新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月15日 その2 Englishと英語の違い

2017-05-15 15:11:55 | コラム
私がEnglishの表現集を続けてきた理由(わけ):

私は後難を恐れて言うが「我が国の学校教育の中でも外国語教育の中では、他の言語については論じるほどの知識はないが、英語の教育は極めて宜しくないと思っている。少なくとも、アジアの諸国よりも、大変遺憾ながら、劣っていると認めざるを得ないとも考えている。「何を言うか、フィリピンのように英語が公用語の国があるではないか」という反論もあるだろうが、では韓国と比較してどうかと尋ねられて「我が国の方が優れている」と胸を張って言える度胸がおありかな。

私自身は戦後間もなくから、GHQの秘書だった日系米人(女性である、念の為)の方から「英語で話すこと」を厳しく仕付けられたし、その秘書の方と週末には英語だけで話す生活をしていたので、何時の間にか学校教育で教えられるような英語とは一寸趣が異なった「アメリカ人同士が話す慣用句(idiomatic expressions)や口語体(colloquialism)」が身に付いていたのだった。

後になって知ったのだが、その秘書の方に教えられたことは、かなり程度が高い支配階層にも通じる性質の英語だったのだった。と同時に認識し得たことは、上智大学在学中に千葉勉教授に厳しく教えて頂いた「文法を間違えるのは無教養の証となる」や「liaison(=連結音)や”r-linking”を知らないのも同様だ」などは、アメリカ人やUKの人たちの中に入ってみなければ解らないことだと痛感した。

その後1972年にはアメリカの会社に転進して言わば「支配階層」に知らない間に身を置いたので、そういう種類のEnglishで日常的に書き且つ話せるようになっていった。だが、自分の英語の質がそういう物だと本当の意味で知るようになったのは、1994年1月末でWeyerhaeuser Japanをリタイヤーした後のことだった。

そういう経験をして思い立ったことは「我が国の学校教育で”something like English”であり『科学としての英語』を教えられTOEIC如きで縛られていては、何時まで経っても世界中の何処に出してもひけを取るようなEnglishしか使えないのでは誠に恥ずかしいことだ」という点だった。

そこで及ばすながら、高校までの経験にアメリカの支配階層にあった会社に22年半も勤務して、その支配階層というかアッパーミドル以上の人たちに日常的に接して覚えた本当のEnglishの表現を記憶している限り並べて、皆様の参考にしようと考えた次第だ。私は今日までに書き上げてきた表現を、少なくとも在職中に数多くお目にかかった我が国式の意味で優れた英語を話す方々が使っておられなかったような表現だと思っている。

それ故に、これまでの私の書いた英文をお読み頂いて「何だ、これは?学校では教わったこともない言葉遣いだ。どうせアメリカ人の下品な英語だろう」とでも疑われはしなかったかと恐れている。「そんなことはありません」と断言しても良いと思っている。思い切って言えば「我が国で教えられているのは英語ではあるがEnglishではない」のである。

ここで、我が国の英語教育で育ってこられて方が犯した、とても笑う訳にはいかない誤りの例を挙げてみよう。その方は定年を過ぎてからアメリカの会社に転じてこられ、Englishで多いに苦労された。ある時彼も交えて何人かで打ち合わせをしている時に、アメリカ人が彼に向かって「解っているか」と訊きたくて、”Are you with me?”と言った。これは”Are you following the conversation, so far?”と同じ意味だ。

彼は数秒間困ったような顔をしてしたが、やがて思い切ったような表情で”Yes.”と言って立ち上がり、彼の隣に行って着席したのだった。Englishではこのような簡単な言葉だけで、これだけの意味を表してしまうのだ。私は初めてアメリカに出張した際にホテルのチェックインで係に”Meadの社員ですか」という意味で”Are you with Mead?”と訊かれて一瞬固まったのだった。

”with”のような簡単な単語がこれほど色々な意味に使われるのが所謂「生きた英語」なのである。”I’ll be right with you.”では「直ぐに行くよ」であり、序でに言えば”I’ll be right back.”は「私は右の方に戻る」ではなくて「直ぐに戻るよ」なのである。

