まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

難しい問題

2016年01月31日 | 日記

今朝、1月の収支を集計しながら、NHK日曜討論会を聴いていたら、『同一労働同一賃金』が話題になっていました。

お上が取り組もうとしているのは、正規‐非正規雇用間で、同じ仕事をしているのに、給料が大きく違うのは直さなきゃね、という問題のようです。

国会中継などを聞いていると、働き方は多様化しており、非正規で働きたいという人もいる、という発言が時々聞こえてきますが、家庭の事情等で、パートで働きたいという人はいても、進んで条件の悪い非正規雇用で働きたいという人をあたしは知りません。特に、若い人は、みな、将来を見据えられる、安定した雇用を望んでいます。

でも、『同一労働同一賃金』って、正規‐非正規雇用間だけでなく、かなり奥深い、難しい問題もあるのかも。

例えば、多くの会社は年功的な要素も残っています。そうなると、若い人と同じ仕事をしている中高年がいたらどうなるの?会社勤めをしていた時に、若手から、「あのオヤジ、給料ばかり高くて全然はたらかないよ」なんて不平が聞こえてきたのを思い出します。

清掃の仕事をしても、千葉の田舎では817円。茨城の田舎では747円。こんな地域間の不平もあるかもしれません。

難しい問題だと思うけれど、能力があっても非正規に甘んじている人たち、特に若い人たちのために、この大きな矛盾が、少しでも良い方向に向うといいですね。

 

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房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その2

2016年01月30日 | 房総駅間ひとりウォーク
巌根駅を出て、小櫃川を渡ると、袖ケ浦市です。
 
 
 
袖ケ浦の名は、木更津の日本武尊伝説で、海を鎮めるために入水した弟橘媛の袖が海岸一帯に流れついたということに由来するとか。
ロマンチックな話ですが、今、その海岸線には、工業地帯が広がっています。
  
 
 
袖ケ浦火力発電所が遠くに見えてきました。
 
工業地帯からの税収が多いのか、袖ケ浦市は、財政も豊らしく、浦安市、成田市に次いで、県内3位だとか。
これも、初めて知りました。
千葉市は、政令指定都市なので、除外されているのでしょうが、君津、市原あたりの方が豊かな感じを持っていました。
 
千葉県の車のナンバーは、野田、柏、習志野、千葉、成田、袖ケ浦です。

安房、上総、下総と言った時代と文化を残しながらも、今の国わりは、新しい経済圏でのくくり。
時の流れとともに、変わっているのがよくわかります。
 
『チーバ君』の腰から下、安房、上総は、車のナンバーでみると、『袖ケ浦の国』になっているんですね。
 
千葉港(みなと)辺りまでは、電力をはじめ、石油製品などたくさんの工業品を生み出してくれているエリアです。
3・11の福島のように、なくてはならないものだけれど、危険いっぱいの内房エリアですね。
 
 
 
 袖ケ浦市のマンホールの蓋を発見。
市の木シイ,市の花ヤマユリ,市の鳥ウグイスがデザインされていました。
 
 
 
15時過ぎ、袖ケ浦駅に到着。2014年10月に完成した奇麗な新駅舎でした。

姉ヶ崎まであと二駅。JRの営業キロで、10Km近くを歩かなくては。

開発地が多いためか、線路沿いに道路がのびていたので、ひたすら前進!

 
 
16時過ぎ、袖ケ浦市内の2つ目の駅、長浦駅に到着。

この駅も、2014年にできた新駅舎でした。
 
財政豊かな市の顔らしく、2駅とも、ほんと立派な駅です。
 
 
 東屋のようなものが見えたので、休憩で立ち寄て見ると、「弘法清水を復元しました」という案内板とともに、井戸が復元されていました。

むかし、弘法大師(空海)が、杖を立てたところ、海の中から真水がわきだしたという伝説の井戸。
実際の井戸は、現在は、埋め立てられて工業地帯となっている場所付近にあったようです。
 
こういう偶然見つかる逸話とか、古い道標などは時速4Kmの旅でなければ絶対に出会えないものですね。
 
時間もかかるし、行動範囲も狭いけれども、歩きの楽しみです。

お祭りの際には、神輿をこの井戸で清めるなど、地域の人たちが大事に守り伝えている場所のようでした。
 
 
 
