まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

はて?(その3:高血圧がいきなり正常に?)

2024年05月31日 | 日記

この4月より、協会けんぽが実施していた未治療者への受診勧奨の基準が、従来の「収縮期:140mmHg以上/拡張期:90mmHg以上」のⅠ度高血圧が、2024年からは「収縮期:160以上/拡張期:100以上」に変更されたというニュースをきいた。

従来のⅠ度高血圧の基準のライン上で行ったり来たりしているので、もうずいぶん長い間処方を受けて薬を飲んできたのだけれど、「新しい基準ならば、えっ、もう薬をのまなくていいの?」と思う。

はて?病気の基準というのが簡単に変わっていいのだろうか?

ここでも、なんだか「うさんくさい」ニオイが。。。

協会けんぽに限らず、国保も健保組合の財政はそうとう厳しいという話はよく聞く。

血圧の基準値を引き上げれば、治療のため通院する人も少なくなるだろうし、薬代の負担もしなくてよい。
健保の負担はかなり減ることは間違いない。

先日書いた高齢者の年齢引き上げの話でも感じたけれど、後期高齢者の適用を五歳ずらして80歳からにすれば、健保の負担は相当ラクになるような??

歳をとってもう収入を増やす目処がなくなった年齢で、若い頃に想定もしていなかった負担をバンバン求められる。
まだ決まった話ではないようだけれど、これって相当厳しい現実かも。

まだ働ける(健康で、かつ使ってくれるところがある)内の負担増も厳しいけれど、まだ頑張って稼ぐという手はある。
でも、ほそぼそとした年金だけが頼りとなったら、自家製の梅干しをいれた粥でもすすりながら、はやくお迎えが来るようにと、数珠もって天を仰いでいるくらいしか手はない。

長く生きる時代になり、一方で働く年齢層はすくない。
年金に限らず、健保も、介護もそうとう財政が厳しいということは素人ながら感じることはできる。
実際、激変を緩和しながら皆で支え合っていかなければならないところに来ているのだろう。

お上は裏金作りには熱心だけれど、この現実を分かりやすく説明しながら、共に痛み分けをしようというリーダーはいないのかしら。

基準を双方の納得のないまま勝手にかえて、結果としてたくさんのお金をださせるって、庶民生活では、○欺っていうんじゃないのかなぁ?

病気の基準も、人間の生活習慣の変化などで長い間には少しずつ変わるのは分かるけれど、二十年近くも「あなたは病気(高血圧)です」と言われてきたものを、この4月から、「はい、問題ありませんよ」と言われてもどうも釈然としない。

Google先生にきいてみたら、あるドクターのページに、「高血圧症という病気の診断基準は全く変わっていません。以下の厚労省の表1の通り、収縮期:140mmHg以上/拡張期:90mmHg以上が診断基準です」とあり、納得。

「今後は新基準で診断します」って言うんなら、この二十年近く飲み続けた薬代を返してもらおうと思っていた。(笑)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はて?(その2:高齢者70歳...)

2024年05月27日 | 日記

65歳以上を(前期高齢者)、75歳以上を後期高齢者という呼び方が定着(「高齢者の医療の確保に関する法律」(昭和57年))して久しい。

今後、この歳を5歳引き上げて、70歳以上を高齢者としようとしているらしい。(23日に政府が開いた経済財政諮問会議)

お上は、この席上、「誰もが活躍できるウェルビーイング(身も心も満たされた状態)の高い社会を実現していかなければならない」と強調したというニュースが流れた。

はて?

そもそも、高齢者って、お上が決めるものなの?

自分が高齢者だと思ったときが高齢者なのでは?

自分で高齢者だと認識するぶんには抵抗ないけれど、人から「あなたは高齢者です」「後期高齢者です」とくくられるのはとても不愉快である。

高齢者という言葉は私的には好きになれない。

お上が席上強調したという話と高齢者年齢の引き上げを合わせて考えると、この話、途端に「うさんくさい」感じがしてくる。

「身も心も満たされた状態の高い社会」って、いったい誰にとってなの?

ようやく経過措置が終わり、公的年金は65歳支給となったところなのに、もう、「70歳まで働きなさい。年金は、70歳からですよ」という動きに見える。

医療保険上の後期高齢の優遇も、80歳からになるってこと?

