どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

絵本と個性

2006-09-09 21:21:58 | 徒然に

ここでは、子供達は現地校と日本人補習校に通っている。月~金まで英語での学習、土曜は日本語での学習になる。結構たいへんな作業を、子供たちはさわやかに楽しそうにこなしていく。軟らかい頭脳の能力の高さを見せつけられる思いだ。

日本人学校と補習校は全く違う。補習校は、文部科学省から校長先生が派遣され、あとの先生は現地で採用される。留学している大学院生が多く、先生たちの能力も相当に高い。また、日本では出会えないような先生たちであり、個性的な魅力に満ちていると感じる。

特に高学年、中学、高校生が先生たちから受ける影響は大きい。

今は帰任された前校長先生は様々なアイディアをお持ちだった。漢字検定を受けられるようにしたり、小学校低学年を対象にした、本の読み聞かせも始めた。

その頃、役員をしていた私は、先生の新鮮なアイディアにわくわくした。役員会で、親も漢字検定を受けましょう!!と盛り上がったのに、結果、間に受けて受けたのは私ひとりだった。えええええ????と、思ったけど、失うもののない、母親は強い。こうなったら、最初の二級合格者(海外では二級までしか受けられない)になってやると、はりきり、達成した。校長先生は補習校便りにそのことを書いてくださった。結構美しい信頼関係が成り立ったと私は信じている。へへへ。

今期、その頃、立ち上がって軌道に乗りかけた、本の読み聞かせが、無くなるのではないかと、危惧していた。校長先生が変わると、学校は一変するから・・・。まだかまだかと、ボランティアの募集を待った。読み手が集まらないと、凹んでしまうから、ナイナイに根回しもした。しかし、肝心の募集が来ない。

二学期になって、やっと、募集が来た。新しい先生もいろいろと迷われたようだが、今までの読みきかせを知っている、先生たちからも、魅力的でしたと、追い風をおくってもらったようだった。

わたしは音読は得意だったが、子供達を前に本を読むような職業ではなかったし、正直言って、自分の子供を持つまでは、小さい子は苦手だった。

前にラジオでどこかの大學の先生が、子供達の前で夫婦喧嘩を容認することを言われていた。まあ、程度問題だろうが、子供達にとって、家庭は社会の最小単位だから、意見には違いがあること、またそれを尊重し合うことの大切さを学べることになるという。

読み聞かせの上手下手は、実はある。幼稚園の先生をしていたお母さんの話など、こちらも引き込まれて、もっと読んで!!といいたくなる。でもね。下手でも、子供達は聞いてくれる。一方通行の読み方にならない限り、結構誠意を感じる聞き方をしてくれる。読み方の違いを、個性として捉えてもらえているのかもしれないと、思う。感覚的にだが・・・・。

自分の子供に直接関わらなくても、意識して作り上げていく必要のあるものがあると思う。絵本、紙芝居・・・日本人が作り上げてきた、深い文化であることは間違いない。今の時代、意識しないと、無くしてしまうものがたくさんあるような気がしている。

 

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亜流の知識

2006-09-08 22:09:42 | しらんぷりしよう

本流から外れることを亜流というが・・・・私は、亜流に流れやすい。

本流をやらなければならないと思うと、思うだけ、亜流の魅力に取り付かれてしまう。簡単な話、試験の最中に、なんだか小説が読みたくなって、読んでしまい、散々な試験結果をもらってしまったというような、こと。(読むからね。最中に私は。)

いまだに、やばい!!試験の準備をしていない!って夢を見るから、余程思いは強い。後悔の念ではあるが・・・・。

全米オープンテニスを見ていてのこと。シード2のナダルが負けるという番狂わせが起こった。勝ったのは、ユージニィ(Youzhny)という、精悍な印象を受ける選手だった。

しかし、彼についての知識を誰もが持っていなかった。どこの国の人?何歳?http://www.usopen.org/en_US/news/articles/2006-09-07/200609071157673340031.html

試合後のインタビューを聞いていて、私は彼はロシア人ではないだろうかと予想した。彼の英語の訛がロシア人の訛のような気がしたから。ロシアではないにしても、北欧文化圏の人だと確信する。発音をする際に、やたら巻き舌を使うクセがあるようなきがしたから・・・。

早速ネットで調べる。大当たり!!

