新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月5日 その2 和製英語とカタカナ語の氾濫を考える

2017-05-05 14:39:41 | コラム
和製英語とカタカナ語の普及は帰らざる河を渡ったか:

2014年の9月に「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏からNHKの「クローズアップ現代」(これとても”close up”であり、「クロゥス・アップ」が正しい発音なのだ)で「コンセプト」というカタカナ語を使っていたのは認めがたい」との怒りの電話を頂戴した。何故、素直に「概念」か「観念」と言わないのかとの主旨だった。

私は事後に念のためにジーニアス英和を見ると、”concept”は「《略式》基本概念」とあり、「言葉として抽象度が高くなる」との注釈があった。私も同感であった。主宰者が言われた通りで、NHKが使うべき言葉ではないと思う。因みに、”close”は「クロウズ」と発音すると「閉じる」という意味になるのだ。「クロウス「では「接近した」とか「身近な」となり、”close up”はこっちである。

私はカタカナ語批判派としてその例を既に2008年に120ほど採り上げて発表してある。だが、現実に使われているものはその何十倍もあるだろうと思う。実際に雑誌、週刊誌、テレビ等の放送でどれほど頻繁に使われているかに対しては「慣れっこ」になってしまっていたのか、余り反応していなかったのではないかと、反省させられた次第だ。換言すれば、最早一々採り上げてみても、事態は変えようがない(改善出来ない?)と諦めていたのかも知れないのだ。

そう思ってテレビを見ていると、街頭インタビュー(カタカナ語だ!)で何かの法律(取り締まり)をもっと厳格に適用して欲しいと言いたかったのだろう「おっさん風」の高齢者が「もっとシビアーにやって欲しい」と答えていた。批判派に言わせて貰えば、このカタカナ語の使い方は全く意味を為していないのである。この方は何処かで "severe" =「厳しい」と覚えられ、何ら躊躇うことなく格好付けでそう言ったのだろうと察した。

ここで英語の講釈に入るが、その目的は単語帳的知識の危うさ指摘したいのだとご理解願いたい。"severe" には確かに「厳しい」という訳はある。だが、これを形容詞で使う場合は「天候が厳しい」であるとか「負傷が厳しい事態だ」と言いたいような場合に使うものである。法律を厳しく施行すると言いたくて使うものではないと思う。もっと厳密に言えば、あの高齢者の答えの場合は副詞的に使っているのだが、"severe" では形容詞形だ。

では、あの場合取り締まりを厳しくして貰いたいのならば、"strict" か "strictly" であるとか、"stringent" 副詞にすれば "stringently" という言葉がある。だが、私は寡聞にして学校教育でこのような難しい?単語とその使い方を教えてあるかどうかは知らない。だが、経験した範囲内では "strict" を知っておられた方は多かったと思う。

ここではやや学問的な指摘をしてしまったが、テレビでアナウンサーの他に登場するタレントどもや野球等の解説者のみならず政治家に加えて学識経験が豊かなはずの政治や経済の評論家でさえも、当たり前のようにおかしなカタカナ語を使いたがるのである。この現象は私が1990年頃に批判を開始した「英語擬きのカタカナ語を話の中に交ぜることで何か洗練されているか、知性的且つ近代的であるかの如くに錯覚を起こしているのではないか」が21世紀の今でも当てはまると思っている。

例を挙げればキリがないが、そう言わずに思いつくままに幾つかお目にかけていこう。近頃テレビで乱用されているものに「コラボ」がある。「共同制作」という意味がある”collaboration”を短縮してカタカナ語にしたものらしい。だが、既に述べた通りで、私は残念ながらアメリカのビジネスマンたちとの日常的な業務連絡の中で聞いたことも使った記憶もない極めて固い言葉であると思う。

普通には”work with another person to create ~ or produce ~”とOxfordにあるようにclauseにして表現するだろうと言いたい。単語帳的知識でなければこんな単語をカタカナ語化して使うという発想は出てこないと思う。恐るべしだ。

ある歌手が大手レコード会社に認められてCDが発売される運びとなると通常「メジャーデビュー」と称しているが、これも酷い。言うまでもないことで「メジャー」は”major”で発音は「メイジャー」であって、ここでは恐らく大手のレコード会社をメイジャーで表現したのだろう、困ったのは「デビュー」で、これはフランス語である。英語とフランス語を合流させた我が国ならではの融通無碍な合成語だ。

