陽明門を出てすぐ左に鳴龍の薬師堂(本地堂)があります。
こちらも日光では眠り猫同様に大変人気があります。
堂内は撮影禁止です。
境内で購入した冊子の写真を借りました。右下が鳴龍です。
ガイドのお坊さんが鳴龍の下で拍子木をたたいて(顔の部分の下しか響かない)日本語で説明し、次にきれいな英語でガイドしていました。さすが大観光地です。
こちらは寺院です。昔は観光客が勝手に手をたたいたりしていたそうですが誰かが仏様の前で手をたたくやつがあるかこの罰当たり、とクレームがつき拍子木になったそうです。
縦6m、横15mの34枚のヒノキ板がはめ込まれた巨大なヒノキ天井で狩野派の狩野永真安信によって描かれた8mの龍の水墨画です。
さて一度外に出て二荒山神社まで戻りました。
二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は男体山(2486m)をご神体山と仰ぎ山全体が境内と云うからすごい!
日光国立公園の中枢をなし3400haが御神域だそうです。男体山にも勝手に入るな(登山も)ということになっています。
男体山山頂→奥宮
中禅寺湖畔→中宮祠
市内(山内)→御本社 に分かれています。
日光良い縁まつりと云うのが行われていましたが、当面必要ないような子供たちが下りてきました。
日光の巫女「八乙女」さん。歴史ある神社としては前向きですよね。
近年神社女子(神女)にパワースポット、縁結びとして絶大な人気があるそうです。
ご隠居には縁結びは関係ないので興味のある方はご自分で調べてみてください。
願いを込めて結んでいくのかな?カラフルでいいですね。
一日の終わりが近づきホッとしている感じですね。
帰りは私服になって何処かで一杯飲んで行こうかななどと思っているのでしょうか?
さあ夕闇が迫って来てどの神社も拝観時間が終わっています。
さて輪王寺です。はずせないポイントですが・・・・。
ただいま大修理中です。
工事中のカバーにどでかい写真張ってあります。本物写しているみたいです。
神橋まで戻りました。
昼間は有料で渡ることができます。
二荒山神社の建造物です。日本三大奇矯です。
あと二つはどこかな?
山梨県大月市の「猿橋」と山口県の「錦帯橋」です。
上鉢石町付近。(神橋から少し日光駅方面に下った場所)金谷ホテルの売店がある付近。
芭蕉は上鉢石町の宿に泊まった。宿の主人は自ら「わが名は仏五左衛門」と名乗った。
「万事、正直を旨としておりますゆえご安心しておやすみください」と言った。
嵐山光三郎さんの本によると
「むろんこれも芭蕉の作り話である。
前段が神祇(室の八島)でまたつづいて神祇(日光)となるためその間に釈教(仏)を入れる必要があった。
これは連句の歌仙方式である。同じ題が重複されることを避けるため、宿の主人を「仏の五左衛門」と呼んで釈教をはさみ、しかもそれが旅行寸話のような形式になっているところに芭蕉の工夫がある」
曾良の旅日記では単に「日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方に宿」と有りほとけのほの字もでてきません。
日光に夜のとばりが下りてきました。街路灯が優しく感じられます。
くらやみの中に東武日光駅のやわらかい光が見えてきました。
長い長い一日が終わってほっとした気分になります。
帰りは東武鉄道の新型特急「リバティ」に乗りました。
外は真っ暗で車窓は楽しめませんでした。
これで芭蕉が訪ねた日光は終わります。
引き続き後日、いろは坂を登って奥日光に向かいました。
ご隠居が勝手に行く「僕の細道」です。
仏五左衛門
三十日、日光の麓に泊まる。あるじのいひけるやう、
「わが名を仏五左衛門といふ。よろづ正直を旨とするゆゑに、ひとはかくは申しはべるまま、一夜の草の枕もうち解けて休みたまえ」という。
いかなる仏の濁世塵土(じょくせじんど)に示現して、かかる桑門の乞食巡礼ごとき人を助けたまふにやと、
(どんな仏様がこの濁り汚れた現世に仮の姿を現して、私どものようなこんな僧形の乞食巡礼同然の者を助けてくださるのかと)
あるじなすことに頃をとどめて見るに、ただ無知無分別にして、正直偏固の者なり。
(主人のすることをよく気をつけてみると何のことはない、無知無分別で、正直一方なだけの男である)
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の仁に近きたぐひ、気稟(きひん)の清質もつとも尊ぶべし。
(「論語」にある剛毅木訥に近い感じでその生きざまの清らかな資質を尊ぶだけです)