新宿少数民族の声

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12月1日 その2 予算委員会の中継放映を見て

2022-12-01 16:46:28 | コラム
「矢張り政治家に自分以上のことができると期待しないことだ」と再確認した:

昨11月30日の午前中は、何気なく参議院における予算委員会の立憲民主党議員の質問を見ることが出来た。予算委員会とは如何なる審議をする場になっているかについては多少の知識を持ってみていたが「これって、本当に真剣に政府に予算に関しての質疑を挑んでいる場なのか」という辺りまで再認識できた。

特に、福山哲郎が「本来ならば、もっと長い時間をかけて討論したい案件があるのだが」と前置きした上で、結局は秋葉賢也大臣の攻撃を延々と展開していたのは時間の浪費かとも思わせられたが、あれだけ大音声で攻撃されては、岸田総理の人事政策には疑問を感じる国民の数が増加するのではないかと気になった。

そう言う根拠は「秋葉氏の答弁がはぐらかしに終始していて、何とか感情的にならずに逃げ切ろうと懸命に努めていた」のが余りに痛々しかったからだ。換言すれば「良く耐えたな」だった。ではあっても、私が本気で懸念せざるを得ないことは「もしかして岸田内閣4人目の野垂れ死ににならねば良いが」なのだ。これこそ更なる支持率の低下の大きな要因になりかねないのだ。

何も福山哲郎だけに限ったことではないが、民主党以来立憲民主党の内閣の閣僚等を「政治と金」の問題で攻めまくる際には、週刊文春の記事の記事を主体にした「週刊誌の報道によれば・・・」ばかりなので、だらしがない。また、あの攻め方では恰もレッドゾーンオフェンスのように奥行きがなく、所詮は揚げ足取りに過ぎないので、退屈なのだ。

福山の直ぐ後ではなかったが、都議から上がってきた塩村文夏が杉田水脈政務官を責め立てたのも、聞き物としては面白いと思う人たちも出てくるだろうが、個人攻撃を果たして国費を使う国会の場で続けることが「真の意味で予算審議と言えるのか」と嘆かわしくなった。立憲民主党としては爽快だろうが、国会議員として品位に欠けた所業だと断じたいのだ。

午後になってからの自民党議員の質問も少し聞いていたが、如何に与党議員とは言え馴れ合いというかお追従的な意見と質問が多かったのも、興醒めだった。もう少し物を考えて、民情を良く視察でもして実態を把握した建設的な討論をしないのかと不満である。

彼らは何かと言えば「国民が理解するか」とか「国民を納得させられるのか」という常套句を使う質問をするが、彼らが真剣に国会の場を借りて、我々国民に真剣に語りかけてきた質問をするのに出会った記憶がない。尤も、上述のように「彼らに我々以上のことを望むのは無い物ねだりである」のは十分に認識している。選んだ我々選挙民が至らないのであり、その中ら選り抜いて閣僚に任じた首相の責任でもあると思ってしまう。

最後に締めくくりに申し上げておきたいことは「岸田総理、被害者救済法案成立に懸命の努力をされるご意向のほどは解りますが、私にはその件よりも遙かに重要な喫緊の課題が山積しているように見えて仕方がないのです。台湾で民進党が地方選挙で大敗したこと一つを採っても、中国が陰に陽に台湾有事を現実のものに持っていこうと着々と手を打っていると見えて不安なのです。上海電力の太陽光パネルへの進出だって重大な予算委員会の議題ではありませんか」なのだ。



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