新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月19日 その3 アメリカのメデイアと我が国のマスコミ

2017-05-19 20:23:38 | コラム
我が国のマスコミは不誠実:

私はオバマ大統領が初登場した頃に、共和党支持の元の上司や同僚から民主党が下院院内総務(下院議長?だったか)のナンシー・ペローシが主導して、共和党寄りの記者会見とうからFOXを閉め出したのは誠に不穏当と聞かされておりました。昨夜、Prime newsでは小森義久氏とデーブ・スペクターがアメリカの新聞やテレビは支持政党を明確にして論じると指摘したような事態は、オバマ政権下でも明らかでした。

この辺りが我が国とは大いに違うのですが、我らがマスコミはそういうことを一切報じずに、NYタイムスとワシントンポストが恰も全国紙で読売や朝日のように読まれているかのように伝えて、罪なき読者を惑わしているのは怪しからんと思います。ハッキリと「アメリカの有力地方紙であると思っているニューヨークタイムズによれば」とでも言うべきでしょう。

事実、私は20年間アメリカ出張の際には主にシアトル市内のホテルに泊まっていたのですから、ニューヨーク州とワシントンDCの新聞なんて見たこともありませんでした。部屋に入ってくるのはUSA Todayだけ。朝は食堂にあるアメリカで印刷している日経と読売を読んでいましたが。因みに、シアトルの地元紙は日曜版だけは食堂にあるので読みましたが、日本のことなど一行も触れていませんでした。アメリカの新聞ではこれが普通です。地方紙ですから。

私はBSフジはデーブ・スペクターを色物の芸人とでも見做して使っているのかと思って、面白がって見ています。だが、時々「へー」と思うことも言ってくれますから捨てがたいところがあるのです。


5月19日 その2 5月18日のPrime News

2017-05-19 08:13:04 | コラム
トランプ大統領対アメリカメデイアの対立:

昨夜は折角巨人がヤクルトに負けてしまうであろう野球の中継を犠牲にしてまでも、これを採り上げたPrime newsを見ておりました。幾つか痛感したことがありました。順序不同で並べてみます。

トランプ大統領の「親父感覚」:
先ずはデーブ・スペクターだったかが「トランプ氏は自営の不動産業者の長だったから何でも自分の思う通りになっていた経営から離れられずに、大統領になっても自分の思う通りに振る舞っても良いのだと考えて行動しているようだ」から。

それだけではないと思いますが、朝令暮改式且つ衝動的に言うこともやることも変わってくるのも、そう思えば不思議ではないだろうということ。彼のやることの中には良いものもあるので、一概に「駄目な大統領」と決めつけるのは当たっていないとも言えるでしょうか。

そこで思い当たったことがあります。それは我が国の紙流通分野には以前は「~洋紙店」と名乗っていた紙屋さんには圧倒的に個人経営が多く、「親父」(=社長)が絶対的な権限を持って経営していました。だからと言って親父が専横な振る舞いをする訳ではありませんが、社員たちは親父に絶対服従で命令に逆らうことなどあり得ない世界です。

私は就任以前からトランプ大統領を見ていて「親父的感覚の持ち主だ」と思ったことが何度かありました。それが良いか悪いかよりも、彼がその感覚のママで大統領になった場合にはそれこそ、以前にアメリカの元同僚が指摘したように"disaster"になりはしないかとも考えてはいました。

だが、大統領にでもなれば、側近や閣僚たちの進言やブリーフィングを聞き入れて変わっていくこともあるだろうとも何となく期待していました。だが、デーブ・スペクターは「全く聞き入れておらず、自分の思うがママに行動するのでそれが衝動的に見える」としてしていましたが、それ即ち「親父的感覚」の表れだと思うのです。

渡部恒雄氏:
一見何処かの大新聞の大経営者を思わせる氏名ですが、笹川財団の方でした。この方は以前にも登場されたと思いますが、スペクターに刺激されたのか、かなり思い切った発言をされ批判すべきはズバリと言われていたのが印象的でした。