最後に一言を念を押しておけば、私が取り上げてきた例文に中に「これは面白い表現だ」と思われたものがあったならば、是非とも何度でも結構ですから音読して頂きたい。耳から入る表現は意外に早く身に付くもの。黙読では中々記憶には止まりにくいのだと思って頂ければ有り難い。


Englishにはこんな言い方もある

2017-05-15 08:30:14 | コラム
Englishにはこんな言い方もあった:

“copycat”
解説)Oxfordなどには「幼児語」と指摘されているが「真似っこ」を指して言うこと。1970年代の末だったか、サンフランシスコの営業所長の大学生の息子が明らかにアメリカの製品を真似た我が国からの輸入品を指して”Copycat!”と言ったのは屈辱的でもあったし、こういう表現があったのかと思ったのを良く覚えている。「猿真似」と同じ発想なのが印象的だった。我が国にもそういう時期があったので「真似した電器」などと言われた企業もあった。”copycat crime”などと言うと「模倣犯罪」になるようだ。

“likes and dislikes”
解説)文字通りに「好き嫌い」のことだ。”Do you have any likes and dislikes about the American food?”だったかのように尋ねられたことがあった。これと似ているようででもある”Does your stomach have any disagreement with the Mexican food?”というのを以前に採り上げた。私はどちらに対しても好き嫌いはなかった。と言うよりも、何処の国に行っても「ご飯と味噌汁がなければ」と言ったことがない「何でも食べるしかない」と合わせて行く方だった。

“What’s the matter with you? You look so pale.”
解説)極めて古典的な「英会話」で教えられる「どうしましたか」である。後半は「とても顔色が悪いですよ」である。だが、不思議なことに20年以上もアメリカ人の中にいて、この言い方をされたことも聞いたこともなかった。何故だろう。”What’s wrong with you, today?”でも良いような気もする。こう尋ねる前に”I’m feeling a little weak today.”と言われたことはあった。「今日は余り調子が良くないのだ」ということかと解釈した。

“It can’t be helped.”
解説)「仕方がない」と言うか「こういう状況になったは仕方がない」と言いたい時に使えると思う。似たような表現に”There is nothing I can do to help you.”即ち「私には君を救って上げることは出来ない」というのもある。

“What is going on, here?”
解説)「何事だ?」という意味で簡単な表現だ。だが、これを大声で”going on”を強調して言うと「一体全体ここで何をやっているんだ」と”here”が入っていただけに非常に強い詰問になることを経験した。それは日本からアメリカの小売業を調査に来られたお客様が、スーパーマーケットで店側の了解を取る前に冷蔵ケースの写真を撮り始めた時に、誰が通告したのか店長が飛んできて怒鳴ったのだった。尤も、店長は”What the hell is going on, here?”と”the hell”というswearwordを使っていたので一層の迫力があった。引率していた我が社のマネージャーが一言詫びて改めて許可を取ったが。

“He was carried away by the serious situation and kept on saying the same thing.”
解説)”was carried away”を”got carried away”とも言うことがある。「まともな判断が出来なくなって」か「慌てふためいて」を意味する慣用句というか俗っぽい表現だ。「事態の深刻さに正常な判断が出来なくなって、彼は同じことを言い続けた」という意味だ。

“I hear you.”

解説)「聞いているよ」ではなく、一種の相づちのようなもので「うん、解るよ」、「言いたいことは解るよ」乃至は「そうだね」という辺りを意味するようだ。こちらが一所懸命に何かを説明している時にこう言われると、何となく「感じが悪いな」と思ったこともあった。英文和訳のように一々相手が言うことを「軽い相づち」と知らずに真剣に考えているととんだ誤解になることがあるので怖い。彼らは、相づちで”Good.”だの”Very good.”などと言う時があるが、これは決して「良いよ」と褒めているのでも「とっても良いぞ」でもない場合が多いのだ。前後の文脈(関係)から解釈すると良い。