私は英語しか知らないので、フランス語では如何なる発音になるか知らないが、英語ならば「デイビュー」なのだ。「デバット」ではない、念の為。大手のレコード会社から初めてCDを発売する」と言ってはいけないのだろうか。彼らの業界では「初登場」という熟語は完全に死語と化している。おかしいではないか。

次に既に何度も取り上げて非難した「もめ事」、「心配事」、「苦労」、「厄介者」、「困難」、「災難」、「故障」、「品質不良」等々を全て「トラブル」で括ってしまう大雑把差には怒りすら覚える。何でもかんでも「トラブル」では一体全体何が起こったのかを想像を逞しゅうする以外ないのだ。ニュース原稿を読んでいるキャスターさんかアナウンサーさんはそれで視聴者が納得するとでも思っているのか。

「タッグを組む」も既に取り上げたが、最早批判しても遅い事態となってしまった。そもそも「タッグ・レスリング」が始まった頃を知らない世代が主体になって現代では「タッグ」は「誰かと組むこと」の意味になってしまったようだ。”tag”にはそういう意味はない。どうしても使いたければ、せめて「タッグ・テイ―ムを組む」と言って欲しい。検索するか、英和辞典でも引いて調べて貰いたい。

また、困ったことに野球用語では「タグ」は”touch”と混同されて「タッチアウト」などと言われているが、元の英語では”tagged out”と言う。即ち、ボールを付けるのは「タッチ」ではなく”tag”なのである。疑問がある方は「タッグレスリング」とは如何なる形式だったかをお調べ願いたい。

「シリアス」も槍玉に挙げておきたい。これは勿論”serious”が元だ。先ずはおかしなカタカナ語の表記から行こう。これは断固として「シアリアス」となるべきで、ローマ字読みの如き「シリアス」は止めて欲しい。せめて「セリアス」辺りなら未だ勘弁してやる。これは非常に重要な言葉で、ジーニアス英和にもあるように「〈事態・病気などが〉重大な、危険をはらんだ、深刻な、ゆゆしい」を意味する形容詞だ。これを忘れて名詞の如くに使われていないか。

また、英語圏では「本気」、「そういうつもりで」、「その気になっている」と言う時に使うので、要注意だ。即ち、”Are you serious?”のように「君は本気で~するというのか」のように真剣に問いかける時に使われる。だから、気安くカタカナ語にして「深刻な」などと言いたくて「シリアスな問題になるかも知れない」などと使うのは如何ものかと思う時もある。

何度でも繰り返して言うが、カタカナ語化された英語の言葉は90%以上は言葉の誤用か、品詞の誤用か、意味を取り違えているものなので、間違っても英語でも通用すると思って「英会話」の中などに差し挟まないことである。また、野球用語は99.99%が日本語であり、先ず英語では通用しないと思っていて誤りではない。私はこれを批判しているのではなく、あそこまで日本語化した解りやすくした先人の知恵を寧ろ褒めているのだから。


2017年4月の新宿区の人口

2017-05-05 08:21:13 | コラム
前月から989人も加していた:

新宿区の4月の人口は対前月比で989人の増加と0.5%のプラスとなっていた。私の印象では街には相変わらず中国の若者と人とイスラム教国の者を中心に外国人が増え続けているとしか思えない。4月には昨年の11月に1,111人に次ぐ1,000人に近い人口増加となった。その増加の内訳は、日本人が1,067人と対前月比で0.4%も増えていたにも拘わらず、外国人が78人とはいえ減少して41,016人と対前月比△0.2%となっていたのは一寸興味がある現象だった。

正直なところ、外国人が減少しているという統計には感覚的には違和感がある。それは毎度指摘してきたように、ここ百人町/大久保界隈には益々外国人の街と化しつつあるとしか思えないからだ。毎朝、大久保通りから高田馬場駅方面にかけて林立する数多くの日本語学校に登校する外国の若者たちは住民登録していないのだろうか、それとも区外からやってくるのだろうかと考えてしまう。

特筆しても良い現象に大久保通りを中心にする嘗ての(?)Koreatownに復調の気配が見えてきたことがある。その勢いは2~3年前の賑わいにはほど遠いとはいえ、多くの若い女性たちが「サムギョプサル」や「ホトック」等を売り物にする韓国料理店に並び、韓国製化粧品の店に群がるようになってきたのである。私にはこれが歓迎すべきことかどうかは俄に判断出来ない。だが、JR新大久保駅が改装工事中となり、改札口付近が狭くなってしまった為に大混雑となってしまい、一般の利用者にとっては大いに迷惑となっている。

参考資料:新宿区広報しんじゅく 平成29年5・5