来たるべき大統領選挙を11月に控えて:
今回も重ねて申し上げておきたいので、私が見るアメリカ合衆国は子供頃から慣れ親しみ、1972年以降は彼らの一員として彼らと共に、その内側で過ごしてきた経験から論じているのだ。従って、その主張は自ずと留学経験者や企業やマスコミの駐在員の方々や一部の専門家の方々の解説される事柄とは、やや視点が異なっているだろうという点。その点をご理解賜った上でご一読願いたいので、宜しくお願い申し上げます。
回顧すれば、私はGHQの秘書の方から英語を教えられ、GHQに出入りしていた中学生の頃では、一度も人種差別のような扱いを受けた記憶はなかった。だが、もしかすると鈍感で気が付かなかった為かも知れない。しかしながら、その後には偶然に知る機会があった、当時は確か“Chase National Bank“となっていた銀行での日本人行員を見下したようなアメリカ人たちの態度を目の当たりにする機会もあったし、他の場面でも彼等が我々を同様な扱いをするのを知り得たので、1954年の就職を前にした頃にはあの就職難の時期でも「絶対にアメリカの会社には行くまい」と決心するに至った。
しかしながら、アメリカの紙パルプ産業界の大手だったMead Corp.に1972年に転進し、1975年からはWeyerhaeuserに再度転進したのだったが、その2社では往年見聞したような不当な扱いなど受けた記憶は一切なかった。即ち、屡々我が同胞が嘆かれる「アメリカに行って有色人種の日本人として不当に扱われた」と慨嘆された方のような経験はなかったと言うこと。思うに、戦後30年近くも経過して、我が国が世界の経済大国に発展しその地位を確保したので、アメリカ人たちの「日本人の認識」を変えさせてあったのだと解釈して良いのだろうと解釈している。
これまでに何度か述べてきたことだが、1972年8月にMeadの社員として“Training“という名の出張で、25日かけてアメリカとカナダの事務所、工場、研究所を回った後では、話でしか知り得なかったアメリカとカナダの実態を直接に経験して大いに感動した。そして、「このままアメリカに永住したいほどだ」と思ったほど、知り得た階層の人たちの豊かさと、産業界の規模の大きさとそれにより生じる優位性には圧倒された。それだけではなく、人々の大らかさと優しさ、簡単に言えば高度に発達した物質文明、住宅環境の素晴らしさ、経営者や幹部たちの次元の高さは衝撃的だった。
そのアメリカの企業とその国の人たちの為に努力した22年半が1994年1月末で終わった。その頃に誕生した民主党のクリントン政権から一拍おいてオバマ政権がに至った以降のアメリカは、私が感動し何とか慣れしたしんだアメリかではなくなったとしか感じられなくなっていた。それは「空洞化」が示したような、嘗ては世界の模範だったアメリカの産業界は世界市場での競争力を失い、中国等に労働力の質とコストで実質的に後れを取る国に成り下がったことにも現れていた。経営陣が職能別組合を制御しきれず、労務費の高騰を招いたのもその没落の主たる原因の一つだと言える。
極端にいえば「白人と黒人」だけで構成されていたかの如きだった国に、時の流れと共にヒスパニック、中国、韓国等々から大量にアメリかでは下層を形成することしか出来なかった移民が大量に流入し、白人の中の低層の人たちやアフリカ系の者たちの職種が当時では「少数民族」だった流入人口に奪われていく結果になったのだったと見ている。多くの大企業の本社機構には白人以外の少数民族は散発的に数名いるという程度。但し、本社とは別な組織である工場では、州立大学の新卒者も採用されたし、現場の組合にはヒスパニックもアジア系も採用されていた。
ここで言わば注釈を付けておかねばならないことがある。それは「4年制大学の新卒者を定期採用することなく、即戦力の中途採用に依存しているのは製造業界のことである。私が知る限りでは銀行・証券業界では4年制大学の新卒者を採用すると承知している」という点である。それでは製造業の大手を目指す新卒者は如何にしているかは既に繰り返して述べてきたので、ここでは敢えて触れないようにする。
アメリカの会社組織では製造業の大手では先ず4年制大学の新卒者を定期採用することはないと前節にも述べたが、我が国とのその余りの文化の相違点は未だに我が国では広く理解されていないと思えてならない。職能別組合の組合員たちが現場で製造業務に従事し、会社側のサラリー制の社員たちは法律的にも一切現場の機械操作には直接文字通り手を出せないのも、我が国とは大きく異なっている。その労働者階層はトランプ大統領の支持層であるのだ。であればこそ、トランプ大統領はswearwordを使われてまで、彼等にも浸透するような演説を敢えてされるのだと思っている。
視点を変えると、アメリカという国は嘗てはその懐の深さというか優しさからというか、移民の受け入れを敢えて制限しなかったのは何故かは、私には如何に表現すべきか解らない。だが、確かに言えそうなことは、1990年代には2億6,000万人だった人口が今では3億3,000万に迫るまで増加した背景には、少数民族即ち“minority”だったものが、今や“minorities”と複数形で表現されるほど半数に迫り、遠からぬ将来に白人の数を超えるだろうといわれる国に変貌しつつあるのだ。その“minorities”の票の行方が大統領選挙を左右しかねない国になって行く過程にあるようだ。
