今回もまた佐倉に行って、天ぷらを食べてきました。
佐倉藩は、徳川家康になってから代々的に大きくして土井正勝が中心になって最初は作られました。
その後、最後に堀田正亮が明治2年に城主になり、廃藩置県となりました。
幕末、蘭学を推奨し、開国に尽力した老中、正睦の嫡出で最後の佐倉藩主であった堀田正倫。1871年の廃藩置県により佐倉を離れ東京に移住し華族として天皇に仕えました。1887年に宮内省より華族の地方移住が認可されると、旧領地の佐倉に戻る、国の基となる農業、教育の振興に尽くすことを決意しました。佐倉に邸宅を構え、その周辺に堀田家農事試験場を1890年に作りました。この試験場は明治時代の千葉県を代表する農業研究機関です。また学問のための奨学会を作り、当時の佐倉中学校への多額の寄付も行いました。さらに佐倉の人々とも盛んに交流を深め、明治時代にあっても佐倉の地域の象徴的存在として親しまれていました。
「旧堀田邸」は明治23年に旧領である佐倉に設けた邸宅・庭園です。伝統的な和風様式で建築され、平成18年には国の重要文化財に指定されています。
庭園は、眼下の高崎川や対岸台地を借景年、芝を中心に松やサルスベリなどの樹木と景石や灯篭が配置されています。
佐倉順天堂記念館
江戸から佐倉へ移り住んだ蘭医の佐藤泰然が、1843年に開いた蘭医学の塾を兼ねた診療所です。当時は「西の長崎・東の佐倉」と言われ、のちに2代目堂主となる佐藤尚中(たかなか)をはじめ、日本近代医学をリードする多くの人材を輩出しました。
日本医学の発展に尽くした順天堂の事跡を後世に伝えるため、1975年に「旧佐倉順天堂」として県指定文化財(史跡)に指定。その後、1985年から「佐倉順天堂記念館」として一般公開されるようになり、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具など、数々の貴重な資料が見られます。
順天堂大学や東京医科歯科大学はお茶の水に移ってますます大きくなりました。順天堂は体操などの分野でも頑張っています。これからも頑張りに期待したいです。