陸羽東線の有備館駅で下車しました。
有備館駅は(東北の駅100選)に入っています。
駅構内に北朝鮮のプロパガンダのようなポスターがありました。
有備館駅が開業したのが1996年だそうなのでこの絵からすでに10年も経ているのでしょう。
駅前にある有備館に行ってみました。
江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で、1677年ごろ建てられたそうです。
それ以前に1591年伊達政宗が豊臣秀吉の奥州仕置により岩出山にやってきてここに10年余り治府を置いたそうです。(岩手沢という地名を岩出山と改めたそうです)
関ヶ原の戦い後家康から新しい領地として政宗は仙台に城を築きこの地は4男の宗泰に任せたそうです。
有備館の名称は中国の「史記」の中の「有文事者必有武備」から引用しています。
「文」と「武」の両道を備えた武士を育てたのでしょう。
庭園は回遊式になっています。
庭園は1715年仙台藩の茶道頭石州流3代目清水道竿によって作られました。
5月に行った会津の御薬園もそうですが城下町には素晴らしい庭園があります。昔から文化が日本の隅々まで広まっていたのでしょう。
小さな神社がありました。
池から見る風景はやっぱり素晴らしいですね。
時間がなくて歩けませんでしたが大崎市岩出山地区は竹細工、凍り豆腐の特産品、また街路が整備された城下町のようです。
「伊達の小京都」とも言われています。
桜の咲く頃ゆっくり来てみたいと思いました。
奥の細道(尿前の関)冒頭
南部道遥にみやりて岩出の里に泊まる。小黒崎、みづの小島を過ぎ、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に超えんとす。
南部(岩手県)に続く道をはるか遠く眺めて岩出山の里に泊まった。小黒崎や美豆の小島(地名)を通り過ぎ鳴子温泉から尿前の関にやって来て出羽の国を越えようとしている。
曾良の旅日記によると陽暦7月1日宮と鍛冶屋沢の間に「黒沢・水ノ小嶋有」と書いてありこの辺りが荒雄川(江合川)沿いの名勝地であり昔から歌枕でも有名だそうです。
芭蕉さんと曾良さんは松島、石巻そして平泉まで行き逆V字のように岩出山の街に戻ってきました。そして47号線を西に向かいます。
「曾良さん、平泉では感動しまくってまだ魂が抜けたようです」
「その年で心から魂が揺さぶられるようなことがあってよかったですね。」
「さて奥州も遠くなって急に元気が無くなった」
「岩出山という城下町に入ってきました。この辺に宿泊して美味い物でも食べて元気出しますか」
「元気のないついでにもう少し先を急ごう」
「へそ曲がり!」
「歌枕で有名な おぐろさき・みつのこじま(古今集)という場所だとガイドに書いてあります」
「感動した後はこじんまりとした風景もいいものだねぇ ところで鳴子まではまだ距離があって泊まるところもなさそうだ」
「だから言わんこっちゃない、岩出山まで戻りましょう」
「僕はね大所高所の人だから細かいことは判断を間違えることがあるんですよ」
「要するに大ざっぱな人なんですよ。石坂屋という旅館がありました。そこに泊まりましょう」
「やれやれ」
さて有備館駅で下り列車を待っていると快速リゾートみのりがやって来ました。
快速と言っても仙台・新庄間を直通運転しており全席指定、窓も大きくて豪華な座席で綺麗なお姉さんがお酒を造ってくれたりの観光列車です。ちょっと過剰サービスで照れてしまいそう。
ご隠居的には「しなの」「あずさ」「ひたち」など在来線の長い編成の特急の方が好きです。てきぱきした車掌さん、車内販売の女性の入れてくれたホットコーヒー、仕事の人、観光の人、それぞれの思いを乗せて走っています。
このあとは鳴子温泉に向かいます。
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