カタカナ語排斥論者は弱った:
最初に申し上げておくと、私のカタカナ語論が中々理解して頂けないのは残念なのである。思うに、私の主張は学校教育で中学から大学までに教えられた英語と余りにも違うので「この者の言うことは変だ、間違っている、おかしい」と思われるからだと推察している。だが、私は繰り返して「我が国の英語教育には至らざる点が多過ぎるので、多くの方が嘆いておられるように実用性に乏しく、外国人に通じにくいのだ」と指摘してきた。この点に同意されない方には通じないと百も承知している。それでも、懲りずに今回もまた論じてみようと思うのだ。
今朝ほどだったか、テレビで何とか言う若手の部類に入る男性の俳優が、共演の宮沢リエを褒めたのだろう「何時もプラスで、ポジテイブで、パワーがある」と言って、宮沢リエを大いにテレさせていた。正直言って私には何の事か一瞬理解不能だったし、これが日本語かと嘆かわしい思いだった。
最初の「プラス」は恐らく「楽天的」か「前向き」だと言う意味だろうかとWeblioの力を借りて推察した。次の「ポジテイブ」は難物だった。私はpositiveという単語は精々negativeの反語という意味でしか考えたことがなかったのだった。これも色々と調べて「自信家」か「肯定的」辺りの意味かと解釈できた。最後の「パワー」も困ったものだと思っている。
カタカナ語では「力がある」という意味のようだが、ジーニアス英和には真っ先に「・・・に対する権力、勢力、権限、支配力」が出てくる。Oxfordには「人か物をコントロールする能力」と出ている。まさか、宮沢リエが何かを支配する能力の持ち主であると言いたいのではなく、力強いとでも言いたかったのだろうと解釈することにした。
ここまでで言いたいことは「カタカナ語化された時点で、元の英語とは全く別の意味になってしまっているのであり、夢にでも英語でもこういう遣い方をするなどと思わないように」なのである。同時に「英語とは全く無縁のカタカナ語になってしまった以上、日常的にどのように使おうと私の関知するところではないので、ご勝手に」なのだ。更に指摘したいことは「英語の単語ばかり単独で覚え込むと、このようなとんでもない解釈でカタカナ語にしてしまうものなのだ」なのである。
もっと言えば「私は日常会話でも社内の報告書でもpositiveを使った表現には殆ど出会ったことがなかったのだった。もしも「君は間違いないと思うか」と尋ねるならば、Are you positive?とするよりもAre you sure?と言っていたと思う。言いたい事はポジテイブが文語的だと思う点なのだ。だからこそ「単語をバラで覚えるのではなく、流れの中での例文でその使い方を覚えなさい」と強調するのだ。ハッキリ言えば「この点が学校教育の英語の問題点」なのだ。
このような単語重視の教え方をするから、“collaborate”のような小難しい単語を平気でカタカナ語化して「誰それと協同で~する」という意味で「コラボ」などというカタカナ語を流布させてしまったのだと思っている。既に指摘して事で、私はこういう単語が存在しているとは承知していたが、記憶ではアメリカ人たちが日常的に使ったのを聞いた記憶もなく、報告書にも出てきていなかったと思うのだ。もしも、これと同じ意味の事を言えとなれば“to work together with 誰それさん”と表現したと思う。このcollaborateも文語だと思う。
何度でも言うが「如何なるカタカナ語を使おうと貴方方の勝手であり、私は阻止しない。だが、それらは殆どが極めて堅苦しいか、文語的であり日常会話では使わない種類の単語だということをお忘れなきように」なのだ。また使う場合には「何処かの偉そうな人がテレビで言っていたから真似をしよう」などと軽率な判断をしないことだ。本当の英語には「フリップ」なんてないし「メリット」や「デメリット」なんていう表現はないのだ。こんな言葉を使う人を私はサポートしないよ。
最初に申し上げておくと、私のカタカナ語論が中々理解して頂けないのは残念なのである。思うに、私の主張は学校教育で中学から大学までに教えられた英語と余りにも違うので「この者の言うことは変だ、間違っている、おかしい」と思われるからだと推察している。だが、私は繰り返して「我が国の英語教育には至らざる点が多過ぎるので、多くの方が嘆いておられるように実用性に乏しく、外国人に通じにくいのだ」と指摘してきた。この点に同意されない方には通じないと百も承知している。それでも、懲りずに今回もまた論じてみようと思うのだ。
今朝ほどだったか、テレビで何とか言う若手の部類に入る男性の俳優が、共演の宮沢リエを褒めたのだろう「何時もプラスで、ポジテイブで、パワーがある」と言って、宮沢リエを大いにテレさせていた。正直言って私には何の事か一瞬理解不能だったし、これが日本語かと嘆かわしい思いだった。
最初の「プラス」は恐らく「楽天的」か「前向き」だと言う意味だろうかとWeblioの力を借りて推察した。次の「ポジテイブ」は難物だった。私はpositiveという単語は精々negativeの反語という意味でしか考えたことがなかったのだった。これも色々と調べて「自信家」か「肯定的」辺りの意味かと解釈できた。最後の「パワー」も困ったものだと思っている。
カタカナ語では「力がある」という意味のようだが、ジーニアス英和には真っ先に「・・・に対する権力、勢力、権限、支配力」が出てくる。Oxfordには「人か物をコントロールする能力」と出ている。まさか、宮沢リエが何かを支配する能力の持ち主であると言いたいのではなく、力強いとでも言いたかったのだろうと解釈することにした。
ここまでで言いたいことは「カタカナ語化された時点で、元の英語とは全く別の意味になってしまっているのであり、夢にでも英語でもこういう遣い方をするなどと思わないように」なのである。同時に「英語とは全く無縁のカタカナ語になってしまった以上、日常的にどのように使おうと私の関知するところではないので、ご勝手に」なのだ。更に指摘したいことは「英語の単語ばかり単独で覚え込むと、このようなとんでもない解釈でカタカナ語にしてしまうものなのだ」なのである。
もっと言えば「私は日常会話でも社内の報告書でもpositiveを使った表現には殆ど出会ったことがなかったのだった。もしも「君は間違いないと思うか」と尋ねるならば、Are you positive?とするよりもAre you sure?と言っていたと思う。言いたい事はポジテイブが文語的だと思う点なのだ。だからこそ「単語をバラで覚えるのではなく、流れの中での例文でその使い方を覚えなさい」と強調するのだ。ハッキリ言えば「この点が学校教育の英語の問題点」なのだ。
このような単語重視の教え方をするから、“collaborate”のような小難しい単語を平気でカタカナ語化して「誰それと協同で~する」という意味で「コラボ」などというカタカナ語を流布させてしまったのだと思っている。既に指摘して事で、私はこういう単語が存在しているとは承知していたが、記憶ではアメリカ人たちが日常的に使ったのを聞いた記憶もなく、報告書にも出てきていなかったと思うのだ。もしも、これと同じ意味の事を言えとなれば“to work together with 誰それさん”と表現したと思う。このcollaborateも文語だと思う。
何度でも言うが「如何なるカタカナ語を使おうと貴方方の勝手であり、私は阻止しない。だが、それらは殆どが極めて堅苦しいか、文語的であり日常会話では使わない種類の単語だということをお忘れなきように」なのだ。また使う場合には「何処かの偉そうな人がテレビで言っていたから真似をしよう」などと軽率な判断をしないことだ。本当の英語には「フリップ」なんてないし「メリット」や「デメリット」なんていう表現はないのだ。こんな言葉を使う人を私はサポートしないよ。
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