新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

製紙産業界の再編成がまた一歩進んだ

2023-10-20 07:15:20 | コラム
筆者だけの関心事なのかも知れないニュース:

世界最大の製紙・製缶会社が誕生。最新の紙業タイムス社刊行のFUTUREに私だけかと思うが「恐ろしいばかりの時代の流れかな」と感じさせられる世界の業界再編成関連の記事があった。

それは、アイルランドに本拠を置くスマーフィットカッパ(Smurfit Kappa)が、アメリカのウエストロック(West-Rock)を買収して世界最大の製紙・製函会社「スマーフィット・ウエストロック」(Smurfit WestRock)が誕生するという内容だった。新会社の売上高は340億ドルというから(為替次第だが)何と5兆円企業になるのだ。勿論、断然たる世界最大の製紙・製函企業である。

新会社が大きいことには当然関心はあるが、私の最大の関心事は「時代の流れがもたらした変化には凄まじいものがあるな」なのだ。それは、新会社は印刷用紙であるとか印刷媒体関連の紙を作るのではなく、近年その需要が目覚ましく伸びている包装材料の段ボール箱関連の企業だという点にあるのだ。

アメリカ市場では2000年代に入ってからは、ICT化とディジタル化の波に圧倒されて、印刷媒体はその需要をインターネットに奪われていた。そこで、我が社は2005年から、世界最大だったインターナショナルペーパーが2007年から印刷用紙から撤退を開始していた。そこに加えるに、アマゾンが代表したような通販の時代がやってきて包装材料の段ボール箱の需要が急成長しその流れが止まらない。

即ち、製紙産業界においては段ボール原紙と凾が一大成長品種となって、多くの印刷用紙や新聞用紙のメーカーが、製品を包装材料である段ボール原紙等に転換し始めた。現時点では、これ以外の成長品種が衛生用紙であり、ティシュペーパー、トイレットペーパー、タオルペーパー等の市場拡大と需要の安定的成長が続いている。

当方は業界から離れて既に30年が経過したが、この需要構造の変化には目を見張らせられていると同時に、印刷用紙が全盛だった古き良き時代を一人静かに振り返っては、今昔の感にとらわれている。そこに、この度は世界最大の段ボール原紙と製函の企業誕生のニュースである。時の流れと変化(と通販)は、最早誰にも押し止められない次元に達したと痛感させられている。

昨日から「往年のインターナショナルペーパーですら売上高が円貨換算で3兆円を超えたことがなかったのに、新会社は5兆円に迫るとは」と、時の流れに驚き且つ感嘆しているところ。この流れは遅かれ早かれ我が国に及んでくるだろうから、何時の日か段ボール原紙と製函の専門会社であるレンゴーが、王子も日本も追い抜くときが来るのかもと感じさせられている。

参考資料:紙業タイムス社刊行 FUTURE誌 23年10月23日号


イスラエル対パレスチナ間の争い関連の用語集:

2023-10-19 08:32:29 | コラム
イスラエル対パレスチナ関連の英語から見る用語集:

ガザの病院の爆撃がイスラエルの非人道的手法であるとガザ側が非難すれば、イスラエルは当然かも知れないが否定しただけではなく、イスラエル訪問中のバイデン大統領も「違う」と述べていた。この地区の問題を論じるのに私如きの出番などあり得ない。そこで、せめてこの問題の報道等に使われている用語を英語から見て解説してみようと思う。

*アラビア語、Arabic、
解説)英語での表記はArabicとアッサリしたものである。この言語はパレスチナ自治区での公用語である。嘗てカナダのオンタリオ州トロントの市街で入った店の白人の若い男性店員同士が聞き慣れない言葉で話し合っているので「何処の国の人か。その言葉は?」と尋ねると「パレスチナ人でアラビア語である」と普通に英語で答えた。ここまで移住したそうだった。

*イスラエル  Israel、
解説)このイスラエルの国名を英語では「イズリアル」と発音する。ジーニアス英和にはIsraelは載っているが、Oxfordには何故か載っていない。Webster’sにもなかった。

