オリックスと、阪神の敗因を分析してみた:
38年ほど前の事になっただろうか、某大学のアメリカンフットボールの後援会長を仰せつかっていた事があった。練習を見に行ったときに監督さんから「学生たちに一言を」といきなり振られたのだった。そこで語ったことを思い出してみよう。大要下記のようなことだった。
「リーグ戦の優勝を目指している以上、如何なる試合でも『平常心』でピッチに出て行けるように充分な練習で君たちの精神をも鍛えて自信を持って試合に臨んで欲しい。即ち、ここで何時も練習しているのと同じような心構えで試合に臨めるよう、技術も心も鍛えておいて貰いたい。その先に優勝があるのだ」
と語ったのだった。この意味は「平常心で試合に臨めるような自信を持て」ということであって、「充分にして適切な練習によって心も鍛え上げておくこと」と言ったのだ。
何故、このような自慢話であり、38年も前の回顧談をするのかと言えば、あの第1戦の前の山本由伸の「とても平常心が維持できているとは見えなかった強ばった表情」を指して言っている。「あれほど何年も続けてNPBでの最高の実績を挙げた山本由伸でさえ、日本シリーズとその前のCSの第1戦に、あれほどの緊張しまくった表情だったのは何故か」との疑問である。
思うに、「山本程に技術が最高水準に達していながら、大事な試合に先発すると、あのリーグ戦中のロッテとの公式戦でノーヒットノーランを達成したような強い心を維持できていなかったのではなかったのか」のではないだろうか。反対に、10勝しかできなかった村上頌樹と宮城大弥は平常心、即ち何時もと同じ心構えで試合に臨んだからこそ、チャンと結果を残せたのではないのか。
私は「精神論」や「精神主義」を否定する方だが、山本由伸のあの無残な打たれ方を見ていると「平常心」で試合に出て行けるような訓練と、心の鍛錬は必要なのだと、改めて痛感させられていた。見方を変えれば、山本由伸は「心を鍛えるような努力をして、あの高度の技術の裏付けとすれば、MLBに行ってもサイヤング賞級の投手として活躍できるだろう」という事。
長々と「平常心論」を述べてしまったが、第2戦を振り返っておこう。阪神は予告した通りに第1戦で打ち過ぎてしまったので、まさか自信過剰になったとまでは言わないが、宮城大弥の巧みな投球術に見事に嵌められて、手も足も出ないようになってしまった。特に困ったものだったのが森下とノイジーとミエセスだった。逆にオリックスは伸び伸びと打っていたし、伏兵的な西野までが長打していた。
特に森下は駄目だった。岡田監督は彼を3番に据えてリーグ戦中は役に立ったが、昨日辺りは中野が出塁した後でバントでもさせたかったのだろうが、無茶振りでダブルプレーとなって、ティームのツキと運を腕で消させてしまう結果になった。私はノイジーをリーグ戦中から「駄目だ」との烙印を押していたが、「日本人の選手で彼を置き換えられる者を育てないと」と嘆かせられた。ミエセスは論評の限りではない。
阪神の打線は近本と中野を抑えることも大事だが、昨日のように木浪の前に出塁していないことには彼を活かせないし、その所為かどうか木浪も宮城に抑え込まれては仕方がなかった。リーグ戦中は3番に前川などを使って試していたが、ここが最大の課題だろう。佐藤輝明を繰り上げる手もあるが、こうすると近本、中野、佐藤輝と左が続いてしまう。でも、明日には宮城は出てこないだろう。
投手陣だが、西勇輝は「練達熟練で優れた技巧派だ」と思わせてくれるときと「残念ながら、もう終わった2 seamだけが武器の投手か」の何れかしかない。あれでは古巣のバッファローズに通用する投手か否かは疑問だと思っていた。では、伊藤将か大竹が通用するかどうかで岡田監督も悩んでいるのではないかと思う。
残る選択は青柳で、彼を先発させて駄目だと思ったら直ぐに代えるくらいのことを試さないと、村上頌樹を中4日くらいで出さなければならなくなりはしないか。と、こんな風に考えてしまったほど、短期決戦ともなれば、阪神は案外に投手が駒不足なのだ。
阪神ばかりを論じてきたが、オリックスにはリーグ戦の三連覇と、昨年にはシリーズを取った実績があり「勝ち方を知っている」ので、昨夜辺りは余裕すら見せている感があった。セントラルリーグには150kmの速球を駆使する投手が少ないので、阪神は宇田川と山崎颯には悩まされてしまうのではないか。明日から先は、阪神対オリックスの中継ぎ陣の勝負で決まるのではないという気がしてならない。