日本国憲法に思うこと:
今日まで何年間ブログの更新を続けたのかの記録もないが、事「憲法」については1度しか取り上げた記憶がない。それは関心がない訳ではなくて、敢えて私ごときが取り上げる必要がある事柄でもないと思っていたからだ。即ち、何処のへちゃむくれが何を言おうと、改正反対の輩が喚こうとも「憲法は改正する以外の道はない」と固く信じているからだ。アメリカに押しつけられたの、妙な訳をしたなどという議論などの問題ではない。
まっとうな議論を展開してもらえる新聞・雑誌とそこに寄稿される本当に物事が解っておられる方々の主張を見れば、「平和憲法」とやらを、未だに後生大事に押し頂いて第九条を金科玉条の如くに崇めている者たちがおかしいのは明白である。アフリカで危機に瀕している邦人を救出に行くのに、自衛隊機を出すと憲法云々を言い出すとはもう漫画の領域である。自国民を救うのに憲法が邪魔をするとはどういうことか。
こんなことを何時までもやっているから、直ぐ近くにある超大国に馬鹿にされ、甘く見られ、隙があれば、じゃなくて、隙がなくても属国にしてやろうと企まれるのではないのか。観光とやらにやってこられた某国のインバウンド様に「家が安いから買おうと思ってきた」と言われてどうする。一般人にまで甘く見られてしまっているではないか。国会議員なんて頼りにならないなと痛感。
心配性の当方が本気で気にしているのは、「台湾有事」等という生やさしい事案ではない。あの大国が取ろうと狙うのならば台湾のような小島ではなく、場所的にも、経済力でも、アメリカに対する隷属性から見ても、我が國を武力だろうと何だろうと力尽くで押さえ込んでしまう属国化する方が遙かに有効ではないか。現に、ここ新宿区に住む外国人では中国人が最大だし、無数にある日本語学校に押しかけてくる学生たちの大半は工作員要員の中国人だ、
サプライチェーンとしての中国に対する依存度の高さなどは、今さら私が強調するまでもあるまい。中国の呪縛から逃げ切れるのかとでも思っているのだろうか、岸田総理と林外相は。全くの余談だが、昨日漸く長い間探し求めていた「孫の手」をDAISOで買えた。嬉しかった。だが、この竹でできた器具もチャンと中国製だった。
もう、我が国にはこういう品物を作る人はいなくなったのか。中国にだって何時までも「駕篭に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」がいてくれる訳でもあるまいな。記念日を祭日にするのも結構だが、早く憲法改正に着手しようじゃないか。岸田さん、本気で覚悟はできておられますか。
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