*イスラム教(イスラーム教) Islamic, Muslim, Moslem、
解説)中近東ではイラン以外はイスラム教国だと思っている。パレスチナ自治区でも公用語である。Moslemは「マズレム」だが、Oxfordにはアメリカ式は「マーズレム」としてある。これは「イスラム教徒」の意味で使える。新宿区で無数に見かけるバングラデシュ人に英語で「Are you a Moslem?」と話しかけたら「イエス」と答えた。

*エルサレム Jerusalem、
解説)イスラエルの首都でイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地。発音は「ジェルサレム」だと思っているが「ジャルサレム」に近い発音になっている場合もある。カタカナ語の「エルサレム」は何語に準拠したかは知らない。

*キリスト教 Christianity、
解説)英語ではこのような言葉になっているのだ。キリスト教を英語でどう言うかなど余り考えないのではないだろうか。旧教がCatholicで、新教がProtestantismとなるようだ。

*パレスチナ自治区 Palestinian Autonomy、
解説)詳細な解説は私の領域にはないが、最大の都市がガザで公用語はアラビア語である。Palestinianがどうして「パレスチナ」とカタカナで表記されるようになったかまでは調べていない。

*仏教 Buddhism、
解説)今回の件に直接関係はないが、参考までに取り上げた次第。「ブーディズム」に近い発音になる。

*ヘブライ語 Hebrew、
解説)このイスラエルの公用語は「ヒーブルー」と発音するようだ。何故カタカナ語で「ヘブライ」になったかまでは調べていなかった。

*ペルシャ語 Persian、
解説)イランの公用語。イランが現在の争いに直接関係していないと思うが、あの地区の大国である。

*ユダヤ教 Judaism、
解説)何千年もの歴史の問題は別として、イスラエルの宗教である。これはOxfordにも載っていて発音記号は「ジューディイザム」に近いとされている。ジーニアス英和では「ジューデイズム」となっているが、これはOxfordがアメリカ式と指摘している。

*ヨルダン Jordan、
解説)地図を見れば解ることでイスラエルの隣国であり、ガザ地区も隣だ。英語での発音は「ジョーダン」である。首都は「アンマン=Amman」で、何となく日本語と語呂合わせしたい衝動に駆られる。

纏め:
振り返ってみれば、1970年以降私は世界で20ヶ国渡り歩いてきたが、イスラム教国は最大のインドネシアにしか入ったことがなかった。中近東は頭から敬遠してきたと思う。だから、殆ど語るべき知識がないので、せめて関連する言葉だけでも取り上げようと考えた次第。


10月18日 その2 サッカー今昔物語

2023-10-18 15:08:34 | コラム
昨17日夜の対チュニジア代表とのサッカーを見て思うこと:

FIFAのランキング第19位の我が代表が29位のチュニジア代表に2対0で勝った試合の内容と、第二次森安体制下では無敗を続けたという良い話はテレビと新聞にお任せして、昭和20年=1945年に蹴球部に入って古き良き時代に蹴球を始めた私が、あの試合を見て感じたことを回顧談と共に語ってみようと思う次第だ。

*ルールの変化:
ずっと指摘しようと思っていて今日まで来てしまった。21世紀の現代人はご存じないかも知れないが、往年の蹴球では「選手の試合途中の交代」は認められていなかった。即ち、誰か壊れてしまったならば、10人でやることになっていた。また、GKは「ファイヴ(5)ステップ」という規制に縛られていて、ボールを捕った後には5歩しか歩くことが許されていなかった。現在の規制と比較して見て欲しい。

次はゴールキックで「一旦ペナルティーエリアの外側に蹴り出すこと」と定められていて、エリア内では誰も触れなかった。キックオフもセンターサークル内に2人並んで立ち、どちらかが先に蹴ってボールが1回転するまでは隣の者は触れなかった。であるから、キックオフからウイングプレーヤーを走らせて置いて、いきなり敵陣深く蹴り込むとか、2人目のFWは相手が当たりに寄ってくる前に急遽後ろを向いて、ハーフバックにパスをするような方法を採っていた。現在は即後方に蹴っている。

