WBCで優勝する為には先ず韓国に勝たねば:
今回の根幹は「文化比較論」である。何処の局だったか覚えていないが、30人の選手たちに「優勝する為に何が必要か」と問いかけた。ほとんどの答えが「チームワーク」と「皆が一丸となること」だった。どちらも同じことを言っているのであり、これが我が国の「スポーツという文化」の中で、最も重要な精神であることに異議を唱える者はいないだろう。かく申す当方もその精神の下に、高校生だった頃に「全国制覇」を目指して一丸となることに懸命に努めていた。
これ即ち、「自分という個人の存在を消してでも、全体という太いパイプの中に我と我が身を溶け込まそうという努力」だと信じて、土・日も祭日もなく、皆が集って切磋琢磨してきた。勿論、勉強をすることも忘れずにだが。結果を言ってしまえば、決勝戦で無念の敗北。昭和23年(1948年)のことだった。
そういう運動部(我々の時代には体育会なんて言っていなかったし、部活でもなかった)で育ち、就職しても「皆で一緒になってチームワークを重んじて、日夜業務に精励しよう」と努力した。この「全体の為に」という美しい精神で、1972年6月まで一所懸命にやってきた。だが、高校を卒業するときに担任の先生に「君は最後まで同化しなかったね」と言われた。何を言われたのかサッパリ解らなかった。
そして、39歳になってから想像もしていなかったような異文化の世界のアメリカの企業に入っていったのだった。それまでは「会社」の一員だっただが、今度はCorporation(Company)に変わっただけで、根本原理は同じ事だろうと無邪気に信じて。
ところが、新たに身を投じた世界は大違いだった。「とんでもないところに来てしまった」と気がつくまでには、しばらく時間を空費してしまった。1975年にはウエアーハウザーに移ったのだが、その3年目だったかに当時の次期社長候補#1のチャーリーと東京事務所全員の夕食会の席上で、チャーリーに「アメリカと日本の会社では何処がどう違うと思うか」と問いかけられた。
懸命になってない知恵を絞って捻り出した答えは「戦艦の大船団に譬えれば、日本の会社は全てが旗艦の命令の下に同じ方向に一糸乱れずに突き進み、目的を達成する仕組みになっている。だが、アメリカではそれぞれの戦艦が自ら思うままに立てた戦略と戦法でバラバラに突き進んでいくことが許されており、結果的には所期の目標は達成して見せているという歴とした違いがある」だった。チャーリーは黙って聞いてくれたし、誰も異議を唱えなかった。
この答えが正解かどうかは別にして、「アメリカの会社」というか「アメリカでは」とすべきか、この世界の文化では「個性」と「個人の能力」を基調にして全てのシステムが出来上がっていているのだ。その具体的な表れの一つが「職務内容記述書」(=job description)であって、即戦力として採用された実務経験者が、誰の指示を待つのではなく、その内容通りに与えられた課題を達成して、全体としての目標も達成するのだ。全てと敢えて言うが「各人の力量」に懸かっているのだ。
そういう仕組みになっているのだから、大学の新卒者などを採用して事に当たらせようとは微塵も考えていない。そういう異文化を見て言い出したのか、近頃は「job型雇用」などを開始したそそっかしい会社もあるようだ。「個人の経験と力量に依存する世界の手法を『ティームワーク』と『皆で一丸となって』の精神を重要としている我が国に、異文化の組織のやり方を導入して根付く訳がないとは考えなかったか」と、極めて奇異に感じて眺めている。
1970年代の後半だったか、初めてシアトルでMLBのマリナーズの野球を見る機会を与えられて痛感したことは「彼らはティームの為も然る事ながら、自分たちの力量を自分たち独自の方法で発揮することが、究極的には全体の成績に貢献するのだ」としか考えていないようだ見えてきた。この「この個人の主体性の発揮」は会社と同じ事だとも見えてきたのだ。「これぞ異文化の世界」だと思うのだが、全体の目的を達成する為には「個人の力」に任せているのがアメリカの文化なのだ。
我が生涯の最高の上司と呼ぶ副社長兼事業部長は「要はteam effortが肝心であり、team workではない」と皆に語りかけていた。即ち、teamとしての努力は必要だが、その方法は各個人に任せる」と言ったのだと解釈した。
時代遅れの名称としか思えない「侍ジャパン」が優勝する為には、各人が持てる力を最高限度までに発揮することが必要だろうと思う。その大目標を成し遂げる為には自己を犠牲にしたバントをするのが我が国の野球の文化であり、アメリカ式は各人が来た投球を思い切り叩くのがティームに貢献する最善の手法なのである。
今夜対戦する韓国の文化はアメリカ式に近いと思ってみているが、根幹には「反日」の精神主義があるのは間違いないところ。皆が一丸となって先ずはダルビッシュを盛り上げて勝って欲しいと願っている。
なお、当方は”team work“を「チームワーク」とするカタカナ語表記は採らないので「ティームワーク」を使った。