石破内閣に何を期待するか:
毎度同じ事を言うが、私が政治を論じる場合には「マスコミの報道と、テレビに登場する政治ジャーナリストと通信社の専門家がその持てる情報の半分も語っていない事に基づいている」とお断りしてきた。今回もそれ以上でも以下でもない。
私は何も新内閣や新社長に限ったことではないが、華々しくマスコミに騒がれて登場されても「何も期待しないよう」にしてきた。故に本日に正式に誕生する石破内閣には未だ何の期待もしていない。
この考え方は大谷翔平についても同様である。この意味は「何かを成し遂げるだろう」などと期待して結果が出なかったときに落胆して非難するよりも、何も期待していなければ、何らかの目に見える結果を出して貰えれば「良くやって下さった」と感謝も評価も出来るのだから。
別な言い方をすれば、私は「日本の会社の仕組みは入社時点で100点を貰い、それが時間の経過と成績によって減点され、減点が少ない者の順番で昇進していく」と経験からも考えている。一方アメリカの会社では「入社したときの持ち点はゼロで、時が経つ毎に実績に基づいて加点され昇給していく方式だ」と認識している。即ち、石破茂氏には「持ち点がゼロ」から出発されると見たいのである。
偽らざるところを言えば、得意の「閃き」では石破氏が「5度目の挑戦」と言われた時には、何らの理論的な裏付けなど無く「芳しくない結果にならなければ良いが」と来ていた。そして、我が国の憲政史上初の女性総理となるかも知れなかった高市早苗氏を退けて選出された。
私は長い年月をかけて挑戦された総理・総裁の座を目指されたのであれば、今日までの政治史上には見たことも聞いたこともなかったような高邁な、と言うか何人の追随を許さないような質の高い政見と見解を周到に用意されているのだと推理していた。だが、国会で新総理に選出される前に解散/総選挙の日取りを公表され、村上誠一郎氏を閣僚に選任される事態を見ていると、何となく不安にさせられた。
「何も期待していないようにする」とは言ったが、このままジッと成り行きを見守って10月27日にどのような結果を出すかを待っていようと思う。その間は何らの結果を出しようがないのだから。
なお、昨夜4、6、8の各局のBSでの石破茂評を聞いて分かったことの一つに、「豹変」と酷評された早すぎる解散/選挙の予定発表の裏の事情は「今言わないと、各地の選挙管理委員会の準備が整わないからだそうだ」というのがあった。また、何方だったかは「選挙期間中の公約を当然した後で完全に実施した例がどれほどあったか」と、豹変の理由を解説したのも印象的だった。
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