新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月18日 その2 サッカー今昔物語

2023-10-18 15:08:34 | コラム
昨17日夜の対チュニジア代表とのサッカーを見て思うこと:

FIFAのランキング第19位の我が代表が29位のチュニジア代表に2対0で勝った試合の内容と、第二次森安体制下では無敗を続けたという良い話はテレビと新聞にお任せして、昭和20年=1945年に蹴球部に入って古き良き時代に蹴球を始めた私が、あの試合を見て感じたことを回顧談と共に語ってみようと思う次第だ。

*ルールの変化:
ずっと指摘しようと思っていて今日まで来てしまった。21世紀の現代人はご存じないかも知れないが、往年の蹴球では「選手の試合途中の交代」は認められていなかった。即ち、誰か壊れてしまったならば、10人でやることになっていた。また、GKは「ファイヴ(5)ステップ」という規制に縛られていて、ボールを捕った後には5歩しか歩くことが許されていなかった。現在の規制と比較して見て欲しい。

次はゴールキックで「一旦ペナルティーエリアの外側に蹴り出すこと」と定められていて、エリア内では誰も触れなかった。キックオフもセンターサークル内に2人並んで立ち、どちらかが先に蹴ってボールが1回転するまでは隣の者は触れなかった。であるから、キックオフからウイングプレーヤーを走らせて置いて、いきなり敵陣深く蹴り込むとか、2人目のFWは相手が当たりに寄ってくる前に急遽後ろを向いて、ハーフバックにパスをするような方法を採っていた。現在は即後方に蹴っている。

これほど細かい点が変わっているので、そういう変更があったと知らなかった私などは「アナウンサーなり解説者にはそのような変更があったと指摘をする親切心がないのか」と不快に感じている。

また「背番号10」を何か栄光の番号であるかのように言うのも奇妙だと感じている。WMフォーメイションの時代には背番号がポジション別で決まっていたので、「何を言っているのか」と奇異の感にとらわれていた。あれは、その昔には左のインナーの番号に過ぎなかった。

*戦法の変化:
昨夜の試合でも、我が代表は吉田麻也がいなくなっても「暇さえあれば、思い切って後方にパスを展開して横から横へと動かして(英語では“move the ball“などと言っているが)、前方で何処かに空き地が出来るか、誰かが果敢にも動き出すのをジイッと待つ戦法を多用するので、見ている方が欲求不満になった。即ち、「格下が相手でも積極果敢には攻めないのか」と。

ところが、格下のチュニジアも何を思ったのか、我が方を見習ったのか、後方への展開を頻繁にやって見せてくれた。そんなことだから、後半のアデイショナルタイムのまたアデイショナルかなと思わせられた頃になって、漸くゴールの直ぐ横を外れたシュートが1本出来ただけに終わったのだ。

解説の槙野だったか松井が指摘したように、彼らは日本のサッカーのスタイルに慣れるか馴染むまでは「何をしに来たのか」と疑いたくなったほど、思想も理論の裏付けもないサッカーをやっていた。テレビも新聞も「勝った、勝った」と大喜びだが、彼らは何であれほど森保監督と協会に気を遣うのか解らない程見所がない試合だった。

*久保建英:
森保監督は昨日も久保を最後までピッチに置いておかなかった。何度でも言うが、監督さんは久保のようなタイプの選手が嫌いなのか個人的に合わないのかと疑いたくなる。昨日などは解説者たちが「流石にものが違う」と絶賛していたし、私も同感だった。

あの後半に漸く2点目になった、久保が左サイドをキープして上がり、中の動きを良く見て上がってきた伊東純也の前にフットボールで言う「りードをつけた横パス」を通して、鮮やかに反対である右足で蹴り込ませた辺りの上手さには唸らせられた。それでも、監督さんは橋岡程度と入れ替えるのだ。

*選手たちの進歩:
立派なものだと思う。ヨーロッパで一本目を張っていられる者が増えたという事は、昨夜のような格下と見えた相手には余裕すら感じさせた。全員が非常に一所懸命に忠実な動きで守っていたし、体格の不利など殆ど気が付かなかったほど巧くなっていた。

上手くなったという点では伊東純也が私の目には最も素晴らしい。彼は当初は単に足が速いというだけが売りで雑だったのが、あそこまで足の速さを活かすサッカーが出来るようになっていた。私が望むことは「彼も他の者たちも、もう一歩、決定力をつけて欲しい」だけである。