日本人が喋る英語がジャパニースイングリッシュだとはよく言われるが、他の国の人にも結構訛がある。韓国人、中国人、スパニッシュ、ロシア系、・・・・。結構、その人がどこから来たのかワカッテしまう。

だから、私の性格では、本流の英語よりも、こういう亜流の方が、副産物として身についてしまう。喜んでいいはすはないのだが、当たっていて嬉しかった。

ついでに、歳まで当ててしまった。24歳。ナダルにはない、精神的な落ち着きを感じたからね。

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迷惑電話

2006-09-08 02:40:30 | うるるん

はっきりいって、電話でセールスをされるのは困る。人の都合も考えないで。。。と、日本に居る時も頭にきていた。

忙しいとき、病気の時。。。。電話には出る。大事な要件だったらと思うからね。老いた両親のことも心配だったし、子供たちが怪我をしているかもしれないと、思ったから。

そういう仕事もあるのかもしれないが、こちらの興味関心にかかわり無く売り込まれるセールスにはがっかりする。おかあさん、期末試験の結果をよくする方法を教えましょう・・・・と言われた日は、余計なお世話だと切れた。私は、教育学部を大学院まで出た専門家だと張ったりを食らわし、どこのだれか知らない人に立ち入った話をされたくないと文句を言った。全く常識を知らないと、心底から腹を立てた。会社の問題だが・・・・・職種を選ぶ必要もあるはずだと思った。相手が大学生だと、そんなバイトはやめなさいと、説教をした。相手も迷惑だったに違いないが・・・電話番号の入手もおかしな方法を使っている場合もあったし・・・・あれは、社会問題のひとつだと、今でも思っている。

こちらにきて、同じように悩みを抱えるとは思っていなかった。来た当初、相手が何を言っているかわからない時は、丁寧に対応しても、相手からバイバイと言われた。

だんだん受け答えも慣れてくると、相手も要件をいうようになった。丁寧に対応してみると、見ず知らずの人間のセールスだと気づくようにもなった。

最近は、相手の出方ひとつでセールだと察知できるようにもなった。と、思ったら、どうも息子にかかってきた電話をつっけんどんに切ってしまったらしい。

それは私ではないと主張したが、変な英語で対応するのは、私以外には考えられないと反論されて・・・・黙った。そのとおりだからなあ。

友達だったらもっと、感じよくかけてきてよ!と、反論もしたくなる。こちらの電話はいきなり ○○ there? と言われるからね。時候の挨拶をしろとは言わないが、まずは、自ら名を名乗って欲しいもんだ。

相手の顔が見えない電話は難しい。

 

 

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花を植えなかった

2006-09-07 00:49:30 | 徒然に

今年は花を植えなかった。

現地のアメリカ人は本当に庭を綺麗にしている。お花も、路地物から鉢物、釣り下がり物と、たくさんの種類がおいてある。結構圧巻なのは、花の木。石楠花の巨木もある。もくれんもある。大きすぎて種類を見間違う程。その木いっぱいに花が咲いているからすごい。足を止めて見とれてしまう。

そんな環境の中で、我が家には花が無かった。路地物の花が咲いてはくれたが、自分で植えなかったことの罪悪感はあるなあ・・・。それどころではない・・・・ということがあるが、自分の心がまさにそれだった。花どころではなかった。

忙しいのではない。なんせ韓国ドラマをみる時間はたっぷりあるのだから。気持ちが乾いているという感じだったかな。どうにもしようがないことに振り回されていたから。

引越す前のうちで、たくさんの花を植えていたら、大家さんから、母が居た頃の事を思い出すわ・・・・なんて、喜んでもらった。そんなこともあったのにね。

来年はたくさんの花を植えようと思う。振り回されえ乾いてしまう心では、情けないし、自分がなさすぎない?と自問してみよう。

今年はナイのだから、綺麗な花を見に、走りにでも行こう。トコトコキョロキョロ走る。

 

