ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

佐倉順天堂記念館

2024年08月06日 | 旅行

今回もまた佐倉に行って、天ぷらを食べてきました。

佐倉藩は、徳川家康になってから代々的に大きくして土井正勝が中心になって最初は作られました。

その後、最後に堀田正亮が明治2年に城主になり、廃藩置県となりました。

幕末、蘭学を推奨し、開国に尽力した老中、正睦の嫡出で最後の佐倉藩主であった堀田正倫。1871年の廃藩置県により佐倉を離れ東京に移住し華族として天皇に仕えました。1887年に宮内省より華族の地方移住が認可されると、旧領地の佐倉に戻る、国の基となる農業、教育の振興に尽くすことを決意しました。佐倉に邸宅を構え、その周辺に堀田家農事試験場を1890年に作りました。この試験場は明治時代の千葉県を代表する農業研究機関です。また学問のための奨学会を作り、当時の佐倉中学校への多額の寄付も行いました。さらに佐倉の人々とも盛んに交流を深め、明治時代にあっても佐倉の地域の象徴的存在として親しまれていました。

「旧堀田邸」は明治23年に旧領である佐倉に設けた邸宅・庭園です。伝統的な和風様式で建築され、平成18年には国の重要文化財に指定されています。

庭園は、眼下の高崎川や対岸台地を借景年、芝を中心に松やサルスベリなどの樹木と景石や灯篭が配置されています。

佐倉順天堂記念館

江戸から佐倉へ移り住んだ蘭医の佐藤泰然が、1843年に開いた蘭医学の塾を兼ねた診療所です。当時は「西の長崎・東の佐倉」と言われ、のちに2代目堂主となる佐藤尚中(たかなか)をはじめ、日本近代医学をリードする多くの人材を輩出しました。

日本医学の発展に尽くした順天堂の事跡を後世に伝えるため、1975年に「旧佐倉順天堂」として県指定文化財(史跡)に指定。その後、1985年から「佐倉順天堂記念館」として一般公開されるようになり、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具など、数々の貴重な資料が見られます。

順天堂大学や東京医科歯科大学はお茶の水に移ってますます大きくなりました。順天堂は体操などの分野でも頑張っています。これからも頑張りに期待したいです。

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鉄道いいですね!

2024年07月14日 | 日記

私は旅行が大好きです。

特に路面電車が好きで、寺島広小路から日本橋まで行く路面電車が大好きでした。

しかし、その後廃止になり一路線だけ残りました。

早稲田からの路面電車で、荒川線だけになってしまいました。

運転士が「毎度御乗車ありがとうございます。この電車は早稲田から三ノ輪へ参ります」などとアナウンスして、楽しかったです。

 

奄美大島に友達3人で行くときに、東京駅から西鹿児島まで行く急行桜島に乗りました。

この電車は、朝10時30分に出て翌朝10時ころ着くのですが、途中も乗ったり降りたりする人がたくさんいました。

広島の駅は夜中だったのに『あさ』という名前で、さらに鹿児島まではまだまだあります。

この時代は、鉄道の写真など撮るところでなくて、やっと旅行で西鹿児島まで到着する感じでした。

今と違って、体力的には疲れましたが、その分奄美大島はすごくよかったです。

与論島から先はまだアメリカ領でした。(いつの話だ!!お前は!!・・・)

 

次に、下関から京都まで山陰本線で途中泊まりながら行きました。

この電車も、車窓の景色は素晴らしいけど、何度も同じような景色が出てきます。

出雲から岡山まで『やくも』にも乗りましたが、今度新型がでたそうで乗ってみたいと思いました。

 

さて、次は東京の話です。

小田急線が何十周年かの記念で、小田原まで乗ってみました。

一輌目の切符が取れ、最前席は無理でしたが7列目になりました。

途中途中で、駅員が窓の外から挨拶してくれて、なんともいい気分でした。

小田急線とか東武線など特急を持っている鉄道会社はいいですね!

