新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月11日 その2 アメリカにおける女性の地位の考察:

2017-05-11 08:37:07 | コラム
Ladies first の背景に何があるのか:


実は以下は14年3月に一度掲載したものだが、このブログのある読者の方から、アメリカでは女性が歴史的にもどのように扱われていたかのご質問があったので、あらためて少し加筆訂正して取り上げる次第。

畏メル友尾形氏から

<こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。>

との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私のアメリカの大手製造業の会社での経験と、中学生の頃にGHQの秘書の方に教え込まれたこと、1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。

1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"という女性が主役の漫画がありました。作者はChic Youngとでした。貴方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumsteadでした。この中には何度もブロンディーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に何故かなとも感じていました。

しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったそうです。50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ一人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンディーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。

それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語であり文法的にも誤りがある)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。

但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方もあります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と英語で話すことを教えて頂くために一緒に過ごす時間が毎週あったので、かなり厳しくこういう西欧風のマナーを仕込まれていました。

女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり家電製品等々のように買わねばならないものが増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂ダブル・インカムの家庭が増えてきたと聞きました。

また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような手厳しく男に対抗する女性が増えてきたのだそうです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い人はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。

言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に対抗意識が顕著な人にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人もいます。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。

私が1994年1月にリタイヤーしたその頃でも45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力と結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその職の範囲内で見れば素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者が適材適所で人を使っていくことかと思うのですが。

参考資料: Wikipedia


英語のお話

2017-05-11 08:31:54 | コラム
英語ではこのように言う:

“takeの使い方”

解説)前回、”Do you take credit card?”は好ましくないという件を取り上げた。”take”には確かに「取る」という意味があるが、その単語の知識に引きずられていると、思いがけない間違いを犯すこともある。それは「コピーを取る」の場合には”to take a copy”ではなく”to run a copy”となるので要注意だ。尤も、その場の雰囲気次第では”Please run two sets of this document.”と言っても通じるだろうと思う。

“Take it easy.”という表現が戦後間もなくの頃に流行っていた記憶がある。これは未だアメリカ人(アメリカの兵隊さんの)の発音に慣れていなかった時期には「テキリーズ」のように聞こえていた。意味は「気楽にしろ」、「のんびりと行こう」、「落ち着こうぜ」と言ったところだが、別れの挨拶にも使う者もいた。何が言いたいかといって、コピーと同様に「取る」とはほど遠い意味で使われている点だ。

「タクシーを呼んで下さい」:
解説)これも何十年か前に間違いやすい英語の例に挙げられていた。即ち、ホテルなどでタクシーで出かけようとしてフロント(デスク)などに”Please call me a taxi.”と依頼ししたところ、”Yes, Hi, taxi.”と言われてしまったという笑えない笑い話だ。文字通りに「タクシーを呼んで下さい」となっているようだが、実際は「タクシーと呼んで」となっている辺りが英語の落とし穴かも知れない。

では、実際にこれを理解されるような英語にして見ろと言われると、結構な難問なのだ。先ず思い浮かんだのが”I need a taxi cab. Please call taxi cab office for me, please.”だったが、余りにもくどい。恐らく、”I need a taxi cab, please.”で彼らは理解するだろうと思う。本論から離れるが、アメリカだけを考えれば電話でタクシーを呼ばねばならないようなホテルはよほど辺鄙な田舎町にしかないと思うが。

現実には「タクシーを呼んでくれ」と依頼すれば”Where are you heading for, sir?”位は尋ねられるかも知れないと思うが。また、本筋から離れるが、アメリカでは先ず英語がまともに話せるタクシーの運転手さんに出会ったことがなかった。最も傑作だったのはシアトルで”wind shield”(=フロントガラスのこと)に”English spoken”という札をかけていたタクシーがいたことだった。

彼らタクシードライバーたちは英語が出来ないくらいなら未だ良い方で、異邦人と見るや遠回りして法外な料金を請求することがあるので要注意だ。その対策は、乗ったら直ちにありったけの英語単語を駆使して話しかけて「俺は英語も解るし、地理も心得ている」ところを見せることだ。また、多くのタクシードライバーは個人営業で、タクシー会社から車を借りているだけなので、我が国のように厳密にメーターに従って料金を取り立てないので、交渉の余地もある。だが、ここでは本当の英語による交渉能力が要求されるのだが。

「~は上手ではないので」:
解説)「~」のところに「英語」を入れるとすると、圧倒的多数の我が同胞は”English”を入れて”I cannot speak English very well.”のように文法的にも正しい英語で謙遜してしまうのだ。私は学校教育でこのような文章を教え込まれたのかと思っているが、これでは矛盾であってチャンと英語で話しているのである。私は真意は「英語で話すことは下手なので」か「英語は得手ではないので」と言いたいのだと思っている。

それならば”I am not so good at speaking English. So, I’m asking Abe-san to help me.”
のように素直に「通訳に助けて貰います」と言えば良いと考えている。これもかなりきちんとした英語なのだが。これよりもかなり上級の「英語で上手く意思を表現出来ないので」という表現には”I don’t know how to express myself well in English.”などというのがあるが、これだと「何だ、お主出来るではないか」となってしまって謙遜とは取られないだろうし、どんどん話しかけてこられる危険性が高い。

この例文に取り上げた”good at”を使った例をもう一つ挙げておこう。それは「この辺りの地理には詳しくないので」と言いたければ”I am not so good at the geography here in this area.”と言えば良いと思う。「地理」は文字通りに”geography”で良いところが面白いと思う。