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2006-09-05 21:25:57 | なっとくる

世の中には様々な鏡がある。

ランニングをしていると、いろいろな人に出会う。ニコニコして感じのいい人。無愛想で感じの悪い人。無関心を装う人。

以前、興味深い話を聞いた。ずっと前のこと。私の上司が、奥さんに どうしていつも帰ってくると無愛想な顔をしてるのかと聞いたところ。。。。。奥さんが、ドアを開ける瞬間に見る夫の顔で、相手の機嫌がわかる。あなたの方がいつも、不機嫌な顔をしているから、またか・・・・と、悲しくなると答えたという話。

私はこの話を良く思い出す。自分I対して無愛想な対応をしてくる人は、実は自分の方が無愛想に対応しているということは、確かにある。嫌いなひとからは、嫌われているということと同じかな。好きな人からは好かれる。態度にでるからに違いない。

とすれば、相手の表情は実は、鏡だということになる。

加えてビデオで自分を直接に監察することもできる。これはもう、相手のフリ見て自分を判断するのではない。自分がそこにいる。

正直言って、私は自分が機関銃のように喋るのに驚いた。あそこまでひどいとは・・・・。無いものねだりで、私は静かに低い声で話す人が大好き。それだけで尊敬してしまう。私の場合は声は低いが、かん高い???矛盾するようだが、そういう声もある。自分の声、喋り方を聞いて泣きたくなってしまった。いつでも選挙演説をしているようだからなあ・・・・。

あなたと居ると元気が出る、とか、元気をもらった・とかはよく言われるが、一緒に居ると落ち着くとか、安心するとはあまり言われない。全く言われないかも・・・・。

極めつけ。息子からは、おかあさんネジがはずれているよ!とまで、言われてしまった。私からみると、はずれているのは息子の方なのだが・・・・。しかし、ある面。子は親の価値鏡・・・だから、同じようにはずれているのかもしれない。

自分は変われるだろうか・・・・。悩みは深い。

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そのあと・・・・で・・・・

2006-09-05 00:50:07 | 徒然に

待つ日々は長い。でも、その日は必ず来るし、来てしまったその当日は、あっけないほどに短い。

この夏も様々に待ち続けた日々があったし、通り過ぎても来た。友人は訪れて帰国し、私もまた、夏のイベントを消化(昇華)し、レースも走った。

そして、新しいクラスで新しいテキストを買い、新しい生活が始まりはじめた。

様々なゴールを見つけ、またゴールに向う。ランニングに関しては・・・・昨日は、走らなかった。なんだか、安心感と、満足感と、倦怠感と・・・・そして筋肉痛になったからだ。レース中はちょっといつもよりは、無理をしたらしい。

そして、今日はさわやかな青空の中を走ってきた。次に向うレースはまだ決まらないけれど、立ち止まることもしたくない。止まってしまうと簡単に放り投げてしまうような、危うさが私にはあるからね。

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休むこと

2006-09-03 23:34:43 | なっとくる

久しぶりにテニスをした。やり始めて3年ちょっと。コーチについて、何人かで教えてもらっている。都合が悪ければキャンセルにする。自分以外の人に左右されることが多い、主婦の都合だから仕方がない。同じ立場同士、あっさり いいよ ~ と、キャンセル。おまけにコーチも体調が悪かったり、お母様が病気だったりで、あっさり、キャンセル。結果、二ヶ月以上もテニスをしなかった。

昨年の春頃、私はテニス肘になってしまった。その頃は、テニスが面白く成り立て、同じレベルの米人の友達と、毎日のように練習していた。米人は女性でも腕の力が強い。小柄ではない私だかが、腕、足、などの力では及ばない。きっと、走るのは私の方が早いし、動きもちょっとは俊敏なような気がするが・・・・。パワーテニスの応酬だったかな。コーチ曰く、テニスは打球の緩急差が大事・・・・でも、私たちはまっすぐ、力だけのテニスをしていた。結果テニス肘。痛くて十分にできなくなってしまった。

そこに重なったのが引越し。肘が痛い分、かばって他のところに負担がかかってしまうようで、ドアのノブを回すのも辛いくらいの、関節炎になってしまった。ピアノも弾けない。医者でみてもらうと、痛い間は服薬するように勧められた。でも、その薬に副作用があることを知り、飲まなかった。

