過疎の村でUberが:
先週だったか、NHKで再放送を含めて2度も過疎の村(申し訳ないが何処の県だったかを失念)で高齢のご婦人がやおらタブレットを取り出して”UBER”というサイトを開き、顔写真を見ながら送迎をしてくれる人を呼んで依頼している場面を見せられて、家内とともに色々な意味で感心し且つ感服したのだった。恥ずかしながら、我妻はガラケーは何とか操作出来てもタブレットは使えないだろうと自信たっぷりだった。
その高齢の老婆は「これがあるお陰で何処にでも行けるようになった」と感謝しながら、ドアに何事かが表示してある自家用の軽自動車で迎えに来てくれた老人に送られて何処かに出ていった。費用はタクシーの半分ほどで済むそうだ。もう一つの例では、老夫婦が矢張りタブレットを操作して車を呼びタクシーであれば片道3千数百円はかかる病院までを千六百円ほどで出掛けていったのだった。往路はどうなっているかは知らないが、やはりこの新制度に大いに感謝していた。
私はUberなるアメリカで始まったシステムにはさして知識がなく、スマートフォンのアプリケーションであり、合法的な白タクのようなもので、我が国にも進出していたらしい程度のことしか知らなかった。それが過疎の村でにも応用されていたとは些か驚いたのだった。また、PCなどを使い慣れているとは見えない高齢者がタブレットを操作して、送迎を依頼していたのには「時代が変わったものだ」と唯々感心していた。
それと同時に、若者が何を求めているのか、この出てきただけでは何の役に立つのかとも思えない東京と、それ以外の大都市に指向してしまう現代にあっては、取り残された高齢者の交通手段にUberを利用しようとされた地方の行政(なのだろう)の発想には敬意を表したいとすら思った。同時に、過疎地においては高齢者が自分で運転が出来なくなった場合の選択しにUBERがあるとは想像も出来なかった。
因みに,”Uber”とは如何なるものかを検索してみると、知恵蔵には下記のようにあった。
引用開始
<スマートフォン経由で、ハイヤーのような運転手付の高級車を呼ぶことができるシステム。同システムを運営する会社や、利用する車及び利用するためのスマートフォンアプリの名称を指すこともある。「Uber」は、2010年に米国サンフランシスコでスタートし、14年9月現在、英国、フランス、オーストラリア、シンガポール、中国、日本など45カ国、100以上の都市で利用できる。14年3月3日にはUber社が日本市場へ参入したため、14年9月現在、東京都心での利用が可能となっている。
Uber利用者は、スマートフォンに専用アプリをダウンロード、インストールし、初回に、名前、メールアドレス、クレデイットカード番号などの情報を登録する必要がある。>
引用終わる
となっているところを見ると、その地方では恐らくスマートフォンよりは大きくて扱いやすいタブレットを導入したのかと思って見ていた。重ねて言うが「時代は進歩して変わっていくもの」だと痛感したのだった。
先週だったか、NHKで再放送を含めて2度も過疎の村(申し訳ないが何処の県だったかを失念)で高齢のご婦人がやおらタブレットを取り出して”UBER”というサイトを開き、顔写真を見ながら送迎をしてくれる人を呼んで依頼している場面を見せられて、家内とともに色々な意味で感心し且つ感服したのだった。恥ずかしながら、我妻はガラケーは何とか操作出来てもタブレットは使えないだろうと自信たっぷりだった。
その高齢の老婆は「これがあるお陰で何処にでも行けるようになった」と感謝しながら、ドアに何事かが表示してある自家用の軽自動車で迎えに来てくれた老人に送られて何処かに出ていった。費用はタクシーの半分ほどで済むそうだ。もう一つの例では、老夫婦が矢張りタブレットを操作して車を呼びタクシーであれば片道3千数百円はかかる病院までを千六百円ほどで出掛けていったのだった。往路はどうなっているかは知らないが、やはりこの新制度に大いに感謝していた。
私はUberなるアメリカで始まったシステムにはさして知識がなく、スマートフォンのアプリケーションであり、合法的な白タクのようなもので、我が国にも進出していたらしい程度のことしか知らなかった。それが過疎の村でにも応用されていたとは些か驚いたのだった。また、PCなどを使い慣れているとは見えない高齢者がタブレットを操作して、送迎を依頼していたのには「時代が変わったものだ」と唯々感心していた。
それと同時に、若者が何を求めているのか、この出てきただけでは何の役に立つのかとも思えない東京と、それ以外の大都市に指向してしまう現代にあっては、取り残された高齢者の交通手段にUberを利用しようとされた地方の行政(なのだろう)の発想には敬意を表したいとすら思った。同時に、過疎地においては高齢者が自分で運転が出来なくなった場合の選択しにUBERがあるとは想像も出来なかった。
因みに,”Uber”とは如何なるものかを検索してみると、知恵蔵には下記のようにあった。
引用開始
<スマートフォン経由で、ハイヤーのような運転手付の高級車を呼ぶことができるシステム。同システムを運営する会社や、利用する車及び利用するためのスマートフォンアプリの名称を指すこともある。「Uber」は、2010年に米国サンフランシスコでスタートし、14年9月現在、英国、フランス、オーストラリア、シンガポール、中国、日本など45カ国、100以上の都市で利用できる。14年3月3日にはUber社が日本市場へ参入したため、14年9月現在、東京都心での利用が可能となっている。
Uber利用者は、スマートフォンに専用アプリをダウンロード、インストールし、初回に、名前、メールアドレス、クレデイットカード番号などの情報を登録する必要がある。>
引用終わる
となっているところを見ると、その地方では恐らくスマートフォンよりは大きくて扱いやすいタブレットを導入したのかと思って見ていた。重ねて言うが「時代は進歩して変わっていくもの」だと痛感したのだった。