こんな道を、どんどん歩きました。
画像中央付近の小さな看板は、市原市境を示すものです。
 
いよいよ、房総駅間ひとりウォークも、あと数駅歩けば、スタート駅の蘇我駅に到着。
気を引き締めて、事故、ケガのない時間を過ごしたい!そんな思いがわいてきました。
 
 
カラー版の市原市のマンホールの蓋が見つかりました。
市の木イチョウ、市の花コスモス、市の鳥ウグイスがバランスよく配置されています。
 
マンホールの蓋は、その街の特徴を出しているものが多く、この1年のウォークを通じ、見つけるのも楽しみになってきました。
Webで見ていると、結構『この道の達人』もいらしゃるんですね(笑)
 
 

17時30分、市原市、姉ヶ崎駅に到着。

今日歩いた距離の半分は、スタートの木更津駅周辺散策が主で、あとはひたすら線路沿いを歩いた一日でした。
寒くて出不精になり、今月はあまり歩いていません。
 
ようやく、今年のスタートが切れたのかな。そんな一日でした。

JR内房線  木更津駅 ~姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) 2016年1月19日
実際に歩いた歩数 40,195歩(28.5Km)
 
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この記事を書きながら(1月29日)聴いていた『かずさFM』が、木更津総合高校野球部の春の選抜出場が決まったというニュースを流していました。
2年連続、3回目だとか。
あたしの時代には、木更津中央って言ってたけど、メジャーになるには、目的がはっきりしている私立がやっぱり強いですね。
勝って、日本一になれば、地域貢献にもなる。頑張ってほしいなぁ。
 
目的をもって突き進むなら、私立(民営)。
ゆったり、人材を育てるなら公立(官業)。
うまくバランスをとっていかなければならない時代なのかもしれませんね。
 
 
 
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房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その1

2016年01月29日 | 房総駅間ひとりウォーク
木更津から千葉へ向かう内房線沿線は、都市化してきていて、下調べをしていても、あまり立ち寄ってみたい場所がみあたりません。
木更津は内房の歴史ある大きな街ですが、いつもは車やバイクで通り抜けばかり。街をゆっくり散策したことがありませんでした。
今回は、木更津駅周辺の散策に時間を割いてみることにしました。
 
 

西口、かずさFMのある、アクア木更津近くで見つけた壁画に、『木高』の文字が見えました。地元の木更津高校の生徒さんたちの作品でしょうか。

東口に回り、最初に、太田山公園に行ってみることにしました。太田山公園は、日本武尊と弟橘媛の悲恋伝説にちなみ、恋の森とも呼ばれているようで、山頂には剣の形をした『きみさらずタワー』が見えます。
 
 

この案内板を曲がって、山の上にのぼってくと、『きみさらずタワー』の下にでました。
 
  
 
上で、向き合っているお二人が、日本武尊と弟橘媛ですね。
むかしむかし、日本武尊が三浦半島から房総へ渡ろうとしたとき、弟橘媛が荒れ狂う海に入水して鎮め、無事に渡ることができたという伝説の地。

               君去らず 袖しが浦に 立つ波の
             その面影を 見るぞ悲しき

日本武尊が弟橘媛をおもい、詠んだ歌。『君去らず』が木更津の由来もなったのだとか。
 
 
 
 展望台に立つと、雪をかぶった富士も遠望でき、
 
 

この日は、風が強く、空気が澄んでいたため、アクアライン、その向こうに広がる東京が不気味なほどきっくり見えて、SF映画の一場面のようでした。
夜ここに入れるのかどうかわかりませんが、ここなら、夜景も最高にきれいでしょうね。
 
 
 
 江戸時代中期の農家・安西家の住宅を移築したものが公開されていました。
 
 
 
小学生の校外授業で、子どもたちが見学にきており、元気を分けてもらいました。賑やかなのはいいなぁ。
 
 
  
矢那川沿いの桜並木。並木のボリュームも距離もあるので、満開時は、さぞ見事だろうなぁ。
 
 

マップを見たら、木更津高校が近いので、回ってみました。
明治の頃に千葉県で3番目に設立された学校だけあって、赤煉瓦の正門に歴史と伝統を感じます。
千葉真一さん、中尾彬さん、ハマコーさんや浜田靖一さんなども通った学校です。彼らもこの正門を、毎日いろいろな思いで通っていたんだろうな。そして、今はそれぞれの道へ。学校って不思議な空間だと感じます。
 
 
 
駅西口に戻り、日蓮宗の光明寺にある『切られ与三郎の墓』を見学。
歌舞伎の『与話情浮名横櫛』のモデルになった人物のお墓だとのことですが、世間に疎いあたしは、タイトルも読めないレベルで、ピンとこない。
「よわなさけうきなのよこぐし」と読むらしいが、調べてみたら、子どもの頃、大人たちがよく歌っていた、春日八郎さんのヒット曲、『お富さん』の話なのだそうだ。