痛さに悩み、テニスができないことにイライラし、どうやったら治るのかばかり考えていた。落ち込んだ。

ところが、驚いたことに、久しぶりのテニスで、私は何の痛みもないことに気づいた。どこも痛くない。肘も、関節も、指も・・・・動く。

そういえば、日常生活でもまったく痛みを感じなくなっていたことにも気づいた。そっか。渦中では、それだけを考えてしまうが、すこし休みをとって、そこから意識的に離れるもの大事なのかなと思った。急がば廻った方がいいのね。

思い詰めズがいいのかも。詰めても形がいびつになったり、卑屈になったり。悲しくなったり、やめたくなったりするだけなのかも。

 

 

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9マイルレース完走・・・・

2006-09-02 23:43:21 | かたまった

はっきりいって、独自の闘い、自分とだけの戦いだった。

参加者は32人くらい。くらいというのは事前申し込みは27名だったが、当日参加が何人かあったもよう。

朝7時のスタート。受付は6時から始まっているはずなのに・・・・6時20分に到着したが、案内に書かれていた場所に受付がない。なにかひっそりしているし、いつものレースとは様相が明らかに違っている。

あれ?と、目を凝らしてみると、暗がりの(早朝7時前はミシガンでは暗い)中に、テントがひっそりと立っている。参加者もちらほらと見える。ほんとにちらほら。老若男女ではない。屈強な男性に、テレビでのみ見るような、へそだしマラソンウェアーを身に着けている女性達・・・・・・私は場違いなところに居ることにすぐに気づいた。

靴につけてタイムはかるチップをくれた男性スタッフが、走ったことはあるか?と私に聞いてきた。心配そうな表情だ。4回目と、答えると安心してくれた。でも・・・・・身なり、体つきで、その人がどんなランナーなのかは結構わかるものだと、私も理解している。私のようの体つきの人は、他に居ないから、心配にもなるのだろう。絞られていないし、筋肉ではないからなあ。私にあるのは・・・。

でも、ここで引き返さないのが私のいいところ。今回は、このことに関しては自分を褒めたいと思っている。

スタート直後は、わたし以外全員で先頭集団を形成し、すさまじいスピードで飛び出していった。私は、自分の走りを考え、完走を意識し、いつものペースで走り始めた。しかし、なんともマイナーなレースで、沿道に人っ子一人いない。今思い出してみて、居たのは(会ったのは)、ボクサーのような犬一匹と、野生のリス、ウオーキングのおじいさん二人、後は、5キロごとの給水場所でボトルをくれたスタッフ10名程度だけ。おまけにコースは美しい自然の中の遊歩道(始めて見た)、安全ではあるが、車も来ない。先頭集団からだんだんと離れて、いつの間にか私しか居ない。あれ、コースはどうなってる??そこで、助かったのが道路に書いてある緑の矢印。矢印だけを頼りに、独自に戦う。

自然の中の遊歩道はなんとも美しく、気温は15度。走りやすいし、わくわくするようだった。でも、そのうち静かすぎて、寂しくなってきた。

そこで、先頭が大体1キロメートルを3分くらいでくるだろうから(私で6分くらいかかる)、何分したら折り返してきた先頭の人と会えるかなあ???と計算したりした。

しかし計算どおりには来ないから、結構先頭の人も早くはないのかなあ・・・と、自分をまったく差し置いて考えたりする。結局52分過ぎに先頭の人と会う。ああ、この人が先頭なんだ・・・次は・・・と、自分以外の人の順位を楽しんでみたりもできた。

折り返しても独自の闘い。今までの経験だと、前半を飛ばしすぎた人たちがそろそろ落ちてくるのだが・・・・・さすがに、誰も落ちては来ない。

1時間10分ころまで、トコトコ走り、のこり1マイル(1.6KM)で、ばねを使った走りに変えた。自分ではここからが見せ場のつもりだったが、結局独自の戦いは最後まで続いた。ゴールには、走り終えた人たちが待っていてくれた。応援団はだれも居ないから、参加者だけで称えあう静かなゴールだった。完走はできたけど、レースだからやっぱり・・・正直言って悔しい。

今度のレースにはもっといいタイムで走りたいと、走り終わって思った。

今日は兄の誕生日。記念のレースにするつもりが。。。。。。ある意味そうなった。でも、走ってよかった。天使に微笑んでもらえたような、爽快感がある。

 

 

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サポーター気質

2006-09-01 21:30:48 | かたまった

テニスのアガシの全米オープンの試合を観た。しかし、いくら身贔屓とはいえ、あれはないんじゃない・・・という、応援だった。と、思ったのは私だけだろうか???

