少しずつ別れの仕度を始める。
息子が、弾くショパンの別れの曲が妙に心にしみるではないか。
こちらに来てすぐに、息子たちがお世話になった、ESLの先生(英語が第一言語ではない生徒に英語を教えてくれる先生)が、週末に我が家を尋ねてくれる。
彼女はその後大学院に入り、今は違う州で職を得ている。
もう数少なくなった、先生を知る生徒達と母親でお茶をする。三年ぶり?かな。
当初、英語が得意だと思っていた先生は、なんと日本語にも非常に深い愛情と知識を持っている人だと発見。
彼女の文章は澱みなく、そこはかとない知性と探究心を感じる。そんな彼女と、友人として話せる喜びが私にはある。音楽も共有して楽しんだこともある。
手作りアイスと、和風ステーキでもてなすことにした。ひじきのサラダもあるよ。
週末土曜は、ソロで教会で歌を唄う友人のピアノ伴奏をする。
子育てに忙しいながら、夫の理解を得ながら、音楽を楽しもうとする姿勢にどこか、共感する。応援したくなる。音楽は人生を潤わせる力が確かにある。
彼女が、家族に理解を得ながら、少しずつでも、自分の納得するように・・と言う姿勢は、私を感動させる。私自身もピアノの伴奏をさせてもらえて嬉しい。きっと、これが最初で最後のコラボレーションになるに違いない。
英語を熱心に、ボランティアで教えてくださった、アメリカ人先生がいる。教会というところはすごいところで、人々は奉仕の心で自分の出来ることをする。
彼は毎回資料を揃え、週一回英語を教えてくれた。こちらは休むことも自由だが、教える側はそうはいかない。
いつも頭のさがる 思いで参加していたが言語能力の不足から・・・言い訳だけど・・感謝の気持ちを伝えることさえも疎かにしてきたような気がしていた。
感謝の気持ちを伝え、私が日本へ帰ったら、同じように困っている外国人のお役にたてるようなボランティアをするつもりだと、伝えようと思う。
恩返しって一対一対応ではなく、ベクトルはあらゆる方向を向いていてもいいような気がする。心のなかに思い描く人がいればね。
今日は、訃報が日本から届いた。親戚のかたのご主人が亡くなられたという。突然の訃報だった。準備ができていないし・・・きっと受け入れられないだろうと。。。思う。
いつかは別れが誰との間にもあるものだが、複雑な思いの中にいる。