これほど細かい点が変わっているので、そういう変更があったと知らなかった私などは「アナウンサーなり解説者にはそのような変更があったと指摘をする親切心がないのか」と不快に感じている。

また「背番号10」を何か栄光の番号であるかのように言うのも奇妙だと感じている。WMフォーメイションの時代には背番号がポジション別で決まっていたので、「何を言っているのか」と奇異の感にとらわれていた。あれは、その昔には左のインナーの番号に過ぎなかった。

*戦法の変化:
昨夜の試合でも、我が代表は吉田麻也がいなくなっても「暇さえあれば、思い切って後方にパスを展開して横から横へと動かして(英語では“move the ball“などと言っているが)、前方で何処かに空き地が出来るか、誰かが果敢にも動き出すのをジイッと待つ戦法を多用するので、見ている方が欲求不満になった。即ち、「格下が相手でも積極果敢には攻めないのか」と。

ところが、格下のチュニジアも何を思ったのか、我が方を見習ったのか、後方への展開を頻繁にやって見せてくれた。そんなことだから、後半のアデイショナルタイムのまたアデイショナルかなと思わせられた頃になって、漸くゴールの直ぐ横を外れたシュートが1本出来ただけに終わったのだ。

解説の槙野だったか松井が指摘したように、彼らは日本のサッカーのスタイルに慣れるか馴染むまでは「何をしに来たのか」と疑いたくなったほど、思想も理論の裏付けもないサッカーをやっていた。テレビも新聞も「勝った、勝った」と大喜びだが、彼らは何であれほど森保監督と協会に気を遣うのか解らない程見所がない試合だった。

*久保建英:
森保監督は昨日も久保を最後までピッチに置いておかなかった。何度でも言うが、監督さんは久保のようなタイプの選手が嫌いなのか個人的に合わないのかと疑いたくなる。昨日などは解説者たちが「流石にものが違う」と絶賛していたし、私も同感だった。

あの後半に漸く2点目になった、久保が左サイドをキープして上がり、中の動きを良く見て上がってきた伊東純也の前にフットボールで言う「りードをつけた横パス」を通して、鮮やかに反対である右足で蹴り込ませた辺りの上手さには唸らせられた。それでも、監督さんは橋岡程度と入れ替えるのだ。

*選手たちの進歩:
立派なものだと思う。ヨーロッパで一本目を張っていられる者が増えたという事は、昨夜のような格下と見えた相手には余裕すら感じさせた。全員が非常に一所懸命に忠実な動きで守っていたし、体格の不利など殆ど気が付かなかったほど巧くなっていた。

上手くなったという点では伊東純也が私の目には最も素晴らしい。彼は当初は単に足が速いというだけが売りで雑だったのが、あそこまで足の速さを活かすサッカーが出来るようになっていた。私が望むことは「彼も他の者たちも、もう一歩、決定力をつけて欲しい」だけである。

私の目には「未だエースストライカー」と呼べる者が育っていないのだ。それは、ヨーロッパのリーグではそのポジションを任せて貰えるまでの領域には達していないという事か。折角あの次元にまで上達したのだから、もうそろそろ「後方への躊躇なきパスの展開戦法」から脱却しても良くはないのかな。偶には、目の前の敵を抜いて見せて欲しいと願うのは無い物ねだりか。


今さら言っても遅すぎるかも知れないが

2023-10-18 07:03:59 | コラム
フットボール系の球技では味わえない大逆転勝利のスリルを楽しませてくれたロッテマリーンズ:

昨日は格下なのかも知れないチュニジア相手のサッカーがあったかと思えば、今夜からCSのファイナルだったかが始まってしまう。これでは当分スポーツばかり論じていくことになりそうだ。

実は、16日のロッテの滅多にないだろうと思う逆転を見ていて感じたことがあったのだが、何故か発表していなかった。そこで遅まきながら矢張り下記のように発表しておこうと思うに至った。

