを話す私の声は涙声になるし、つい、あなたたちが来た当時もね・・・・・と、思い出話になる。涙声だ。

すると、息子たちは、そんなに辛かった訳でもないし、ことさら悲しいと、感情的に話すのは止めてくれ・・・・と。

子供たちの中では、思い出は悲惨ではなかった。厳しい体験をしたことは間違いないだろうが、母親が涙にくれて、かわいそうだ・・・などど、思われるのは、真っ平ごめんらしい。唖然としながらも(だって、本当につらそうだったから)、なんだかさわやかな気持ちになる。そんなものなのか・・・・。

一昨年の日本人補習校の卒業式で、赴任当時のつらかった思いを、卒業生代表答辞で述べた女の子がいた。その答辞を聞きながら、私は式場でつい大泣きをしてしまったが、よく考えてみると、当人は涙声にもならず、とってもしっかりした口調だった。

かわいそうだったね・・・・なんて、言葉をかけてもらいたい子供なんていないのかもしれない、とふっと思った。Good Job! アメリカ人なら、こういう言葉を選ぶのかもしれない。

先輩のお母さんたちが、涙にくれる私の話を聞きながら、一年したら、英語が聞けるようになるよ、二年したら、英語でしゃべれるようになるよ、三年したら、お友達を連れてくるようになるよ。・・・と、励ましてくれた。

まったくその通だった。今、息子たちは、本当に楽しく学校生活を送っている。もちらん、日本語もしゃべれる。すごいじゃない!!と、今は、素直にそう思う。

昨日、遊びに来た、私の友人が、あなたはとっても英語が上手になったと褒めてくれた。覚えてる?最初は、筆談してたでしょう。そうだった・・・。

頭のいい彼女は、大きな声をだすことはないの。ただ、ゆっくりしゃべることが、あなたと、話をするコツなのよ。

そうそう、単語と単語の間にスペースを入れてくれて、何よりもピリオドを会話の中に入れてくれると助かるねえ。と、私。

辛くて苦しくても、かわいそうではない。そんなことばが、新鮮なのは、春だからかな。

来週は、私が、新しく来られたお母さんに、その話をゆっくりしようと思っている。おいしいものでも食べながらね。

 

コメント (1)
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