杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

最中とゼリー

2008-12-05 22:16:48 | 農業

 今日(5日)は県商工会連合会フルーツゼリー開発事業に参画のお菓子屋さん訪問第2弾。大雨の中、車を飛ばして、『みかん最中』で知られる三ケ日町の入河屋さんを訪ねました。

 

Imgp0093  店舗は浜名湖畔にあるモダンな建物。取材していた1時間余りの間、外は嵐のようなお天気なのに、お客さんがひっきりなしにやってきます。街中の商店街でもなく、特別セールをやっているわけでもないのに、すごいなぁと感心しっぱなし。

 

 

 創業は明治18年という老舗で、現オーナー松嵜哲さんで4代目。ここ三ケ日町下尾奈にある本店のほか、遠鉄百貨店地下、そして昨年、豊橋湊町店が新規オープンしました。場所柄、浜名湖一円や愛知県新城市や豊橋市あたりからもお客さんがあるんですね。

 当然、ウリは三ケ日みかんの加工菓子。みかん最中は、昭和初期にこの地でみかん栽培が本格的に始まった頃、2代目と3代目が試行錯誤して生み出した看板菓子です。

 

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 生でおいしいフルーツを菓子にするのは本当に難しいようで、果汁をたくさん使えばいいってもんでもないんですね。「フルーツの美味しさとお菓子の美味しさは、美味しさの質が違う。お菓子の場合は味プラス食感と風味が必要です」と松嵜さん。みかんは、完熟期のものではなく、夏場の青いみかんを使います。香り成分フラボノイドがこの時期のみかんに最も多く含まれているからだそうです。

 確かに、完熟みかんなら、どんなに手練手管で加工しても、生食には勝てないようです。

 

 みかん最中は70年を超えるロングセラーとなり、今も全売り上げの3割近くを占めています。松嵜さんは毎年5~6種類の新作を発表していますが、「みかん最中に勝てるものが、なかなか作れなくて」と苦笑い。ご本人は、チーズケーキでおなじみ、まるたやで洋菓子修業をし、当時、まるたやがスイスから招いた伝説的パティシエ、ポール・ゴッツェ氏に師事し、いい素材との出会いを第一にし、いい素材を生かす菓子作りをトコトン学びました。店頭には入河屋の伝統和菓子と、松嵜さん自慢の洋菓子、あわせて常時40種ほど並びます。

 

 

Imgp0086  「幼い頃、店の工房で見た、赤光りする宝石みたいな小豆が単純にきれいでおいしそうだなぁと思って眺めていた。今、使っている北海道帯広の中藪俊秀さんの小豆は、最初見たとき、いぶし銀みたいで、ピカピカには光っていなかった。光る小豆は、ワックスをかけていたと知ったんです」。

 

 浜松はつぶあん、豊橋はこしあんの文化だといいます。皮をそいで炊くこしあんのほうがひと手間かかる分、高級感があるとされます。

 一方、つぶあんは、小豆そのものの質がわかるだけに、つぶあん文化の土地は、そもそもいい小豆の産地だったともいえるわけです。浜松と豊橋の中間に位置する入河屋では、どっちも手を抜けません。いい小豆を求めて出会ったのが帯広のこだわり農家中藪さんだったのでした。

 みかん最中と並んで、中藪さんの小豆の実力が存分に味わえる「本小豆最中・波満満津(はままつ)」も、松嵜さん入魂の作品です。

 

 

 最中やおまんじゅうがしっかり美味しくて売れてるお菓子屋さんって安心できますよね。とはいえ、ご当人はゴッツェ氏直伝の洋菓子職人としての技が発揮できる、次なるヒット作も欲しいところ。「この世界、努力したからって必ず報われるわけでもなく、何が幸いしてヒットするか分からない」と語る松嵜さんが、帰りがけにお土産に持たせてくれた『モーンシュトレン』は、ゴッツェ氏の得意菓子だったものを独自に再現した、芥子の実ペーストの焼き菓子でした。

 

 

 今回の事業で開発するみかんゼリーも、すでに入河屋で商品化されている蜜柑ゼリーとはひと味違うもの。努力=成功とは限らないかもしれませんが、努力なしで成功はないと思います。努力し続ける粘りと根気が、老舗のパワーの源泉!なんですね。