大谷翔平は「レベルの違い」を自分で見せてくれた:
昨6日の朝にテレ朝で、松岡修造のインタービューに答えた大谷翔平が「MLBとNPBでは野球のレベルが違う」と言ったので、修造君はやや当惑気味だった。その辺りをダルビッシュ有は10年ほど前だったか向こうに渡ったすぐ後で「MLBでは野球ではない何か別種の競技をやっているのかと思った」と述べていた。私は大谷がそう言ったのを聞いて「ダルビッシュとは違うことを言ったようだが、同じ事の表現を変えて言っただけだ」と受け止めた。
大谷翔平はその「レベルの違い」とはどういうことかを、昨夜の試合で十分に見せてくれた。昨夜からテレビも新聞も「パワーの違い」ばかりを驚嘆する報道の仕方だが、私はそれでは何ら「レベルの違い」の説明にはなっていないし、第一大谷翔平の何処がレベル違いなのか、その違いが何処から来ているのかに全く触れていないのは、片手落ちどころではない両手落ちだと断じたい。要するに「大谷翔平はパワーだけでホームランを多発できるように成長したのではない」のである。
私は野球とbaseballの違いは歴然としてあると感じていた。それは、在職中に何度もMLBのbaseballを見る機会を与えられたし、NPBの野球見物にも慣れ親しんでいたからだ。実際初めてシアトルのKing Domeでマリナーズを見たときにただただ感心したのは彼らの洗練された華麗なbaseballの技術であり、身体能力の高さだった。思わずウットリとなっていた。「なるほど、格が違うな」と思わずにはいられなかった。
率直に言えば、大谷翔平が言う通りで未だにMLBの方がレベルは高いと思う。それが証拠に、日本から出て行った投手たちには成功者は多かったが、打者ではイチロー君と岩村明憲を除いては、成功の部類に入れても良い選手が出ていなかったではないか。
そこに、6年前にアメリカに渡った大谷翔平はその天与の素質を十二分に活かして、M LBの中でも超一流の選手にまで成り遂げていたのだった。私がここに強調したいのは「彼の攻守走全ての分野での大活躍は、果たして素質だけのお陰だったのか」という点なのだ。即ち、彼がMLBに入ってから、どのコーチかトレーナーがどのように指導して、彼の体幹と身体能力を今日の凄いというしかないないような体格に仕上げたのかは、全く報道されていないのだ。エンジェエルスが秘匿しているのか?
問題は「彼はただ単に素質が優れていただけで、あのレベルの選手にまで成長できたのか」ということだ。私は一般の人の目には入らないところで、大谷はウエイトトレーニングも含めて、非常に合理的かつ科学的な鍛え方をされたか、自発的にしてきたのだと思っている。アメリカにはそういう鍛え方というか育て方が確立されているのだ。具体的な例を挙げれば、錦織圭の出身校のIMGアカデミーがある。ここでは数多くのNBA、NFLやMLBの選手を育てているし、日本からの留学生も多い。
大谷はアメリカと我が国とは「練習法」ではなくて「育て方のレベルが違う」とも言いたかったのだと解釈して、昨夜の試合では何処まで「レベルの違い」を見せるのかと期待していた。対戦相手のタイガースの岡田監督は、昨年度の最多勝投手の青柳(何で栗山監督は彼を外したのだろう)ではなく、昨年は育成選手だった才木や新人を当てていった。
私は、だから大谷が2本もホームランを打ったのではなく「レベルの違うところでの超一流選手とは如何なるものか」を、片手で片膝ついてもホームイランにして見せてくれた。今日までにNPBには数多くの元大リーガーや大リーガーになり損なった者たちがやってきていたが、現役バリバリでしかもMVPを獲得した選手がやってきたのだから、「レベルの違い」をマザマザと見せつけてくれたのは何ら不思議ではないのだ。その違いを簡単に「パワー」で片付けるのは失礼ではないのか。
折角、その超一流の大谷や40歳を過ぎてまでの6年契約をしてきたダルビッシュが参加して「レベルの違い」乃至は「格の違い」を演じて見せてくれる機会を与えくれたのだから、パワーだの凄いだのと素朴なことばかり言っていないで、超一流選手の力量と優れた技術を見せてもらえる、またとない機会を楽しむべきではないのか。私はLA Angelsの大谷選手が片膝つくほど崩されてもホームランを打ったのを見ていた。それは「パワー」だけのことではあるまい。技術ではないのか。
最後にpowerという単語をOxfordで見れば、カタカナ語の「パワー」(=力)に相当する意味は出てこない。あれは「権力」か「威力」を意味するpowerを「身体能力の強さ」という意味に転嫁してしまったのだと思う。