その先は、箱根登山鉄道に乗りましたが、線路の幅が小田急線とは違い広くなっています。

こんなところも面白いですよね。

(線路の幅のことを言ったら、女友達が「え~~、そんなこと全然感じたことないですよ。や~、野崎さんは本物のてっちゃんなんですね」と感心されました。)

早雲山から箱根湯本にかけて、何回行ってもワクワクします。

この路面鉄道は豊橋です。

日本一の急カーブですが、意外にあっさりと曲がってしまいます。

キーキーと車輪とレールが擦れ合い車体がかしぐようなスリリングなものは期待してはいけません。何事もなくスムーズに曲がれるのが運転士さんに課せられた使命なのですから。

これを見るために、いつも何人か来ていますが、この時も5人ばかりいましたね。

私もその間に交じって写真を撮りました。

私は次の目的地があるのですぐに退散しましたが、みんなはもっと粘っていたみたいで「根性のないやつ」と言われそうでした。

新潟から会津若松に行く『ばんえつ物語号』の話です。

津川まで行きました。ここは狐の嫁入りの話で有名な場所です。

この蒸気機関車は週に2回くらいしか走りませんが、車内がとてもレトロ楽しいんです。

狐の嫁入りは、『狐の嫁入り物語(祭り)』は夕方4時ころから始まるのですが、とりあえず時間つぶしに散策しました。

この祭りは夕方4時から夜中まで踊りをします。

10時頃になって狐の嫁入りのクライマックスですごく盛り上がります。

 

最後に木曽路です。

この列車は観光鉄道です。それなりに観光としては心がくすぐられます。

とにかく、電車の旅は楽しいから、移動はなるべく鉄道を使いたいものです。

今、リハビリ中の私はどこにも行けませんが、ぐっと我慢をしています。

 

今年も暑い夏になりそうですね。みなさんもお体大切に!

では、また。

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麻賀多神社

2024年07月04日 | 日記

今日はまた佐倉に行きました。

お昼にお寿司を食べました!

その後、麻賀多神社に行きました。

当社をはじめとしてこの佐倉市内に11社・隣接する酒々井町2社・成田市2社・富里市2社・八千代市1社の計18社を数えます。一見多く存在するようですが、これを全国的に見ますと他の地方には見られない、珍しい名前の神社で、印旛沼の東側から南にかけての地域にのみ存在する神社という話です。

徳川時代に、神社の西方に土井利勝公が佐倉城を築きました。その城主となってからは、当社はこの地方の氏神様であるばかりではなく、城の追手門近くに鎮座する神社です。

上記の写真の神社でお参りをしてきました。すがすがしい気分でした。

当神社は、毎年10月の第2金土日がご例祭となっています。全国でも有名なお祭りのひとつです。

このお祭りで使用される大神輿(佐倉市指定文化財)は、県内で使用されている神輿では最大級のもので、江戸中期・享保六年に江戸から職人10名程を呼び、8ヶ月の月日と当時の金子約360両という大金をかけて造り上げた豪華な大神輿です。

山車は7台(現在は2台)あり、江戸時代から明治初期にかけて神田周辺で調えられもので、竹生島・石橋等の本格能装束を着けたもの、日本武尊・関羽等の武勇たけるものが上に乗ります。

御神酒所は屋根型の屋台で、神社神輿の担ぎ棒を欄干に掛けて麻賀多様に御神酒を奉納するところから、佐倉では屋台のことを御神酒所と呼んでいます。

とりあえずは今日はここで終わります。また、他の神社にも行きたいと思います。またの機会をお楽しみにしてください。

 

参考サイト お祭りのご案内 -佐倉藩鎮守 *麻賀多神社* (makata.jp)

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博物館にて

2024年06月21日 | 日記

国立歴史民俗博物館に行きました。ここと奈良にしかありません。

1番先史、古代

日本列島に人類が出現した約3万7千年前の旧石器時代から、中世への扉が開き始める10世紀までの人々の生活と文化のことです。

水田稲作の始まりや正倉院のこともよく書かれています。

2番中世

平安時代から安土桃山時代までの日本の文化と生活を、貴族や武士、庶民といったさまざまな階層の立場のことです。

平安時代のあでやかな王朝文化、鎌倉時代の武士のくらしと荘園絵図などが関わっています。

 

