西の魔女が死んだをよんで、主人公のまいが娘にかぶった。
本文より、「感受性が強すぎるのよね。生きにくい子。昔から扱いにくい子だったわ」と話ているのを聞いて、より傷ついてしまう。
まいの不登校を機に母が父に言っているセリフ。
この本では不登校のまいを
母の母、まいにとっては
おばあちゃんにあたるひと。
まいはおばあちゃんの住む田舎で
二人だけで生活し
そのなかで、
豊かな自然にかこまれ
生きる力をおばあちゃんの
導きの元自分自身で見つけ出し
実践していって、
再び現実の世界に戻る選択ができるまでになる成長物語。
前回の投稿でも書いたが
なかなか約束事を果たせない娘。
昨夜も約束事を破り
波乱があった。
感情的にならないと思っても
やはり頭に血がのぼると
まくしたててしまうので
本人はだんまり。
聞いているのかどうか、、
だが今回は朝私が起きたら
長文の反省文がおいてあった。
読んで泣けた。
私も我ながら単純w
娘の文には繰り返し「期待」の文字。
私は娘に期待して怒ってるのか?
「期待に応えられないくてごめんなさい」
期待してるつもりはないけど
(子供は例にもれず親の期待に応えようとしてるらしい〜現実に実行できてるかは別にして)
そういうふうに思っていたとは
夢にも思わなかった。
なぜ怒るか、それはやはり親心として
娘の将来が心配だから。
期待の意識はなかったけど
そういうことなのかもしれない。
けれど子供は少なからず親から期待されたいと思っているところもあるらしい。期待を糧に頑張れるなら
期待は大切かもしれない。
でも親の期待に応えることが
ゴールになってるとしたら
それは違うと思う。
あくまでも
自分自身のために
頑張ってほしいと思う。
それでも文章にかいて
自分のきもちを伝えることは大切だと思う。
知らなかったことを知ることになる。
自分のきもちに気づくことにもなる。
立派な母親には程遠いけど
娘は娘なりに成長してると
感じた、いい意味で期待に応えてくれている。育て方が間違ってと
常に自問自答しながらだけど
あながち間違いだらけでもないらしいと娘の反省文から感じた。
よく娘に
「無駄なことはひとつもない」と
いわれるけど(私の読んだ本のセリフのうけうりですが)まさにそんな感じ、、
「西の魔女が死んだ」を感想文に
選んだ娘。
自分に重ねてまいのおばあちゃんのような師と仰げるひとと出会えるといいなあと親としては思う。
こどもの心を理解することは
実の親子だと
見えなくなることは
多いと思う。
けど大好き、あなたのことを愛してる、言葉にだすと恥ずかしいけど
態度で示して相手に伝えていきたいと思う。そして相手からも「アイノウ」
(まいのおばあちゃんのセリフ)
とそれが絆なのかと思う。
夏休みはあと少し。
娘はこの夏また少し成長できたのだと思う。
GARAのカレー。
フードコートに新しく入っていて
久々にたべた!こんなだっけ?
ナンが美味しかった。