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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

昔々の中央通2丁目界隈

2014年01月09日 | 盛岡風景
今の盛岡市中央通2丁目あたりは昔仁王新町(におうしんちょう)と呼ばれていた。

小生がそこで生まれたのは昭和31年。
当時わが家は化粧品卸の「平舘商店」だった。
ちょうど今の住友生命ビル、加藤整形外科の裏手あたり。

すんごぐ暇なので、記憶がなくなる前に当時の仁王新町界隈を描写しておく。

わが家の隣の隣は「盛岡税務署の寮」だった。
夜な夜な遊びに行っては税務署のお兄ちゃんたちに勉強を教わっていた。
そのお隣は「大坪旅館」。

わが家の向いが「船越道場」。
ちびっ子たちが柔道着姿で路地を行ったり来たり(笑)。
運動音痴の小生だったが、怖い物見たさ(経験)に無謀にも入門。
地道に受け身の練習、乱取りに励んでどーにかこーにか半茶(半分茶帯)に・・・そして調子に乗ったところで、6年生に本気で投げられ軽い脳震盪。
「げーっ!野蛮なスポーツは嫌いっ!」
とばかりに、あえなく道着を脱いだ。

今の三戸町方面に向うと「白幡稲荷神社」があった。
夏のお祭りのステージでは民謡歌手が自慢の喉を披露。
毎年、ここのお祭りが夏休みの最大イベントだった。
いつ?なんで?神社がなくなってしまったのか記憶にない。

白幡稲荷神社のそばには「米沢商店」という八百屋さんがあった。
いつも真っ黒な顔した息子は運動神経バツグン!
子供会対抗ポートボール大会では稲葉君と並ぶエースだった。
米沢商店は松園ニュータウン入り口近くに引越したが、今あるかどうかは不明。

米沢商店のお隣は「古本屋」。
この古本屋に漫画を借りに行った。
七色仮面、矢車剣之介、赤胴鈴之助、鉄人28号、鉄腕アトム、、、などなどいっぱいいっぱい漫画を読んだ。月刊誌のビニール入り付録を売ってくれたので、よく買いに行った。

わが家から左手に「大坪旅館」を見て仁王小学校方面に向うと、右手にかなり広い児童公園。今は駐車場になっている。さらにその向こうには銭湯「寄り合いの湯」。みんなから「小隊長」「ポパイのおじさん」って呼ばれる常連がいて、町内のみんなで背中の流しっこ。今では考えれない光景。

そうそう「寄り合いの湯」の隣は「床屋」さん。
間違って耳を切られて血がドバっ!
貧血でぶっ倒れたtaira少年(笑)。

「大坪旅館」の向かいは「佐藤内科」、お隣が小学校同級生の家で「質屋」さん。「盛岡白百合学園(今の盛岡中央郵便局)」方面に向うと赤川が流れ、そこには一本橋が架かっている。「白百合幼稚園」に通うにはここが最大の難関だった。

わが家から中央通に向うと「陣ヶ岡酒店」。
その向かいは今も健在「佐々宗輪店」。
「佐々宗」の並びには「日本電建」、その隣は「茂栄帽子店」。
「茂栄」には高校合格発表の直後すぐさま一高の帽子を買いに行った!
ここの息子は中学同級生。
宿題をやらないのでよく先生に殴られていた。
昔は宿題を忘れると平手でよく殴られた。
忘れる生徒があまりに多いと、今度は先生が生徒に

「お前たちが約束を守らないのは俺の責任だから俺を殴れっ」

と言い出し、躊躇する生徒の手を取って自分の頬っぺたをビダン!ビダン!

まさがその先生の息子と一高で同期になるとは思わなかった。

「茂栄」から県庁方面に向うと「長谷川クリーニング」
今の伊藤楽器のところ。
「長谷川」の息子も中学同級生。
中学の途中で店が無くなり、本人も転校。
当時は何もわからなかったが、今思えば・・・・である。

そー言えば、よく「ドンキミ」や「紙芝居」もやって来た。

う~む、かなり懐かしい。
当時の写真が欲しいが、どこにかないべが?
探してみよーっ!

古き良き時代だった。

どんとはれ(笑)。

【追伸】
「白幡稲荷神社」に行く途中に「ポパイのおじさん」がやってる「藤沢自転車屋」があった。

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