まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

猛暑到来!おい、まだ7月5日だぜい!

2024年07月05日 | 不健康な日々

日本の梅雨はこんなだったんだろか?

ここ数日は房総半島にも30℃超えの猛暑襲来で、凹んでいる。

足が悪ければ手で、なんて意気込んできたジイサンマン。

鋏の使い過ぎか、こんどは右の肘が痛みだした。
どうも、軽い腱鞘炎か?

こういうのを『年寄りの冷水』っていうんだろう(笑)

ジジイはどうせじきにおしゃかだから、なんもせんでじっとしてたらいい。やるだけ迷惑!

でも生きるって、そういうことじゃない。

今日は9時頃から、昨日草刈りをした畑の畝に草取りにでかけた。

この畑にはこの10年近い経験から、水やりなどしなくても、定期的に施肥、草取りなどをすれば、自力で頑張っていける(収量は。。。だけれど)みんながいる。

そんな手入れの時間だったのだけれど、午前中で、体の水分抜けきった!

バアサンマンが、『レンジでチン!速攻!美味しいカレー』を昼食に用意してくれた。

今や、ジイサンマン、家事はお手の物。

一人ならどうとでもするけれど、お昼を作ってくれるっていう心意気、気持ちが嬉しいじゃないか!

それにしても、おい、まだ7月5日だぜい!猛暑到来!

いったいこの先どうなるんだい? である。

まあ、先のことは誰もわからないし、わからなくてもいいね。

骨折した部位の痛みはないのだけれど、踵のあたりが痛くて(違和感があって)、サクサクはまだ歩けない。

+右腕腱鞘炎

午後は、水、ガブガブのんで、調子にのって、缶チューハイまで飲んでしまった(笑)

明日はどんな展開になるんだろか?
楽しみだ。

『人間万事塞翁が馬』という教訓がある。

ケガで当たり前の自由を制限されたけれど、それによって、一日中自分の思いの中で家事もでき、あのバアサンマンが、「お昼ですよ」と声をかけてくれる。

一緒に飯を食うのも悪くない。

人間、デメリットとメリットばかりを気にして生きているけれど、これはまさしく表裏一体。

お釈迦様のとく『同時』というのもこういうことなのか、と思った一日。

さて明日の、

『今日用』
『今日行く』

は、どうしようか。。。。

剪定などの作業ですり減った皮膚の傷は日に日に肉が上がり傷口は小さくなってきている。

これって、まだ、生きろって司令だよね。

何をしよう。

楽しみだ。

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向日葵

2024年07月03日 | 不健康な日々

右足指を骨折受傷して約三週間が過ぎた。

もう松葉杖はいらないし、固定具を固定していたたいそうな包帯もとれて、湿布薬を貼ってそろそろのろのろと日常生活を送っている。

自転車にも乗れるようになったので、一人で動ける行動範囲もだいぶ広がってきた。

外を他人の助けを借りず動けるという当たり前のことが、とても有り難く感じる日々。

「やれ、やれ」である。

さて、『今日からの構想、まずは妄想だけれど 2024年06月15日 | 不健康な日々』でまいた向日葵のその後。

6粒のうち、4粒が発芽した。

喜んでいた翌朝、みれば3株の葉っぱがない(TдT)
「茎だけだぁ」

ナメクジ(だろうと思う)が美味しい新芽を食べてしまったようだ。

残った貴重な1株は置き場所をかえ、周辺にナメクジ避けをまいて対策。

歩けない毎日の楽しみで、庭に出ては水やりしたり、声掛けなどして時間を過ごしてきた。

本葉が出てきたので、鉢に移植。

苗の様子からは、大きくなりそうだけれど、この鉢で育てよう。

今は、25cmくらいになっている。

花を見せてくれるころには、今回の骨折騒動も終わっているのかな。

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庭木の枝を切りながら、セミの初なきをきく

2024年06月29日 | 不健康な日々

昨日から未明にかけての雨で、南房総市、鴨川市など、南房総に大雨が降り、たいへんな夜だったけれど、9時過ぎには雨はやんで、お昼ころにはお天道様も顔をだした。

右足親指の骨折その後。

骨折した親指部以外は左足と同じ形状になった。

骨折した親指部は、ヒドい腫れ痛みはないけれどまだ青紫。

でも、あたったり変則的な動きがない限り痛みはないので、足を固定するものは付けずに、できる日常を取り戻している。

例年6月下旬から7月は、庭の雑木の整枝や竹藪との闘いをしている。

脚立を上がったり下がったりはまだ危ないので、地面にしっかり足をついて、刈り込み鋏で手の届く範囲の枝の刈り込みなどを地味に取り組み中。

ちょっと刈っては、剪定屑をかき集めて処分に備える。
そんな単純な繰り返しの時間だけれど、静かな良い時間。

高いところはもう少し動けるようになってからと思っている。

毎日の少しずつは大きな成果で、徒長しボサボサになった木の枝を整理すると、もう夏のような日もある梅雨の日も、ちょっとだけ暑苦しさがなくなる。

今年は梅雨といっても夏のような日があったかと思うと、雨が降れは今回のような大雨。

歳とると収入は基本年金だし、働きたくても雇ってくれる相手がなくては収入も得られない。

そんな中、物価は上がるし、お上への年貢は鰻登り!

