契丹展の続きです。
今回の展覧会はキャッチコピーに「美しき3人のプリンセス」とあります。契丹国を建国した初代皇帝・耶律阿保機の妹ユルドゥグではないかと思われる謎の女性、18歳で亡くなった5代皇帝・景宗の孫娘・陳国公主(ちんこくこうしゅ)、6代皇帝・聖宗の第二夫人・章聖皇太后(しょうせいこうたいごう)の3人を指すようですが、会場を観た限り、3人のキャラクターがイマイチ解りません。
図録を読んでも、3人の解説は書いてないし、第一、3人の肖像画がないのに「美しきプリンセス」とはいかにも誇大表現だし(笑)、なんとなく展覧会を盛り上げるためにプロモート側が後付けしたイメージ戦略なのかなあと・・・。こういう裏読みは職業柄、悪い癖です(苦笑)。
契丹という国、確かに認知度は低いかもしれませんが、今回、聞きかじりでざっくり勉強しただけでも、大変魅力的な歴史や文化を持っている国だと解りました。
とにかく多くの出土品が、1千年以上、手つかずで当時のまま鮮やかな色彩や形状を保ったまま発掘されていること、それら出土品の多くが、遊牧民とは思えない高い文化レベルを伝えていること、仏教信仰が厚く日本との共通点も多いことなど、歴史ファンの琴線に触れる要素がたくさんあります。「美しきプリンセス」という実体のないコピーより、契丹という国の未知の魅力を伝える、品格ある表現がなかったのかなあと思いました・・・。
それはさておき、19日の講演会「契丹王族の仏教信仰」は、3人のプリンセスの一人、6代皇帝の第二夫人・章聖皇太后が建てた慶州白塔と出土品がテーマでした。
慶州白塔とは、内モンゴル自治区赤峰市にある慶州古城遺跡の一角に建つ釈迦仏舎利塔。八角形の平面で上に向かうほど細くなる七層の塔です。図録からコピーした写真ですが、これが、緑の草原にドーンとそびえているんですね、実に美しい!!
この白塔、章聖皇太后が1047~1049年頃、創建したもので、1988~1992年に内蒙古文物考古研究所が解体修理をした際に、塔の先端部分から数多くの色鮮やかな文物が発見されました。
出土品の状態は、講師の古松先生曰く「造りたてと思えるほど鮮明な色や形状。正真正銘、1千年のタイムカプセル」とのこと。高層部で密封されていたため、奈良の正倉院並みかそれ以上のコンディションで保存できたんですね。
今回の展覧会で公開されている出土品は、赤や緑の彩色が残る釈迦涅槃像、当時の輝きのままの銀・鍍金・真珠で作られた鳳凰舎利塔、鮮やかな金・銀板の陀羅尼経、高さ30~50センチほどの法舎利塔(経巻を入れた舎利塔)が100基あまり、日本的な花鳥文の刺繍が施された刺繍裂に遊牧民風の騎馬人物文の袱紗など。どれも保存状態がいいので、施主である皇太后の意志や、当時の職人の意匠や技術が手にとるように判ります。
とくに法舎利塔の中には「七仏法舎利塔(過去七仏=釈迦とそれ以前に釈迦だった6仏を合わせた7仏を彫ったもの)」と「十方仏塔(全方位に存在する仏を彫ったもの)」が含まれ、多量の法華経が納められていたそうです。古松先生は「仏教の時間軸と空間の広がりをとらえたもの。皇太后がいかに深く仏教を理解し、帰依していたかが解る」と解説されます。
皇太后は、この白塔を、『無垢浄光大陀羅尼経』の教えに基づいて建てたとされています。陀羅尼というのは、こちらの記事でも紹介したとおり、お釈迦様の功徳をいただくパワフルな呪文、みたいなもの。塔そのものが陀羅尼を具現化したようなものです。当時、契丹国では、陀羅尼を称えれば“滅罪と往生”がなる、と一種のブームのように信仰されていたそうです。
彼女がこうも深く信仰した背景には、当時の複雑な政治状況があったよう。契丹は前の記事にも書いたとおり、初代皇帝耶律阿保機は、国内に移住してきた漢民族への対策に力を入れ、彼らが安心して定住できるように仏寺を多く建立しました。
2代皇帝太宗の時代には、東方の渤海国が滅んで、唐仏教の流れを汲む渤海仏教が流入したり、領土となった華北の燕雲16州の仏徒が移住したりで、仏教が契丹国に幅広く浸透したようです。
中国本土でも一大勢力を誇っていた契丹国は、章聖皇太后の夫である6代皇帝聖宗の時代に北宋と「澶淵(せんえん)の盟」という平和締結をして、その後120年間、中国大陸に泰平の世が訪れます。日本の江戸時代に比べると短いけど、群雄割拠する大陸で統一政権のない時代、100年以上も平和が保たれたというのは奇跡的な話なんですね。
章聖皇太后は第二夫人ながら、正妻を自殺に追いやった、いわゆる“猛女”だったそうです。夫亡き後、長男を7代興宗に就かせ、皇太后として君臨するのですが、次第に長男と意見が合わなくなり(・・・そりゃあ息子からしてみたら、いつまでも口出しする母親はウザいよね)、彼女は次男を溺愛するようになり、長男とは険悪な状態に。
それでも、やっぱり血を分けた母子。仏教によってある意味救われたのかもしれませんね。彼女は白塔を建てて7月15日に供物を奉納し、亡夫の追善供養をしました。
舎利塔の塔身正面の扉に刻まれた男女は、自分と、息子興宗の肖像画。鮮やかな鍍金が残った肖像画で、「美しきプリンセス」かどうかは判断しかねますが(笑)、とにかく気持ちがこもっているであろうものが、ちゃんとした形で残っていることに感動しました。
草原の王朝・契丹展は、3月4日まで静岡県立美術館で開催中です。難しいことはわからなくても、1千年前のものとは思えない完璧に近い状態で保存された文化遺産、しかも世界初公開のものを身近で観られるというだけで価値があると思います。