最初の一冊~松村比呂美

自著の宣伝のために始めたブログですが、今では、風景や食べ物の写真が主になっています。

アメリカ横断ウルトラクイズ

2024-10-18 | Weblog
クイズ史上最大スケールの『アメリカ横断ウルトラクイズ』は、1977年から1992年にかけて放送され、その後、1998年に一度だけ復活しました。
それら全ての回の大同窓会が東京で開催され、姉も参加してきました。
写真は記念品のタオルです。


姉も、40年ぶりにウルトラハットをかぶって記念撮影。


姉が参加した第8回は、全ての都道府県から参加者がいた、初めての回だったそうです。姉も福岡からの参加でした。
まず、国内第1次予選は、後楽園球場での〇✖クイズ。ここで11048人から101人に。
国内第2次予選は、成田空港で行われ、101人から55人へ。そして、グァム行きの機内400問ペーパークイズで55人から40人に。
ペーパークイズの上位40名しかグアムに上陸できず、ブザーが鳴ったら機内に戻らなければならないルールでした💦
グアムのココス島での「どろんこクイズ」で40人から22人へ。
姉は、間違えると泥のプールに飛び込むことになる、この罰ゲームだけは避けたいと思っていたようです。
無事に通過して、グアム → ハワイ → サンフランシスコへ。
ここからは一人ずつ脱落していくので、クイズ開催の前日には、誰かわからない人の送別会をしていたそうです。
サンフランシスコ →  リノ  →  フェニックス  →  ラビッドシティ  → ダコタ  →  インディアナポリスと勝ち進んでいき、残り6人となりました。


アメリカ本土の最南端キーウエストまで辿り着いたのは、女性では姉ひとりです。
しかし、残念ながら、姉はここで脱落。罰ゲームで、満潮になると沈む島に置き去りに……。
でも、よく頑張りました。


バハマで5人から4人へ。フィラディルフィアで4人から2人へ。
決勝の地はニューヨークです。クイズ王に輝いたのは、石橋史行さんでした👏

「知力、体力、時の運」が合言葉の『アメリカ横断ウルトラクイズ』。
家族の支えもあって、姉は小さな子供ふたりを母に預けて20日間、クイズで海外を回ったのでした。
私たち夫婦も成田まで応援にかけつけ、総合司会の福留功男さんともお話ししました。
姉にとっての大冒険は、私にとっても懐かしい思い出です。

『QUIZ JAPAN』編集長、大門さんの《稼働するウルトラハットに興奮!「第3回ウルトラクイズ合同同窓会」潜入レポート!》で詳しく紹介されています。

既刊本等はこちらにまとめています。
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