3番近世

江戸時代の人々の生活や文化のことです。

人やモノの移動がどのように行われていたかです。

寺子屋「れきはく」もあり楽しく遊べます。

4番民俗

民俗へのまなざし、祭りや妖怪、人生儀礼、死者の祭礼から豊かな想像力を考えられる。

民俗へのまなざしおそれと祈りのことなどが書かれています。

5番近世

現在リニューアル中です。

6番現代

1970年ごろまでの生活と文化そしてそれを取り巻く日本の社会と世界の動きについて書いてあります。

 

とにかく2時間ぐらいでは見れなくて1日ゆっくり見たいです。

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印旛沼

2024年06月20日 | 日記

佐倉にまた来ました。

今回は印旛沼に来ましたが前より綺麗になりました。ボートレースもやつてました。

美味しいウナギを食べました。ただし、5000円もしました!

今日はこの辺で終わります。3年ぶりにブログを作りました。今まではほかの人に頼んでいましたが、今度から少し自分で作っていきたいと思います。

後でゆっくり考えます。

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株式投資について

2024年05月29日 | 日記

みなさん、お元気ですか?

私もなんとか元気です。

今日は、暇だから株の話でもします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は大学を卒業したあたりから株を始めました。

最初は、売ったり買ったりしたけど、トントンより少し損をした程度で終わってしまいました。

13年経って会社を始めましたが、宅建士・行政書士・測量士・FPの資格などを持っていて、主に不動産業を開業しました。

最初の3・4年は結構儲かって笑いが止まりませんでした。

ところが3年過ぎると、まず株が大暴落して、4年後には不動産業もダメになりました。

そのお金を返すために忙しくて株どころではなくなり、行政書士の仕事で頑張りました。

10年くらいは株はやらずに借金返済に必死でした。

不動産業の借金は20年かかってやっと返済できましたので、また株を再開しました。

今度は、売ったり買ったりではなく、最低でも一つの株を5年くらいは持ちました。

その方が、儲かります!!

今考えているのが、トヨタやTDK、ファナック、京セラ、NTTなどが確実に上昇すると思います。

ユニクロ、アドバンテスト、キーエンス等は値段が高すぎて買えません。

アメリカのウォーレンバケットは、昔の株はコカ・コーラ、今はマイクロソフトなどで、どんどん儲けてます。

最近では、日本の5大商社も買いはじめて、儲けようと思っています。

彼は90歳はとうに超えていますが、まだまだ儲けようと思っています。

大したもんだ!! 頑張ってください。

 

 

藤井由美子さんから、お便りをいただきました。

 

「モネのポストカードで野崎さんから自筆の字でお便りありがとうございました」

と、返信がありましたが、私はまだ字が書けないので、代筆してもらいました。

「先日友達と佐倉に行ったそうですね。お昼はトンカツを食べて、その後武家屋敷に行かれたそうですね。

私も次男が佐倉に住んでいるので、孫の入学式に行きました。最近はパソコンやブログで交流を楽しんでいるようですね。

11月には後期高齢者になるので、行く末を考えるようになりました。

『思い出は人生の燃料になる』の言葉を信じて心強く生きようではありませんか。」

 

廣田寿美さんからお手紙いただきました。

「だいぶ春めいて来ました。桜の花が咲くと気持ちがウキウキしますね。

ただ私は花粉症なので・・・」

みなさん、お便りありがとうございます。

 

 

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佐倉

2024年04月29日 | 日記

久しぶりに佐倉に行きました。

友達ととんかつを食べてきました。のどかでよかったです。

その後佐倉武家屋敷に行きました。

旧河原家住宅

1,835年頃までにはできていました。

建築様式、構造、部材、風蝕などに古い要素が見られ佐倉に残されている武家屋敷の中では最も古いものと考えられます。

佐倉はとにかく道が奇麗で気持ちがいいです。

 

旧但馬家住宅

この住宅は1830年頃出来たと思われます。

初めてこの住宅に入ったのは誠心流槍術師範であった井口さんであった。

 

旧武居家住宅

旧百石未満の藩士が住む小屋の規定と家屋の規模が一致しています。

幕末にこの屋敷に住んでいたと考えられる田島伝左衛門は90石の藩高でした。

 

