杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

世界人権宣言60周年

2008-12-07 19:22:40 | 朝鮮通信使

 今日(7日)はアイセル21で開かれた静岡人権フォーラム主催のシンポジウム『いじめや差別、犯罪をなくす教育とは』に参加しました。

 

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 世界人権宣言60周年を記念した催しで、基調講演は金両基先生(評論家)、パネルディスカッションでは金先生、佐藤俊子さん(静岡に文化の風を、の会代表)、青野全宏さん(社会福祉法人ピロス施設長)、鈴木克義さん(常葉短大教授)が、それぞれの立場から人権教育の在り方について語り合いました。講演とディスカッションの合間には、韓国の伝統音楽サムルノリの演奏も楽しめました。

 

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 こういう機会でもない限り、世界人権宣言について真正面から考えることもないだろうし、子どものいない私には教育現場が抱えるいじめや格差の問題を知ることもなかったでしょう。

 サムルノリは昨年の朝鮮通信使400周年記念事業で耳にしましたが、「農楽から発達し、3拍子と4拍子が融合した稀有な複合拍子であり、日本の神楽のように男性しか演ずることが許されなかったが、女性差別撤廃の見地から、今は女性が男装して演奏する」云々…と金先生の解説付きで聴けて、実に得難い時間でした。

 

 

 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」

 「人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない」

という一節で知られる世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)は、世界で5600万人余の命が失われた第二次世界大戦の後、2度と同じ悲劇は繰り返さないという思いで作られた人類共通の権利の章典。のちに国連で結ばれた国際人権規約や女性差別撤廃条約、子どもの権利条約など人権条約の基礎中の基礎となったものです。

 

 

Imgp0116  金先生は大学生の時にこの一節に出会い、8つのキーワード(人間・自由・尊厳・権利・平等・理性・良心・同胞)に心を揺さぶられたと言います。とりわけ、「同胞」という言葉は、韓国朝鮮の人にとっては同一民族を意味するものとされていたのが、人類全体を指すものと気づかされ、その後の自身の比較文化論、人権文化論の原点となった、と。

 

 未だに、韓国ドラマや映画なんかでも、「同胞」は同じ朝鮮民族という意味で使われています。50年以上も前に、同胞は人類全体を意味するんだという意識を持たれた金先生は、やっぱり凄い人だ…!と思いました。

 

 

Imgp0137  パネルディスカッションでは、自身も車いす生活を送る青野さんが、「自由を求める権利は障害の有無にかかわらず誰でも与えられているはずなのに、電車に乗りたい、仕事をしたい、街中に住みたいというささやかな願いさえも難しいのが現実。他人の世話になっているんだから我慢するのが当たり前という風潮」「車いすで新幹線に乗る時は必ず予約が必要。先日、急な用事で予約なしに乗ろうとしたら、乗務員が“飛び入り1台入った”と連絡し合うんです。正規の切符を買って乗るというのに、人間扱いされていない」と自らの体験を語りました。

 昨日(6日)夜のNHK教育で、テレビが障害者をどう描くべきかを、NHKの番組ディレクターとドキュメンタリー映画監督森達也さんが、障害者のみなさんと生討論するのを観ました。障害者を取り上げるテレビ番組というのは、「障害があっても明るく元気で他者から愛される人」ばかりで、「障害者がみんないつも明るくて努力家であるわけじゃない。メディアが、そういうイメージを障害者に押し付けている」と障害者自身が違和感を訴えていました。

 

 健常者が何気なく発する言葉やしぐさでも、障害を持つ人を傷つけたり、メディアがよかれと考えて作った番組にもある種の差別が潜む・・・こういうことは、障害者自身が声に出さなければ、健常者は気付かないんですね。

 

 

 

Imgp0138  佐藤さんは、自分の子どもがいじめを受けて学校から早退してきたとき、全身全霊で「あなたを守るから」と受け止め、子どもをクラスの中でからかいの対象にした元凶である担任教師と直談判し、子ども自身、「お母さんと先生が解ってくれれば十分」と問題を表ざたにはしなかった話を、涙ぐみながら披歴し、「何より大切なのは、大人が子どもに、愛をしっかり示すこと」と強調しました。

 

 

 常葉短大の鈴木さんは、子どものいじめをなくす試みとして、北九州市立中央小学校の国語と道徳の授業にディベートを取り入れた例と、常葉橘小学校の英語の授業で協同学習に取り組む例を紹介しました。

 

 ディベートとは、時に自分の考えとは違う立場に立って意見を言い、議論することがあります。これを続けると、自分とは違う他者を理解する力が付きます。

 協同学習とは、小グループに分かれ、子どもたちが仲間で教え合って進める授業方式で、フィンランドあたりではほとんどこの方式。先生が教壇に立って一方的に進める授業はほとんどないそうです。

 

 とくに小学校での英語は、小さい頃から英語塾へ通うなどして進んでいる子と、そうでない子がいるので、子ども同士が教え合い、助け合って学習するうちに、いじめがなくなったと言います。先生は、どうしてもついていけない子がSOSを出した時だけサポートするそうです。

 いずれも、子ども同士で接する時間が長くなればなるほど互いの違いを理解し、助け合い、認め合うようになれば、いじめや差別は自然になくなる、というわけです。

 

 

 「学校はこれまで、人間とは何かを教えてこなかった。けっして一人では生きられない生き物であるということを」と金先生。ご自身は学生に、「読む、書く、聞く、語る」の訓練を徹底させたといいます。

 これは児童や学生だけでなく、自分たち大人も、今更ですが必要な訓練かもしれません。私自身は、ブログを書き始めて、自分の何気ない言葉づかいが他者を傷つけていないかどうか、職業ライターである以前に、一人の人間の行動規範として考えるようになりました。

 

 それは、何より、言葉にして伝えるということが大事だから。人権宣言とは、世界から言われた言葉ではなく、自分たちから世界に向けて発する言葉に相違ありません。