ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

鎌倉界隈(浄智寺から建長寺)

2016年07月21日 | 旅行

明月院から横須賀線の踏切を横切り浄智寺にやって来ました。

鎌倉五山第四位です。

鐘楼門

二階が鐘楼という珍しい山門です。銅の鐘がかかっています。

浄智寺は北条時頼の三男である北条宗政が亡くなった折、1281年頃の創建だそうです。

拝観料を払って中を散策しましょう。ここも小高い山に囲まれた谷あいにあります。落ち着いた雰囲気です。

鎌倉のお寺は地形をうまく利用しています。

天柱峰という山を借景にしていて緑に抱かれているという感じかな。天柱峰からハイキングして大仏さんや銭洗弁天にも行けるそうです。

ハイキングは冬の寒い時にしましょう。

ご本尊です。(三世仏)

阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来は、それぞれ過去・現世・未来の仏様です。

三世(さんぜ)に渡って人々の願いを聞き入れてくださるというありがたい仏様。

この本堂の名は「曇華殿(どんげでん)」といって、三千年に一度咲く伝説の花に由来します。

この奥に布袋様(ほていさま)がいらっしゃるようです。

鎌倉七福神の一人で、弥勒菩薩の化身とも言われています。お腹をさすると、元気をもらえるそうです。

布袋様は男性でしょうか?セクハラにはならないですよね。

それにしてもご隠居のお腹と似ていてちょっと嫌でした。

まぁご隠居のお腹をさすっても何のご利益もありません。

さらに鎌倉街道を歩いているとまた汗が出てきたので何かのガイドに書いてあった三日月堂花仙に入りました。

思い切り豪華に氷宇治金時、アイスクリーム、白玉付きをオーダーしました。最後は頭がキンキンしました。

 

さて天下の建長寺にやって来ました。

鎌倉五山第一位。臨済宗建長寺派の大本山です。

またまた出てきました北条時頼公です。時頼公が建立した我国最初の禅寺です。

天下禅林と読み、中国明の時代書家竹西の書いたものです。

尚「建長汁(けんちんじる)は建長寺発祥の料理です。

鎌倉幕府は武家最初の政権ですがまだまだ片田舎の首都で、将軍ではなく執権である時頼公がこんなに広大な寺院を山々の谷間のあっちこっちに建立したのはすごいなと思います。

現在と違ってスマホもテレビもない時代、鎌倉幕府のご威光を引っさげて京都はもちろん遠く隠岐ノ島の天皇の動向を探り、九州から東北の山ん中まで平氏追討をやってのけました。

権力は便利な通信手段なんかなくてもその気になれば何でもできるんですね。

三門を通って仏殿に向かいます。

ご本尊の地蔵菩薩像。

総門、三門、仏殿、法堂など広大な伽藍が一直線にならび左右に大禅堂、大食堂を配し中国宋時代の禅宗寺院を模しています。

京都まで行かなくても結構楽しめます。

梵鐘 重さ2.7トン 1255年鋳造。国宝です。

仏様は外国語でもお願い聞いてくれますかね?

やっぱり紫陽花が咲いていました。

さて夕方になり道も空いてきたので建長寺前から鎌倉駅までバスに乗りました。

鎌倉のお土産といえば「鳩サブレー」ですね。

この日も鎌倉駅前の店は外までお土産を買う人で並んでいました。

若宮大路(断葛)の前の本店に行ってみました。こちらも結構混んでいました。

これだけ人気があると豊島屋の社長さんは儲かって笑いが止まらないでしょうね。

「私の辞書には休日なんて言う文字はない」とか思っているでしょうね。

そこにいくとご隠居なんかは事務所を開けると新聞の勧誘だ、アメリカの宗教グループだ、夏祭りの寄付のお願いだとろくなもんでないです。

ひとえに長年、真摯な態度で仕事してこなかったつけですね。

 

さてこれで今回の鎌倉界隈の旅は終りです。

母が腰が痛くて動けないので自宅を留守にできないし、ご隠居も体調があまり良くないし次のブログにアップする記事がありません。

どうしたもんじゃろうかねぇ。

 

コメント
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