『食う寝る処に住む処』 は自分の基本だけれど、その目安もつかない。

今、この先に見えるまがり角まで、今できることをしっかりやって行くしかないんだろう。

午後は気温も上がり、作業中ぼっとした感じもあって要注意だったけれど、セミの初なきを聞いた。
幻覚ではない(笑)

梅雨だか、夏だか分からないような日々だけれど、自然界の時計は着実に時を刻んでいるらしい。

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通院、そして車で行くいつものコンビニまで

2024年06月23日 | 不健康な日々

金曜日に整形外科受診後1週間目で通院、受診した。

初回にこの薬を飲んで安静にしていれば3、4日で痛みは引くけれど、骨折が治ったわけではないので一週間位はあまり動かずに!という指導を受けて、そうしたけれど、ほんと、痛みはなくなった。

受傷部はアオナジミでまだ腫れは残っているけれど、足の甲の方の腫れはおさまり、痛みはひいた。

松葉杖を返す気まんまんで、診察室へヒョコタン、ヒョコタン歩いていくと、「ああ、良くなったね」と迎えてくれた。

痛みの本質は、痛風だったらしい。

よく分からんけれど、受傷する→血管などが切れる→血液サラサラ薬でなかなか血が止まらない→オラの唯一無二の救世主である白血球くんが、緊急出動しそれを止める=痛風発作と同じ。

こんなプロセスなのか。

とにかく、骨折の痛み自体はそれほどでもない。

少し炎症止めの薬を弱くするけれど、今までの湿布を続けながら、痛みがヒドくなければ少しずつ動きなさい!
という、ドクターの指導だった。

明けて土曜日。

固定具を外して、サンダルで庭に出てみた。

なんとか行けそう!な手応えだったので、たっぷり時間をかけて、庭にある低木のコニファーの刈り込み。

電バリを使えば、あっという間なのだけれど、鋏でチョキチョキ時間をかけるのも悪くない時間の過ごし方だ。

午後、車で行くいつものコンビニまで自転車をこぎ出した。

骨折部は足の親指だから、足の甲の腫れ、痛みがなければ自転車こぎは問題ない。

このママチャリを手入れし走れるようにしたとき、これからは自転車も乗って体力をつけよう!と、自転車保険なるものにも加入した。ヘルメットも買った。
でも、ぜんぜん自転車には乗らなかった。(笑)

ここへ来て、いよいよ出番である。

が、数キロ先のコンビニまでの往きですでに息切れ、電池切れ状態。

思いの外、今回の引きこもりで体力が落ちてしまったよう。

年寄りが寝たきりになる原因の一番が骨折だと聞いたことがあるけれど、今の歳でたった2週間くらい引きこもってこれだから、当然の成り行きとして、体力低下カーブの傾斜が急な右肩下がりになるこれからの時間で、骨折などで長期に体を動かさないってことは、寝たきりなど、かなり深刻な状態を招くなって実感。

年取れば年取るほど、日頃の、毎日の運動が大事ってことである。

復路は、時速5,6Km。
いつもなら歩く速さで、エッチラ、オッチラ自転車こいで青息吐息で帰ってきた。

この体力低下かなり深刻である。
心肺機能も足の筋力も落ちてる。

まだ、受傷部に大きな負荷をかけるのは避けたほうがよさそうだけれど、ちょっとずつ作業を増やし、体力を付けていこう。

はい。
とりあえず、今からラジオ体操しよう。。。

今日は一日雨ぶりのようなので、運動はこれだけだ。

PCのメモリが届いているので、PC弄りで遊ぼうか?

 

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古本到着 これでじゅうぶん(翔ぶが如く)

2024年06月19日 | 不健康な日々

先日Amazonで注文した司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文春文庫 全10巻)が届いた。

破格の全10巻、836円(税込み、送料込み)の商品は、どんなものが届くのかと、少々気になっていたのだけれど、届いてみたら古いなりにいい感じの味のある本だった。



古本は、「どんな環境にあったのか、どんな人が触ったのかわからないから嫌だ」と嫌う向きもあるようだけれど、私的には古い物語は、いろいろな人が読んだであろう古い手垢のついたような本のページをくるのが好きだ。

古本には古本独特の紙のニオイ?があって、少し茶色くなったページをくっていると、どんどん物語の世界に入っていける。

PCやプログラムのことを知りたいとか、最近の投資、健康問題などについて知りたいときなどは、かなり値がはってもそれなりの新刊本に限る。
新刊本の新しいインクのニオイ?もワクワクする。

Google先生も便利だけれど、じっくり読みたい、考えたいときは、やっぱり手持ちの紙の本がいい。

最近は本があまり売れないそうだ。

たしかに、文字を読むことはそうとうなエネルギーを使う。

本を持ち歩くのも大変だし、読んだ後の始末もある。

スマホなどの動画をさくっと見て、概要をおさえるような方向に流れるのは仕方がないと思う。

でも本はさっと流れてしまう動画よりもずっと想像力を使うし、知らないことがあれば脇道にそれて調べて楽しむなど、興味の連鎖が生まれる。

同じ時間のスパンなのだけれど、動画などよりはずっと時はゆっくりながれ、あるときは読みながらうたた寝してしまう。ゆったり、ゆっくりの自分の時間がある。

物価高だって、収入増えなくたって、836円でこんなにコスパがいい時間がおくれる。
世の中、ほんとうに有り難い。

良質な小説本などは時間をおいて何度読み返してもその時の感性で面白く感じるものが多いのもいい。

今日はまだ『坂の上の雲』の世界にいるけれど、それが終わったら、この本を楽しもう。

こんな気になったのも、骨折のおかげである。
そう考えれば、これも悪くなない。

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