新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Uー24の対アルゼンチンのサッカー

2021-03-27 09:44:05 | コラム
今回もサッカー論を:

サッカー論とは言ったが、その他に考えさせられた点が多い試合だった。その辺りも含めて、昨26日夜のサッカーを回顧してみよう。

先ずは「U―24とは何だ」という辺りから。それは、サッカー界はオリンピックには余り関心がないようでW杯に重きを置いているので、参加する各国の代表は確か23歳以下だったと記憶するからだ。ところが、よく考えれば東京オリンピックは1年延期されたので自動的にU―24になったのだろうと勝手に解釈する事にした。それにしても、一昨日の韓国戦に続けて良くも外国から入国させたと思えば、アルゼンチンは3日前に到着したばかりだったそうだ。検疫等は十分に行い万全の態勢だったとかだ。

と言う事は、この試合もオリンピック・パラリンピックを何としてもやる以外ないというバッハ会長様の揺るがぬ方針の下に、予行演習的な性質であったのかと思わざるを得なかった。即ち、それなりに観客も入れていたし、無言(だったのだろう)の応援もあったようだった。私は敢えてオリンピック開催に向けての涙ぐましい努力だと受け止める事にした。それは、開催に持ち込まない場合の経済的損失を考えれば、ウイルスで失った分に更に上乗せになってくるからだと思う。IOCとバッハ会長不信任論者の私は、我が国が被るだろう損失だけが気になっている。

そこで試合である。今でも、あの世界の強豪を相手にして「1対0」との結果が善戦健闘だったと賞賛すべきか、敢えて野球を例えに使えば「打てるか、打てそうな投球は一つも来なくて、手も足も出なかった」と評すべきかで迷っているのだ。間違いない事実は「相手も体調が万全ではなかったかも知れないが、1失点だけに抑え、こちらにも何回か得点できるかも知れない形が出来た事もあった」という点である。現場で見ていなかった私には、得点し損ないを「惜しい」とするか「未熟だっただけ」とすべきかの判断に迷っているのだ。

確かに、急拵えの寄せ集めのテイームであり、マスコミが騒いでいたように久保と三苫の組み合わせは素晴らしいのかも知れないが、初めて顔を合わせたばかりでは、昨夜の出来辺りは限界だったのではないか。確かに久保君は上手いし、三苫君にも「これは」と思わせられた点があった。だが、相手がいる事だし、そうそうは上手く行かなかったのも仕方があるまい。全体としては、A代表には入れなかったとは言え、一寸見ぬ間に彼らの体幹が強化されていたのと、足が長い外国人とのサッカーのやり方を身につけていたのは、大いなる進歩だったと評価したい。

アルゼンチンもそれほど目を奪うような凄いサッカーを見せてくれた訳ではなかったが、要所要所では世界的に水準が高い南アメリカで揉まれ、更にヨーロッパの一流リーグでの経験が生きていて、我が方を抑えきってしまったのだと思っている。その差が我が方に決定的な形を作らせな方のだと見た。彼らもそれほどチャンスは多くなかったが、たった一度強引にゴールラインギリギリに持ち込んで折り返したのを、待ち受けていた身長が高い者のヘッディングで決めただけに終わった。我が方は良く守っていたと思う。

一昨日も感じた事だが、嘗ての我が国の代表テイームでは本田、香川、長友、岡崎、遠藤、長谷部等々が目立っていて、彼らに残る連中が引っ張られていた感が濃厚だった。換言すればヨーロッパ組と国内組の間に落差があったのだ。だが、今や皆同じような体格と技術水準に収斂されてしまった感があり、良く言えば粒が揃ってきていたのが印象的だった。悪く言えば「没個性集団」のような気がするのだった。因みに、遠藤保仁は国内組だったが。

偏見かも知れないが、サッカー界には野球やラグビーに見えるような図抜けた素材が見当たらないように思えてならない。もっと突っ込んで言えば「フットボール界のようにウエイトトレーニング等々を活用して体幹と体力を、それぞれのポジションに合わせて作り上げてきたような体格の選手は未だ見当たらない」と言う事だ。言いたくはないが、日本大学フェニックスの橋詰監督はそういう訓練を重視した練習法で、甲子園ボウル出場を果たしていた。サッカー界もその方向に目を向ければ、更なる向上があるような気がするのは僻目か?



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