サムライの古径ひよどり坂です。

途中に竹林があって素晴らしいのですが歩かなければいけないのでやめました。

今日はこの辺でさようなら。

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海を眺めて

2024年04月13日 | 日記

リハビリ中の野崎です。

去年の11月以来、久しぶりに自宅に帰ってみた。

友達が迎えてくれました。

前回ドアがさびて開かなかったこともあって、Aさんが潤滑油などを用意してくれていて、いろいろ塗ってみた。お陰でスルッと開いた。

2階から1階を片付けて、さらに事務所の方も奇麗にした。

施設に少し持ってきたいものがあったので、Aさんが車に積み込んで、翌日運んでもらった。

その後、姪っ子とその子供とで海岸でランチをした。

彼女達がサッカーで遊んでいた間、私は検見川の浜のビル群を眺めていました。新しい建物が3つばかり増えたが、それ以外は変わらなかった。

「ここに帰ってきたいな~」と思いました。

彼女達が帰り、私も帰る準備をした。

車に乗って、近所を回ってみました。

磯辺二小はなくなってしまい、跡地は住宅地になる。

その小学校は、キムタクの出身校でもあるのですが、なんとなく寂しい気がします。

次は海まで行ってみました。駐車場が、昔は無料だったのに、有料になっていたので、停めずに磯辺大橋まで行った。片道3車線あるので、少し停車して景色を眺めた。

稲毛海岸から、ポートタワーまで見えて、反対側では「若葉の湯」ができていて、海を見ながら1500円で入浴できるそうだ。

そこから一回りして、反対の道を走ったら、40階くらいのタワーマンションができるそうです。

帰りに検見川浜のイオンに寄って、椅子や他の買い物をして、施設に戻ってきました。

今の私のとっては、大仕事で疲れはあったが、翌日は小深の施設の近所で花見をした。

桜が満開で綺麗だったが、それだけのことでした。

この先どうするか考えたけど、混乱するので止めました。

       では

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もう少し頑張るか!!

2024年03月30日 | 日記

ああ、三月も終わりますね。

1月1日はあっという間に終わってしまいましたね。

その朝はちょっと美味しいものを食べたりして、午後からはインドネシアの職員の人達が踊りやダンスなどを見せてくれて楽しかった。

皆さんは初詣でにいったり、今年は旅行もできたので、あちこち出かけたのではないでしょうか?

羨ましいなと思いました。

1日の午後4時に大地震が起きました。

そのうえに自衛隊の飛行機がジェット機と衝突して大騒ぎになりました。

北海道の飛行機には死人はでなかったですが、自衛隊では5名の方が命を落としました。

能登では230人くらいの死者が出て大騒ぎでした。

輪島でも伝統ある建物やビルの倒壊で、甚大な被害があって大変だっただろうなと思います。

これが東京だったら、何千人という死者がでたのではないでしょうか。

千葉県でも昨年秋に台風被害が大きかったので、明日は何が起こるかわからないと、つくづく考えました。

私もお正月10日からコロナになってしまい、3日くらい40度近い熱が出て、その後も3日くらい38度くらいの熱が続きました。

喉の痛みがしばらく続き大変な思いをしました。

不動産業の仲間の佐藤さんも同じころ罹患したと聞き、同じような思いをしたのかなと思いました。

彼は、最初寒気がして、ゴルフ中に頭が痛くなって、病院にいったらコロナだったらしいです。

症状も様々なんですね。

なんだかんだ言っても健康が一番ですよね。

体操とかリハビリマッサージをして、これからも体を保っていきたいと思います。

昨年、若かりし頃テニスや山登りを一緒に楽しんだ2歳下の小瀬さんと電話しました。

「やっぱりなんだかんだ言っても、体が少し良くなってきたんだから、もう少し頑張ってみたらどうですか。まだ死ぬ年ではありませんよ」

 

そうだな、もう少し頑張るか。

 

 

では、、、また。

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久しぶりです

2024年03月16日 | 日記

久しぶりです

ちょっと病気していたので休んでいました

そのうちゆっくり作ります

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