「粋な黒塀 見こしの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだはずだよ お富さん・・・♪」これなら、分かる。そんな話のモデルが、木更津だと初めて知りました。

證誠寺に向かう途中、日本武尊が祀られているという、八剱(やつるぎ)八幡神社に立ち寄り、今日の安全祈願。
 
 
  
童謡『證誠寺の狸囃子』、木更津市のマンホールにもデザインされている狸の、證誠寺に到着。
現在はさっぱりしたもので、とても狸が住んでいそうにない。野口雨情が作詞した大正時代の頃は、うっそうとしていたのかもしれないなぁ。

 
 
 海側に出て、木更津甚句の記念碑、中の島公園にも寄ってみるつもりでいたが、足がのびず、時間が押してきたので木更津散策を断念。港にとまっていた大きな船を眺めながら、巌根駅へ。
 
 

巌根小学校付近を歩いていて見つけた線路のレール。
跡というより、そのまま埋もれている。帰宅してから調べたら、木更津は陸上・航空自衛隊の基地があり、その引き込み線として使われていたものらしい。この線路は、航空自衛隊第一補給処専用線(高柳線)の廃線跡のようだ。
木更津には将来オスプレイも飛んでくるようになるらしい。事故無く、平和な時間が続くよう祈りたい。
 
 
14時過ぎ、巌根駅へ到着。20,078歩。
 
 房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その2へ続く。
 
 
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菓子折りの中ののし袋

2016年01月28日 | 日記
今日は、久々に暖かく、朝から、洗濯、布団干しなど、家事全開!
 
頑張れたので、開墾した畑の雑草取りも一巡できました。
 
草取りをながら、ラジオで参議院の国会中継を聴いていたのですが、恐ろしく、議論がかみ合っていないなぁ、という感じを受けました。
 
質問者が数字を示して質問しているのに、政府は、「安倍内閣は、そこを改善した。質問の趣旨はまったくあたらない」のような答弁の繰り返し。
 
確かに、ここ数年、株価をぐっと上げ、大手企業を中心に、大幅な賃上げもできた。総理のいうように、平均では、数字も間違いなく、好転してるんだろうと思う。
長州、勝てば官軍!の勢いのようだなぁ、なんて聴いていました。
 
夕方、甘利経済再生担当相の千葉県建設会社への口利き疑惑の記者会見が聴こえてきました。
 
明治維新の頃の官軍どころか、時代劇にみる悪代官のようなことが、また復活していたのに、驚きです。
権力とそれに群がる利権集団、袖の下(のし袋)。
 
河野太郎大臣が、まだ、やんちゃだったころ、盛んに議論し、見直されたはず。
 
これも、官軍の勢いの下に、また、元にもどってしまったのですね。
 
おらげん県は、尊敬する『ハマコーさん』に代表されるように、今も金権土壌があると思っています。
 
送った方の意識を考えると、ほんと、千葉県民として、お恥ずかしい!
 
人は、権力とたくさんのお金に弱い生き物なんですね。
あたしゃ、どちらもいらないけど。
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車の異音の場所、とうとう突き止めたぞ!

2016年01月27日 | 道具弄りの日々

携帯電話をはじめ、PC、車、あたし自身も、もう旧式。古いものばかりです。
早期退職をしてから、断捨離を心がけてきましたが、びんぽったれなため、ばさっと捨てて、すっきり再スタートがなかなかできません。

使えるものは、衣類も含め、納得いくまで使いつぶして、身から離したい、そんな日々を送っています。

今、乗っている軽自動車は、10年ほど前に買った中古。この4月に新車登録から、丸13年目の車検を迎えます。
車歴的には、もう十分でしょ、という感じだし、燃費も最近のエコカーの半分しか走りません。

1年ほど前から、時々、コトコトコトと異音が聞こえだしました。

ネジが脱落して、部品が回転体などに干渉しているなら、常時音がするはず。小さなネジでも、隙間に落ちて、振動で共振しているのかな?
なかなか原因がわかりませんでしたが、とうとう音の原因を突き止めました。

 

車体下の、マフラーをつりさげているゴム部分が劣化して、マフラーが共振している音でした。

お試しで、ゴム系OKの潤滑剤をたっぷりかけたら、音が消えました。

長い間共に過ごしてきた、愛着いっぱいの車です。
古くなったから、おまんまをたくさん食うから、あちこち錆が回ってきたからといって、元気に毎日動いているものを、ぽいしちゃうなんてできません。

春には、車検を取って、もう少し一緒に過ごそうと思っています。


 

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