新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Englishと英語の文化を比較すれば

2023-03-01 08:26:21 | コラム
Englishと英語は違うのだ:

今回はすでに論じた「Englishと英語は違うのだと認識せよ」の続編だとご理解願いたい。

先ず、前回取り上げたアメリカのMLBと我が国の野球とBaseballの違いについては1990年に紙業タイムス誌に連載していたエッセイでは

“1987年にMLBから最初に我が国のプロ野球に転じてきて大きな話題を提供したJames Robert “Bob” Horner(アメリカではバブ・ホーナーであり、断じてボッブ・ホーナーではない)が1年だけヤクルトに在籍して「もうこれ以上something like baseballをやるのはイヤだ」と言ってアメリカに帰っていった事にある。即ち、我が国でやっているのは「野球」であってbaseballではないと言ったのだ。”

と述べていた。

後年MLBに転身した慧眼のダルビッシュ有はシーズンに入る前の時点で「アメリカでは野球ではなくて、何か異種の競技をやっているのではないかと感じた」と見抜いていた。誠に立派な見識であり、baseballと野球の違いを短時間で見抜いていたのはたいしたものだと感心した。

では、どのように違うかを簡単に言えば「MLBでは選手個人の能力と力量が主体となっていて、選手個人がティームの勝利のために犠牲バントをするような組み立てはしないのに対して、NPBの野球は「和」というかティームワークが基調になっており全体のためには個人の犠牲も厭わない精神がある」のだ。

今回は野球とBaseballの相違を論じるのが目的ではないので、話を先に進めよう。

二進法的思考体系:
私が最も大きな違いだと認識しているのが、Englishにおける二進法的な思考体系である。「日本語では断定的な表現を避けるので、最後まで聞いていないと何が言いたいのか分からないように話せるが、Englishでは主語に続いて動詞が来るので何を言いたいのかは直ちに分かるような語順になっている事」である。最近聞いたCMに「会社を辞めるのを止めようと思ったのを止めた」というのがあったが、Englishでは先ず出会うことがない言い方だ。疑問の余地を残す言い方はしないのがEnglishなのだ。

個人の意思を表現する:
私が感じた第2の相違点が「自分の意思で表現することが肝要であり、特にビジネスの世界では伝聞を語るのは禁物だ」という点だった。常に「私はこのように考える」というように主語を「私」即ち“I”にすることなのである。お気付きの方もおられるかと思うが、私はこのEnglishの話法から未だに離れられないので常に「私」を主語にした表現をしているのだ。要するに「Englishとは個人の主体性を重んじる言語だ」ということ。換言すれば「伝聞を語るのならば、その源を述べよ」なのである。

逆さの文化:
簡単に言えば「日本語とは語順が反対」である言い方が多いこと。私が「ここでも違うのか」と感心してことがあった。それは、家族内の子供を紹介するときに下から言い出すこと。日本語の文化では先ず「長男が何歳で次は次男が」となるが、Englishではこういう紹介の仕方に出会ったことはなかった。住所でもEnglishでは先ず何番地、何丁目、何通りから始まるが、日本語では日本国とは言わないが「東京都新宿区大久保」のように求心的になる。手招きだって掌を上向きにしているのがEnglish風なのだ。

不規則性:
私が常に取り上げているように、Englishではローマ字読みのように「規則正しく綴りそのままでは発音しない単語が多い」ので悩まされる。最近しきりに「アクアリューム」のCMが流されているが、aquariumの発音は「アクエアリアム」と書けば最もEnglishに近くなる。これは“a”をローマ字のように「ア」と発音しない一例で、ほかにも「オアシス」の“oasis”は「オエイシス」がEnglishの発音。何度も取り上げたが青木功氏は「エイオキ」とされてしまうのだ。

他には動詞がEnglishの不規則性をよく示していると思う。日本語では「規則動詞」となっている”regular verb“だが、実際には不規則動詞(irregular verb)の方が多いのである。その不規則ぶりをよく覚えておかずに間違えると「無教養」の誹りを免れない世界だ。私は「費用がかかる」という意味の”cost”が不規則動詞であることを忘れて”costed“と言ったアメリカ人がいたのを聞いた記憶もあるし、teachedと言ってから慌てて訂正した同胞にも出会った。Englishとはこのように面倒な言語なのだ。

長くなるので、この辺で終わるが、少しでもEnglishと英語の違いをお分かり願えれば幸甚に存じる次第だ。