人手不足に解決策があるのか:
街に出れば「空車」で走ってくるタクシーを殆ど見かけなくなった。この近所では東京山手メデイカルセンターの正面入り口には何時も客待ちのタクシーが長蛇の列をなしていたし、バスで10分ほど先の国立国際医療研究センター病院ではタクシーの列は大久保通りにまではみ出しているのが普通だった。それがどうだろう、その2箇所には今やタクシーは影も形もないし、大久保通りには空車は入ってこない状態だ。
テレビのニュースでは都内のタクシー会社の社長が「保有する車の半数は運転手がいないので動いていない」と苦境を訴えていた。運転手不足であるという事。「そこで」とばかりに岸田総理は「ライドシェア」の解禁を唱え始められた。ところが、世論調査では不人気で「安全性に問題あり」という見方が大勢を占めていた。
「安全性」とは乗客のそれを指すだけではなく、タクシーのように防護壁が設置されていない車両では運転手が危険にさらされるのではないかという見方が多かった。何事でも「コインの裏側」があるものだが、その調査だけを見れば「これほど歓迎されていないのか」と寧ろ驚かされたほど、否定的な見方をする人が多かった。
視点を変えてみよう。今月の初めに熱海のホテルという名の旅館の和室に2泊3日滞在する機会があった。食事の配膳は女性の係員に先導されて屈強なアジア系かとも見える若者2名が持参した。配膳は女性の担当。布団はどうするのかと見ていれば、その若者たちがノックだけで入ってきて無言で整えて一礼して帰って行った。
夜の8時過ぎに大浴場に行くと、その若者と同僚と思しき連中が入ってきた。そこで、「貴方たちは何処の国から来ているの」と尋ねると「ネパールです」と答えた。彼らはおとなしく控え目に動き、楽しそうに入浴してリュックを背負って帰って行った。この業界の人手不足は深刻化の一途だと聞いていたが、熱海ではネパール人に依存していたのだった。
有識者の中には「労働年齢の人口が不足している以上、外国人の労働力に依存せねば事態は好転しない」と言う人が多い。だが、私がこれまでに展開してきた「駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」論から考えれば、熱海の例を挙げるまでもなく、明らかに不足しているのは「そのまた草鞋を作る人」の層なのではないのか。
参考までに回顧しておくと、2010年にカリフォルニア州ロスアンジェルスのKorea townで見た韓国料理店ではヒスパニックが下働きの雑役夫であり、彼らの賄い食の残飯を嬉々として食べていた。
そこに期間を限定して外国人を導入して引き当てようとしても、低所得しか見込めない職場に彼らが嬉々としてやってくるのだろうかとの疑問が残る。識者は「日本語を習得させるのが先だ」とも言われるが、ここ新宿区に無数に存在する日本語学校は、そういう政府の意図と連動していなければ、効果は発揮できないと思う。
問題は「言葉」にあるのではないのか。日本語を学んだ経験がないので論じられないが、短期間では習得が難しいと聞いた。相撲部屋のように日本語しか意志伝達の手段がない世界で共同生活をさせれば(すれば)、あれほど上達することは解っているようだ。ではあっても、即労働力として活用したいのであれば、あれほどの期間をかけてはいられないだろう。
アメリカに行けば、タクシーのドライバーが英語もろくに解らない外国人であるのは普通のことだ。今やカーナビ(GPS?)の時代であるのだから、行く先だけでも理解できる程度の日本語力でも務まるのかも知れない。だが、そのために外国人を大人数で雇い入れるだけの素地というか環境は整っているのだろうか。この辺りが問題点になるのでは。
ここ新宿区百人町界隈のスーパーやコンビニのレジに、外国人の女性がいるのは普通の現象だ。でも、彼女たちは就労許可を得ているのだろうか。その辺りの法整備も鍵になるのではないかな。週刊誌には「小室氏は就労許可を取れても、同一家計内の真子さんは取れない」という意味の記事が今頃また出ていた。我が国では不法就労が横行していないかと気懸かりだ。