古森義久氏:
彼は私が最も信頼するに足るジャーナリストの一人だと思っております。彼は暴走気味の発言をするスペクターを笑って受け止めるかと思えば宥めたりしていました。そして結論的に「あんたは民主党派だから」と言って止めを刺しました。

私は小森氏がトランプ大統領は弾劾されるまでには至るまいと言われましたが、その通りかとは思います。また、トランプ大統領はニクソンのように弾劾される前に辞任するような人物だとは思っておりません。

私はスペクターはそれほど奇矯だとは思いません。彼がアメリカ人であり、アメリカ国内での色々な情報をつかむ能力は我々外国人とは比較にならないと思っておりますので、彼の極端とも思える発言も「聞いておく必要がある一部の意見だ」と思うようにしております。

マスコミ批判:
気になったのは相も変わらぬマスコミの誤訳。小森氏が指摘してくれたので安心しましたが、特別検察官だかに任命されたMueller(私はこの綴りを見た瞬間にミューラーと読みましたが)は"special council"だったのです。私はてっきり"special prosecutor"だと思っていました。大間違いの訳でしょう。小森氏が指摘したように"council"では検察官ではありません。私は改めて毎度のようなマスコミのfake newsを非難したいのです。

ここでも明らかになったことは、如何にネット時代でその州に住んでいなくてもNYタイムスやワシントンポストが読める時代になったとは申せ、両紙とも(何度も指摘しましたが)限られた地域の新聞でアメリカ全土で読まれている訳ではなく、アメリカ全体の世論を形成していないことが、この番組でも(そういう意図ではなかったでしょうが)指摘する結果でした。

鳩山由紀夫元総理がワシントンポストに"loopy"と揶揄された際に、マスコミはワシントンポストが恰も全国紙でこのニュースが全米に伝わったかのように報じました。それが真実か否かをオレゴン州に住む知人に確かめたところ「知りません。私はオレゴン州に住んでいます。ワシントンポストなど読む訳はないと貴方は承知しているでしょう」と厳しく批判されたのでした。

番組全体の結論的な感想では非常に勉強になった時間で、如何にトランプ大統領が危なっかしい政権運営をしているようだと見られていることを改めて学びました。


上手なプリゼンテーション

2017-05-19 08:01:41 | コラム
プリゼンテーションで聴衆の集中力を切らさないようにする方法:

ユーモアの感覚は必要でしょう。以下は昨日の補足です。出来る限りこれと思った場所で思い付きの冗談を入れるか、予め用意して”narrative”の中に赤字ででも書き込んでおく手もあります。但し、日本人だけへのプリゼンテーションでは冗句は不謹慎と取られる危険性があるので要注意です。集中力を切らさないどころか「何と下品な」とそこから先を聞いて貰えなくなる危険性もあります。

W社ジャパンの副社長だった某氏は練達熟練の語り手でしたから(因みに、落語の名取りでもあったそうで)導入部で「えっつ、今日は一体全体何の説明だったのか」と思わせるような関係があるようでないないような面白い挿話から語り始めて聴衆の関心を惹き付ける上手さがありました。これは予め準備しておくのではなく、その場の雰囲気から判断するようでした。

1974年4月にフロリダで開催されたM社パルプ事業部門の大規模で全世界に駐在する部員と販売代理店の代表者を集めた際の部会では、本部長の開会の辞は実に気の利いた猥談から入り、皆を「???」とさせましたが、それと解ってからは拍手喝采で固かった雰囲気が一気に変わりました。そして本部長は「これから1週間皆で楽しくやろう」と締めました。アメリカ人の”sense of humor”には勝てないと知りました。

私は我が国内でのプリゼンテーションではここまでやるべきではないと思いますが、聴衆の集中力を切らさずに聞いて頂ける方法を常に心がけておく必要はあるともいます。