最近ポツポツと顔になにやら・・・フキデモノ
言葉で表せない、いえ 言葉にしてはいけないと思う 生活の中でそんな思いをかかえる場面が多くなってきた。実はそんなことが少なからず関係しているのかなあと・・。
言葉とは、人間が持っている文化・文明、はたまた知能そのものものの根幹、象徴であると思うのだけれども、他方 ストレスもそれ故かとも思えてくる。
先日入院した友人。彼女が具合が悪いと話してくれたとき、私は直感で、この人はどれくらい言葉を飲み込んできたのだろうか・・と、思った。本人がストレスだと自覚してはいなかったようで・・。逆に私にはそれが痛々しかった。
言葉にしてはいけない心、発してはいけない言葉、言葉にならない心、様々だなあ・・。飲み込むしかないか・・・・。
我が娘ルル子は、真剣に見詰め合うと、ふっと、シラッと目線をはずす。これは愛娘に限ったことではなく、犬の習性らしい。目線を合わせること事体が戦闘モードに突入するという犬の世界で、犬はそれをそらす術を知っている。
何か分からないフキデモノを抱えた私は、ランニングをしながら、気持ちを整理しようとする。でも、今は整理できないこともあるのだろう。考えがまとまるどころか、あちこちとまとまらない。そんな時、夕べの月の青さは、見事に私の目線を釘付けにした。
青くでっかい月にむかって、深呼吸した。飲み込んだ言葉を、はき出した。
ような、気がしただけだった。でも、さ、向き合わないことも時には必要だ。術を駆使して逸らす。術をたくさん持っていることが、つまり一番大切なのかもしれない。