新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月5日 その2 高齢者に三寒四温は禁物か

2023-03-05 08:11:27 | コラム
気温の変動が怖いのである:

昨日、ジムのエレベーターの中で高齢のご婦人に「温度が上下するのが辛い」と言われたばかりだ。私は80歳を超えた辺りから、外に出てもあまり気温の上下動というか季節的な暑さと寒さの変動を感じなくなっていた。

どうやら、この鈍感さ即ち「高齢化現象」らしいのだが、どちらかと言えば感じない方が好都合なので、さして、気にも止めていなかった。だが、愚息には繰り返して「家の内と外の気温の変化に注意せよ」と警告されても、軽く聞き流していた。

ところが、この聞き流しがとんでもない誤りだったと、昨日痛感させられた。それは、昨日の朝の天気予報では17度と暑くなると知らされたので、それに備えようとユニクロの極暖の下着を上下とも薄い物に変え、おそらく今年初めてのことだっただろうダウンジャケットではなく普通のジャンパーに着替えて、意気揚々とジムに出かけた。帰りも湯上がりの火照りを冷まそうと、バスの停留所のベンチに5~10分ほど座って「心地よい陽気なったな」と寛いでいた。

ところが、である。8分ほどのバスの旅を終えて歩き出すと妙にフラつくのだったが、無事に13階の我が家に帰った。そして、昼食に体が温まるだろう喜多方ラーメンを食べた後から体に力が入らなくなった。ソファーに横になってみたが、効果がないのでベッドに横になってみた。だが、脱力感が抜けないままにウツラウツラして、気がつけば4時近くになっていた。愚かにも「これは何であるか」の見当もつかなかった。食欲もなかった。心拍数は正常だったし、熱もなかった。

5時に近くなって漸く気がついたことがあった。それが「気温の上下動に、体がついて行けていなかったのではないか」という愚息の警告だった。暖かくなるからと聞いて、外の気温の変動から体を守っただろう「極暖」の下着を止めダウンジャケットも着用していなかったので、17度の高温の影響をまともに高齢化した体に受けさせてしまったことが敗因だっただろうと思い当たったのだった。警告はエレベーターに乗り合わせたご婦人からも発せられていたではないか。

そこで思い出したことがあった。それは、製紙工場の中での話。ご存じの方もおられるかと思うが、抄紙機の数多いドライヤーのロールの辺りは異常に暑いのだ。その高温から体を防御しようと、その場ではダウンジャケットを着ている工員もいるということ。ダウンジャケットは寒さだけではなく暑さも防ぐ効果があるのだと、管理職が教えてくれた。

この理屈を応用すれば、昨日は極暖の下着とダウンジャケットを着て外出していれば良かったということになる。故に、今は極暖に戻してある”better late than never”だと思って。でも、遺憾ながら未だ体調は完全に戻ってはいない。本日の予報は11度だ。極暖が守ってくれると良いのだが。


また高齢のご婦人に話しかけられた

2023-03-05 07:20:16 | コラム
また高齢のご婦人に話しかけられた:

昨日はジムで今年から導入されたQRコードを使ってのチェックアウトを終えてエレベーターに乗ると、後から駆け込んできた高齢のご婦人に「こう暑さと寒さが変わると大変ですね」と話しかけられた。実際その通りだと思っているので、素直に「そうですね」と応じたところで1階について分かれた。正直なところ「また今日も話しかけられた」なのである。何故か私はこういう場面か、バスの停留所等で、高齢のご婦人に話しかけられる確率は確実に75%には達していると思う。

先週の木曜日には、停留所のベンチで束の間の休息を楽しんでいた私に、後から腰掛けられた方に話しかけられた。その方は昭和7年3月生まれの91歳で私の1学年上。昭和20年5月に生まれ育った青山の家が空襲で焼かれたときには長野に疎開しておられて怖い目には遭わなかったが、戦後は住むところで苦労したと回顧された。また、私も経験した勤労動員や農村動員の話もしておられた。同じように20年4月に家を焼かれた私とは話が合ったのだった。

だが、こんなことを言っても今で分かる人は少ないだろうなと、あの頃は食べるものがなかったことなどを懐かしくもなく語り合った。この方は都営の高齢者住宅がある停留所で降りていかれた。この都営住宅については、別の機会にバスに乗り合わせた高齢のご婦人が「この住宅建設計画を前倒しにしてくれた石原さんには本当に感謝している」と言っておられたので、「我々の同期の英雄・石原君の数少ない功績ですね」と、思わず口が滑ってしまった。

私はマスクで顔の半分を覆い隠されるようになってしまう前から「何故、自分が高齢のご婦人たちにこれほどの頻度で話しかけられるのか」と、不思議な現象だと思わせられている。マスク無しの頃は「よほど人畜無害」のような顔付きででもあるのからか」と疑っていた。だが、マスクありの流れになっても事態は変わらない。私以外にもこういう経験をした方がおられるのだろうか。

何でそうなるのか、もしもその辺りの心理状態をご存じの方がおられたら是非とも教えていただきたいと願っている。