あのまさかと思った藤岡のホームランの後で、ポランコは三振ばかりしていたので期待できないと思った途端にフライアウトになった。そこで「岡が何とかして出て、安田に回せば何とかなりはしないか」と瞬間的に閃きが来たが「まさかそんなに上手く行かないかな」と否定してしまった。だが、大津という新人の投手から岡が本当に渋く三遊間を抜いて出て行ったので「ひょっとすると奇跡が起きるかも」と考え直した。

次には「ここで安田が本当に打ったら凄いな、というか面白いな」と期待していた。それが現実になって右中間に。ホームランにはならないと一目で解った。だが、この当たりならば岡は生還できるかなと期待した。しかも、ライトは柳田ではなかったようで、捕ってから踏みとどまれずにセンター方向に走りすぎ、フットボールで言う「throw back」の形になって送球が微妙に遅れた。

その何とか言う右翼手が下手だったのか、柳田を代えていた監督の判断の誤りか、あるいは両方かが敗因になったと思う。勝敗などいうものは、このような微妙な判断の誤りで決まってしまうという例だったと考えている。他にも藤本采配には失敗があったと言いたい。それは、あの10回に捕手を甲斐からから嶺井に代えていたことも加えても良いと見ている。何処かに指摘されていたが、角中に対して直球だけ10球も続けて挙げ句の果てにヒットを打たれて敗因の源になってしまった。

ソフトバンクの藤本監督には失礼な言い方になるかと思うが、譬え辞任しなくても解任は間違いないと見ていた。そんな程度だから、あの岡の本塁へのヘッドファーストスライディングのセーフの判定にチャレンジなどしてしまう無駄だとしか思えない抵抗をしたのだ。

英語の講釈で申し訳ないが「アナウンサーがリクエストと言うのは誤りで、チャレンジしました」が正しいのである。正確を期せば「ヴィデオ判定をリクエスト」と言うべきであるし、「異議申し立ての意味であるチャレンジしました」と言っても良いのだ。「チャレンジ」には「挑戦」だけではなく「意義を申し立てる」の意味がある。

あんな明らかにセーフなのに、チャレンジしようとした藤本さんには、哀れさすら感じていた。今日までに野球の試合を沢山見てきたが、あれほど重大な試合での「最後の最後でのひっくり返し」には「ビックリ仰天」だったし、勝負を諦めていなかったロッテの選手たちには敬意を表したい。

あのように大逆転できるところに野球という競技の醍醐味というか、見ている人々を楽しませてくれる面白さがあるのだ。フットボール系の競技では一度の攻撃の機会(オフェンス)に取れる点数が決まっているので、あのような逆転はあり得ないのである。

ズバリと言ってしまえば「あの試合では指揮官の器量の差があれほど明らかに出てしまったので、藤本監督が試合終了後直ちに解任されたのは仕方がなかったかも知れない」と思う。だが、あの人を監督になってからのソフトバンクの不甲斐ない試合を見ていると、彼を監督に任命した上層部には責任がないのかと言いたくなる。

なお、私はあの大逆転勝利のヒーローとして褒めて上げるべき選手には、執念深くファウルを打ち続けた角中であり、判断良く走った岡を加えるべきだったと思うのだ。でも、ロッテには未だ「お目出度う」とは言えないが「良かったね」とは言える。


10月16日の出来事

2023-10-17 07:40:35 | コラム
気温の変動に苦しめられた一日だったが:

気象病の再来:
丁度10年前の2013年9月には、2回目の心筋梗塞から何とか立ち直れたのは良かった。だが、退院後には弱っていた体が室外の高い温度に対応できない「気象病」に非常に苦しめられていた。何処が悪いのではないが、体の方々が痛んで思うように動けないという状態。確たる治療法があるのかないのか、兎に角、体が温度変化に対応できるまで長くて辛い日々を過ごしていた。