私の目には「未だエースストライカー」と呼べる者が育っていないのだ。それは、ヨーロッパのリーグではそのポジションを任せて貰えるまでの領域には達していないという事か。折角あの次元にまで上達したのだから、もうそろそろ「後方への躊躇なきパスの展開戦法」から脱却しても良くはないのかな。偶には、目の前の敵を抜いて見せて欲しいと願うのは無い物ねだりか。


今さら言っても遅すぎるかも知れないが

2023-10-18 07:03:59 | コラム
フットボール系の球技では味わえない大逆転勝利のスリルを楽しませてくれたロッテマリーンズ:

昨日は格下なのかも知れないチュニジア相手のサッカーがあったかと思えば、今夜からCSのファイナルだったかが始まってしまう。これでは当分スポーツばかり論じていくことになりそうだ。

実は、16日のロッテの滅多にないだろうと思う逆転を見ていて感じたことがあったのだが、何故か発表していなかった。そこで遅まきながら矢張り下記のように発表しておこうと思うに至った。

あのまさかと思った藤岡のホームランの後で、ポランコは三振ばかりしていたので期待できないと思った途端にフライアウトになった。そこで「岡が何とかして出て、安田に回せば何とかなりはしないか」と瞬間的に閃きが来たが「まさかそんなに上手く行かないかな」と否定してしまった。だが、大津という新人の投手から岡が本当に渋く三遊間を抜いて出て行ったので「ひょっとすると奇跡が起きるかも」と考え直した。

次には「ここで安田が本当に打ったら凄いな、というか面白いな」と期待していた。それが現実になって右中間に。ホームランにはならないと一目で解った。だが、この当たりならば岡は生還できるかなと期待した。しかも、ライトは柳田ではなかったようで、捕ってから踏みとどまれずにセンター方向に走りすぎ、フットボールで言う「throw back」の形になって送球が微妙に遅れた。

その何とか言う右翼手が下手だったのか、柳田を代えていた監督の判断の誤りか、あるいは両方かが敗因になったと思う。勝敗などいうものは、このような微妙な判断の誤りで決まってしまうという例だったと考えている。他にも藤本采配には失敗があったと言いたい。それは、あの10回に捕手を甲斐からから嶺井に代えていたことも加えても良いと見ている。何処かに指摘されていたが、角中に対して直球だけ10球も続けて挙げ句の果てにヒットを打たれて敗因の源になってしまった。

ソフトバンクの藤本監督には失礼な言い方になるかと思うが、譬え辞任しなくても解任は間違いないと見ていた。そんな程度だから、あの岡の本塁へのヘッドファーストスライディングのセーフの判定にチャレンジなどしてしまう無駄だとしか思えない抵抗をしたのだ。

英語の講釈で申し訳ないが「アナウンサーがリクエストと言うのは誤りで、チャレンジしました」が正しいのである。正確を期せば「ヴィデオ判定をリクエスト」と言うべきであるし、「異議申し立ての意味であるチャレンジしました」と言っても良いのだ。「チャレンジ」には「挑戦」だけではなく「意義を申し立てる」の意味がある。

あんな明らかにセーフなのに、チャレンジしようとした藤本さんには、哀れさすら感じていた。今日までに野球の試合を沢山見てきたが、あれほど重大な試合での「最後の最後でのひっくり返し」には「ビックリ仰天」だったし、勝負を諦めていなかったロッテの選手たちには敬意を表したい。

あのように大逆転できるところに野球という競技の醍醐味というか、見ている人々を楽しませてくれる面白さがあるのだ。フットボール系の競技では一度の攻撃の機会(オフェンス)に取れる点数が決まっているので、あのような逆転はあり得ないのである。

ズバリと言ってしまえば「あの試合では指揮官の器量の差があれほど明らかに出てしまったので、藤本監督が試合終了後直ちに解任されたのは仕方がなかったかも知れない」と思う。だが、あの人を監督になってからのソフトバンクの不甲斐ない試合を見ていると、彼を監督に任命した上層部には責任がないのかと言いたくなる。

なお、私はあの大逆転勝利のヒーローとして褒めて上げるべき選手には、執念深くファウルを打ち続けた角中であり、判断良く走った岡を加えるべきだったと思うのだ。でも、ロッテには未だ「お目出度う」とは言えないが「良かったね」とは言える。