今回も重ねて申し上げておきたいので、私が見るアメリカ合衆国は子供頃から慣れ親しみ、1972年以降は彼らの一員として彼らと共に、その内側で過ごしてきた経験から論じているのだ。従って、その主張は自ずと留学経験者や企業やマスコミの駐在員の方々や一部の専門家の方々の解説される事柄とは、やや視点が異なっているだろうという点。その点をご理解賜った上でご一読願いたいので、宜しくお願い申し上げます。
回顧すれば、私はGHQの秘書の方から英語を教えられ、GHQに出入りしていた中学生の頃では、一度も人種差別のような扱いを受けた記憶はなかった。だが、もしかすると鈍感で気が付かなかった為かも知れない。しかしながら、その後には偶然に知る機会があった、当時は確か“Chase National Bank“となっていた銀行での日本人行員を見下したようなアメリカ人たちの態度を目の当たりにする機会もあったし、他の場面でも彼等が我々を同様な扱いをするのを知り得たので、1954年の就職を前にした頃にはあの就職難の時期でも「絶対にアメリカの会社には行くまい」と決心するに至った。
しかしながら、アメリカの紙パルプ産業界の大手だったMead Corp.に1972年に転進し、1975年からはWeyerhaeuserに再度転進したのだったが、その2社では往年見聞したような不当な扱いなど受けた記憶は一切なかった。即ち、屡々我が同胞が嘆かれる「アメリカに行って有色人種の日本人として不当に扱われた」と慨嘆された方のような経験はなかったと言うこと。思うに、戦後30年近くも経過して、我が国が世界の経済大国に発展しその地位を確保したので、アメリカ人たちの「日本人の認識」を変えさせてあったのだと解釈して良いのだろうと解釈している。
これまでに何度か述べてきたことだが、1972年8月にMeadの社員として“Training“という名の出張で、25日かけてアメリカとカナダの事務所、工場、研究所を回った後では、話でしか知り得なかったアメリカとカナダの実態を直接に経験して大いに感動した。そして、「このままアメリカに永住したいほどだ」と思ったほど、知り得た階層の人たちの豊かさと、産業界の規模の大きさとそれにより生じる優位性には圧倒された。それだけではなく、人々の大らかさと優しさ、簡単に言えば高度に発達した物質文明、住宅環境の素晴らしさ、経営者や幹部たちの次元の高さは衝撃的だった。
そのアメリカの企業とその国の人たちの為に努力した22年半が1994年1月末で終わった。その頃に誕生した民主党のクリントン政権から一拍おいてオバマ政権がに至った以降のアメリカは、私が感動し何とか慣れしたしんだアメリかではなくなったとしか感じられなくなっていた。それは「空洞化」が示したような、嘗ては世界の模範だったアメリカの産業界は世界市場での競争力を失い、中国等に労働力の質とコストで実質的に後れを取る国に成り下がったことにも現れていた。経営陣が職能別組合を制御しきれず、労務費の高騰を招いたのもその没落の主たる原因の一つだと言える。
極端にいえば「白人と黒人」だけで構成されていたかの如きだった国に、時の流れと共にヒスパニック、中国、韓国等々から大量にアメリかでは下層を形成することしか出来なかった移民が大量に流入し、白人の中の低層の人たちやアフリカ系の者たちの職種が当時では「少数民族」だった流入人口に奪われていく結果になったのだったと見ている。多くの大企業の本社機構には白人以外の少数民族は散発的に数名いるという程度。但し、本社とは別な組織である工場では、州立大学の新卒者も採用されたし、現場の組合にはヒスパニックもアジア系も採用されていた。
ここで言わば注釈を付けておかねばならないことがある。それは「4年制大学の新卒者を定期採用することなく、即戦力の中途採用に依存しているのは製造業界のことである。私が知る限りでは銀行・証券業界では4年制大学の新卒者を採用すると承知している」という点である。それでは製造業の大手を目指す新卒者は如何にしているかは既に繰り返して述べてきたので、ここでは敢えて触れないようにする。
アメリカの会社組織では製造業の大手では先ず4年制大学の新卒者を定期採用することはないと前節にも述べたが、我が国とのその余りの文化の相違点は未だに我が国では広く理解されていないと思えてならない。職能別組合の組合員たちが現場で製造業務に従事し、会社側のサラリー制の社員たちは法律的にも一切現場の機械操作には直接文字通り手を出せないのも、我が国とは大きく異なっている。その労働者階層はトランプ大統領の支持層であるのだ。であればこそ、トランプ大統領はswearwordを使われてまで、彼等にも浸透するような演説を敢えてされるのだと思っている。
視点を変えると、アメリカという国は嘗てはその懐の深さというか優しさからというか、移民の受け入れを敢えて制限しなかったのは何故かは、私には如何に表現すべきか解らない。だが、確かに言えそうなことは、1990年代には2億6,000万人だった人口が今では3億3,000万に迫るまで増加した背景には、少数民族即ち“minority”だったものが、今や“minorities”と複数形で表現されるほど半数に迫り、遠からぬ将来に白人の数を超えるだろうといわれる国に変貌しつつあるのだ。その“minorities”の票の行方が大統領選挙を左右しかねない国になって行く過程にあるようだ。
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