会場全体がアガシのファン。バグダティスがス晴らしいプレイをしても、アガシがポイントを失ったというリアクションしか返ってこない。途中に会場全体で、ウェブが始まったときには、唖然としたのは、私が日本人でアメリカ人ではないからだろうか。

スポーツの世界は、勝敗だけがすべてなのかな? サッカーの日本代表の試合だったらどうだろうか。私も同じかな・・・・。

昨夜は地元の高校のサッカーの試合を応援に行った。先に居た友人(日本から来た友人と彼女の宿泊先米人)の座っている席の隣に座った。しかし、すぐにそこは、away席、つまり敵陣側応援席であることに気づいた。

初対面の人たちにも、笑顔を向けるアメリカ人なので、敵陣の人たちは、見知らぬ私達に、にっこりと微笑みかけてくれる。背筋が凍りそう、逃げ出したい私の横で、友人たちは、私は日本から来たからaway席とか、私がここに座ったのだから、ここがいいとか、訳のわからないことを言って、動こうとしない。それどころか、大きな声で地元高校の名前を叫ぶし、地元高校の選手の紹介の際にも奇声をあげて、喜んでいる。生きた心地のしないのは、私だけだった。

日本人も、特に親が子供達の試合でエキサイトするのは、私も十分に承知している。しかし、農耕民族と、狩猟民族では、エキサイトの違いは、相当なもので、友人の話では、当地で子供の試合で親が殴りあいになり、殴られて記憶喪失になった人まであるという。

友人たちは、帰国前日だったので前半で引き上げた。後半私は、自陣に移り、心行くまで大声を張り上げて、地元の高校の応援をしてきた。

そうそう、帰国する友人に大したおもてなしも出来なかったことだけが、心残りですが。。。。。。

冬に帰るからね~。また、会おうね。

 

 

 

 

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のらりくらり

2006-09-01 02:57:26 | なっとくる

私は、のらりくらりと逃げてきた。

逃亡しているわけではないが、逃げていることに気づかれないように、自分でも自覚はしているけど、証拠を自分自身に突きつけないように、自分からさえも逃れている。

語学の習得は性格だと私は思っている。論文語学ではない、交流語学かな。恥をかくことを笑えない人は、つまり私のような人は、性格的にコミュニケーション能力に欠けている。(キムサムスンのような人なら、きっと大丈夫。余談だが・・・・面白くてやめられない・・・・サムスン大好き!!)

しかし。目的がハッキリしていること、特に金銭の損得(特に損)に関して電話をすると、英語がスラスラと出てくる。スラスラでなくとも、何とか表現しようとするし、損をしたくない、お金を返して・・・・という思いは、私の恥にかまっている性格をあっさりと凌駕してしまう。自分でも驚くほど、目的は達せられる。

さて、今回のカレッジのクラスは、Social Problem 社会問題・・・・。アメリカ国内、国際的問題、から始まり、民主党か共和党か、自分のスタンスを決め、社会問題に関して、どういう解決策を支持するのかまでを、レポートにしていくらしい。

加えて、同じ社会問題のテーマで、担当国ごとに討論をするらしい。私はインド担当。日本を紹介したいと思ったが、日本人に日本を紹介させないらしい。

のらりくらりと、英語からは逃げながら、ちゃっかりとAをもらってきたずるさは通用しそうにない。

インストラクターが女性というのも、なかなかに手ごわい。前回の、まじめに授業をしてほしい・・・・と、直談判した彼の先生がちょっと懐かしい。でも、彼は定年退職したみたいだし・・・・。

何を弱気に!!やりがいがあるじゃないか。折角のチャンス。高いテキストに高い授業料を払っているのだからね。

のらりくらりから脱出するのも、セロトニンだろうか・・・。不安で一杯。恥を考えるならね。・・・・・。

 

 

 

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