メデイアは何故今になっても「時差ボケ」などと言うのか:
メデイアは常日頃からあれほどカタカナ語を乱れ打ちしているのにも拘わらず、何故彼らは使い古した時代遅れ感に満ちた「時差ボケ」などという汚らしい表現を使うのだろう。他人様に対して「ボケ」などと言うのは失礼ではないのか。英語は”jet lag“だから、素直にそのまま「ジェットラグ」のようにカタカナ語にしておけば格好が良かったのではないのか。
今回も日本時間の今朝ほどか、マイアミに到着した我らのWBC代表ティームにも、21日に準決勝戦では「時差ボケ」の心配があると気遣う声も報じられていた。確かに、13時間もの時差を繰り返し経験したことがない一部の選手たちには、中4日でもキツいかもしれない。ダルビッシュや大谷にしたところで、アメリカ国内の最大限3時間の時差には慣れているだろうが、ダルビッシュはもう登板しないだろう。
初めて経験する人たちにとって最も重要なことは「昨日到着したときに感じただろう猛烈な眠さがあっても絶対に寝てはならず、現地時間のままで過ごすよう努力すること」だ。もしも寝てしまえば、体というか(体内時計?)がそのまま日本時間で動いていくので、ジェットラグを克服できなくなってしまうのだ。経験から言えば「そんなことがあると意識せずに過ごせば」必ず何とかなる事なのだ。
1972年8月に初めて東海岸時間帯のジョージア州・アトランタのホテルに一泊して朝だと思う頃に起きたら、体に何とも言い様がない寒さで震えが来て「これは到着早々病気か」と恐ろしくなった。だが、朝食に出かけたところに迎えの人が来て一気に目が覚めた。だが、午後になってから会議中にもの凄い眠気に襲われて四苦八苦した。それでも、初めて来たアメリカでアメリカの会社の幹部に会うのでは眠いなどと言っている暇もなく、翌日からは何とも感じなくなってきた。
それ以後はアメリカに何度出張しようと、一切時差などを感じていられなくなったのか、ごく当たり前のように体が現地時間に対応し、帰ってくれば当たり前のように16~17時間のジェットラグを自然に克服するようになっていた。これなどは「習うよりは慣れよ」であって、時差があるなどと意識さえしなければ、何とかなるということだと思っている。
自慢話めくが、極端な経験を振り返ってみよう。その時は日曜日に帰国して月曜日に出勤すると、ある得意先から「ヨーロッパに出張していた幹部がこの機会に何とアメリカに回って御社の本社を明日訪問したいと連絡してきた。副社長と打ち合わせの上、アテンドに行って欲しい」と依頼された。将に「待ったなし」なので打ち合わせの上で、翌日再度アメリカに向かった。
シアトルにはアメリカ時間で同じ日の朝8時に到着するので、10時からの副社長との会談に充分間に合うのだ。会談後には昼食会があり、200km南の工場に車でご案内して(私は運転の仕方を知らないが)工場長と懇談と見学。そしてまた3時間のドライブでKing Domeのボックス席にご案内して野球見物と夕食だった。終わって11時半。ホテルにご案内して翌日は午前中に出社してから、13時だったかのノースウエスト便でのご帰国にも同行。帰ってきた時にはどっちの時間帯にいるかなど解らなくなっていた。
それでも、翌日に出勤しないことには「ワンオペ」であるのだから、業務が回っていかないのだ。要するに、アメリカ人たちは「時差」などはあって無きがごときに対応しているし、彼らの体の大きさと体力の強靱さで充分にこなしているのだ。おそらく、WBCの運営当局はこうした考え方に基づいて予定を立てているのだろうと思ってみている。即ち、事務局は日本代表に十分な”lead time“を与えてあるとでも思っているのだろう。代表ティームには「ボケている暇」はないのだ。頑張れ。