黒羽町の中心街からバスで461号線を行くと道の駅「「那須与一の郷」がありました。
広大な敷地にレストラン、農産物直売館、情報館などが並んでいます。
最近は鉄道の駅前では満足にお土産を買えるような店もありませんが道の駅は繁昌しているというか、品物も豊富です。
さてその一角に那須与一伝承館という立派な建物がありました。
こういう建物が立派な場所は中に入るとがっかりするところが多いのですがとりあえず300円、料金払って入りました。
国の重要文化財の刀や鎧などが展示してありました。
小劇場があってからくり人形風ロボットと三面ワイドスクリーンの映像による屋島の合戦における那須与一の活躍を上演していました。
与一は目をふさいで南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現、宇都宮那須の湯泉大明神
願わくばあの扇のまん中射させて賜ばせたまえ。これを射損じるものならば、弓切り折り自害して
人に再び面を向かふべからず。いま一度本国へ迎へんとおぼし召さば、この矢はづさせたふな。
と心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。
与一鏑(かぶら)を取ってつがひ、よつびいてひやうど放つ。小兵というぢやう、、十二束、三伏、弓は強し
浦響くほど長鳴りして、誤たず扇の要ぎは一寸ばかり射て、ひいふつとぞ射切りつたる。
(平家物語 那須与一の一部)
この道の駅の裏手に那須神社(昔は金丸八幡宮といったらしい)があります。
木立に覆われた長い参道の奥に本殿がありました。
お水舎
国指定のおくのほそみちの風景地となっています。
楼門
那須与一が源平屋島の合戦で扇の的を射る時に祈願をこめたのは、那須湯元の温泉(ゆせん)神社だそうですが
芭蕉が訪れた頃はこの地では与一が祈願したのは金丸八幡宮であると言い伝えられていたそうですよ。
本殿。
全体的に道の駅の賑わいに比べてちょっと淋しい感じがしました。
奥の細道(黒羽) 後半部分
それより八幡宮に詣。
それから八幡宮に参拝した。
与一扇の的を射し時「別しては我国氏神正八まん」とちかいしも、此神社にて侍ると聞けば、感応殊しきりに覚えらる。
那須与一宗高が扇の的を射た時に「わけてもわが生国の氏神正八幡よ」と祈誓をこらしたのもこの神社であると聞くと、ありがたさもひとしおです。
暮れば桃翠宅に帰る。
修験光明寺と云有。そこに招かれて、行者堂を拝す。
また修験光明寺と云う寺がある。そこに招かれて行者堂を拝んだ。
夏山に 足駄を拝む 首途哉
旅の再開を前にして役行者(えんのぎょうじゃ)が用いたという足駄(あしだ・・・はきもの)を拝んだ。行く手にそびえる夏山を超えるにあたり、彼の健脚にあやかれたらいいな。
「曾良さんよ、立派な道の駅があるからお昼にしようかね」
「翁!伊達藩の調査に予算がかかってしまい路銀がエコノミークラス症候群です」
「では天ざるはやめてかけ蕎麦にしよう。くれぐれも幕府の預り金は飲み食いに使わないように!」
「そうですね。江戸の大目付役、升添何某みたいに皆の前でせこいことで恥はかきたくないですよね」
「僕はね大所高所の人だから、領収書・領収書と多くの面前で言い訳させたりしないように配慮してくださいよ」
「ところで我々の足跡を訪ねているご隠居と八兵衛とやらはどうしている?」
「そういえばあいつらは学生時代に弓道部で知り合ったとか。ここにも来たかもしれませんが那須与一も馬鹿奴らの事を笑っているでしょう」
「人生全般に真摯な態度が見られないよね」
「ご隠居と云うのは弓が下手で逆立ちしても的に当たらなかったそうです」
「きみねぇ、普通に討っても下手なんだから逆立ちしたらなおさら当たらないだろう。曾良さんの話は物理的にもおかしいよ」
「翁を喜ばせようとばかっ話しているんですよ」
「しかし世の中いい加減な奴でも何とか生き抜いて臨終を迎えるんだね」
「まぁご隠居の云うことには運動部のマネジャーをやっていたので就職活動は顔パスだったなどと威張っていましたよ」
「学生時代からろくすっぽ練習なんかしないで口だけ達者なマネージャだったんだろうね」