昨16日はその気象病の再来だと思う現象に苦しめられた。体温も正常、血圧も正常、心拍数も正常、ヴァイタルも正常だったので、夕方になって漸く「恐らく気象病だったのだろう」と思い当たった。即ち、15日の雨降り、高い湿度、15度という低温の後に昨日は24度という高温に見舞われて、老化した体が巧く調節できなかったし、食欲がなかった。今朝も未だすっきりしていない。

そこで、今朝は気分転換にでもなれば良いのだがとばかりに、ショパンの英雄ポロネーズではなく、半年ぶりくらいになっただろうかジャズピアノを聴く事にして、ミシエル・ペトルチアーニの「Trio in Tokyo」を流している。好転するだろうとの希望的観測で。

大逆転劇:
昨日、最も面白く且つ興味がある現象だったのが、「ソフトバンクに対しては分がないが、勝たせてやりたい」と密かに希望していたロッテが10回裏に3点差をひっくり返した逆転だった。勝負というものの先が読めない怖さを、イヤというほど見せてくれた勝ち方だった。

私は「ソフトバンクは3点も差をつけたので安心した訳でもないようには見ていたが、ロッテの吉井監督が「投手起用の順番を間違えた」と反省して見せた以上に、藤本監督と斉藤コーチが順番を誤ったのが、あの敗戦に繋がったのだ」と見ている。藤岡と安田に打たれた2人は明らかに二線級だったから。

勝負の怖さはそれだけではなかったので、シーズン中に1本しかホームランを打てていなかった藤岡が、あの場面で1球目を見事に振り抜いてホームランにしてしまう事にあるのだ。私は打球が上がった時には外野の間を抜けるとは見たが、入ってしまうとまでは感じ取れなかった。矢張り、故野村克也氏の至言「勝ちに不思議あり」だと感じ入っていた。

それにしても、あの場面で打って見せた藤岡と安田の集中力は凄いと感心させられた。こういう容易に予想も出来ない凄い事が起きるのだから、スポーツ観戦は面白くて止められないのだ。

「ちんぺいさん」って誰?
昨日の午後は気象病の為で気力もなく、ただボンヤリとテレビの音声だけを聞きながら、ソファーで横になっていた。聞こえていたのは宮根の声だったと記憶する。それが突然切れて誰かが亡くなった事を伝え始めた。そして、局側のコメンテーターが「学生アルバイトの頃から可愛がって貰えた」と言って「ちんぺいさん」の死を心から悼んでいた。亡くなったのはアリスの誰かのようだった。

実は、そのアリス(これがAliceならば女性の名前だが)とやらが全盛だった頃は、当方はアメリカの会社に転身して未だ間がなかったので、そもそも「フォークソング」だったかの歌手の存在に気を配っている暇などなかった。いや、ズバリと言えば、アリスも谷村新司も知らなかった。だが、名曲だと言われている「昴」という歌は聴いた記憶はあった。「そんな奴がいるのか」と軽蔑されるかも知れない。

そんな具合だったから、その谷村新司という国民的歌手が亡くなった事を、マスメディアがあそこまで大きく取り上げて心から惜しみ、悔やんでいるのには衝撃を受けた。「俺は時代から取り残されていたらしい」と。彼らが出てきた頃は、既にジョン・コルトレーンの出現で「ジャズは解らなくなった」と諦めて聞かなくなっていたし、アメリカの会社での仕事をこなす事以外に神経を使う余裕などなかった。

だから、「ちんぺいさん」というのが、谷村新司という人の愛称だったとは、その後のニュースで知ったという具合。あの範疇に入る歌い手のグループには色々と名前が付いているようだが、何故彼ら髭面の男性が3人集まって女性のファーストネームなのだろう「アリス」(=Alice)と名乗ったのかと、今でも奇異に感じている。

Aliceという夫人はウエアーハウザーでの最初の直属上司の3人目の奥方と、コルトレーンの夫人が確かアリスだった以外には知らない。尤も”Alice in wonderland”という歌はあるが。彼らアリスは女性の名前と知っていたのだろうかなどと、気象病に苛まれながらも気にしていた午後の一時だった。