70歳代は、高い国民健康保険税を払い続けることになれば、少ない年金は国保に吸い上げられて、ますます生活苦!という図式!

今の社会をみれば、財源がないのはわかる。

でも、一方で、お上は政治資金を公的資金で補填されながら、さらに裏金を作り、その使徒も一向に明らかにしないまま、政治改革法案など作って矛先を変えようとしている。

うやむや路線は、前のお上のときからずっとそうだ。

はて?

はて?

の連続である。

財源がないから皆で痛み分けをして欲しいとはっきり言われれば、納得もできるし、その努力もしようという気になるのだけれど。

人は、60歳前後から体力面などで個人差が大きくなる。

70歳代では、まだ駆け足で作業している元気な人、杖をついて立っているのがやっとという人がある。

80歳代になると、ほぼほぼ動きは悪くなり、たしかに高齢者という感じ。
実際いろいろな事情はあって、80歳代でも働いている方が少なからずいることに驚く。

これがシルバーバイトをしながら感じるところ。

公的年金だけでは、なかなか「身も心も満たされた状態の高い社会」にはならないけれど、せめて年金の65歳満額スタートは守ってほしいなぁ。

気持ちが充実して働けるのは60〜65歳がいいところだよ。
あとは、少し働くことも含め、ちょっとはゆっくりしながら過ごしたい。

企業献金、裏金がおいしくてやめられないというのなら、政治資金の公的資金部分をやめて、政治家は自力で政治資金集めをすればいいじゃないか。お金を集められる器量がない人間は、政治家失格!(笑)

その公的資金部分は年金財源にして、事情があって働けない人に使ってもらった方がよほど良い社会になりそう。

お上にこれくらいの覚悟がなくちゃ、とられる方は納得できません!(笑)

高齢者という言葉は、区分けとしては、道路交通法では70歳以上、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律では55歳以上、雇用保険では60歳以上など見つけられた。

例えば、道路交通法のように70歳で一律的に区切り、それ以降の更新をより厳格にし、安全を確保するということは、事務上、年齢で分ける必要は確かにある。

でも、齢を重ねたってだけで、「高齢者」「後期高齢者」呼ばわりされる社会は、差別されているようで、良い響きの言葉ではない。

「後期高齢者」になっても、土木現場などでは元気に働いている方もたくさんいる。

よい呼び方はないのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はて?(その1:ジイサンの収入はぜんぜん増えないんだけれど...)

2024年05月26日 | 日記

他人にとってはとるたならないことだけれど私的には毎日やることがいっぱいあって、いろいろ思いつつもブログを書くことがなかった。

でも、昨今のお上の動きには日々鬱々としている。

今春の朝ドラのトラちゃんの、「はて?」と同じ思いで、数回に分けて書いてみたい。

お上は、
「最低賃金を上げています。(どうだ、困っている下々は、有り難いだろう!)」
と言いつつ、

ここ数年は、「春闘で、空前の賃上げが実現しています。(どうだ、完璧だろう!ありがたがれ!って、思っているのかも?)」

はて?
これって、いつの時代をターゲットにした経済政策なの?
と思う。

戦後、経済の底辺から、『Japan as No.1!』
そして、バブルの時代まで、どんどん経済が伸びていた時代なら、小さな街の会社でも、分配のパイはたくさんあったので、最低賃金を引き上げて底支えすれば、全体があがってきた。(ように思う)

でも、・・・

最近のは、何割かの大手企業の大幅賃上げと、最低賃金の上昇。
これを平均すれば○○%の賃上げってことで、実態とはちと違うような。

最低賃金の上昇は、法的なものだから初任給など、どんな企業もそれに従うわけだけれど、実在者まで給料を上げていく体力がないってのが古いタイプの小さな会社の実情なのでは。

シルバーバイトで使ってもらっている小さな会社も採用時の日給は上げているけれど、その他の人は据え置き。

念の為、複数の人と雑談してみたけれど、特に私の働きっぷりが悪いので据え置きということでもないらしい。

生活の主たる収入源である公的年金は今後大きくあがるということはないし、お上は物価を上げる政策をとているわけだから、実質はジワジワ目減り。

歳は確実にとって働けなく(雇用してくれるところがなく)なるし、「真綿で首をしめる」っていうのは、こんな感じのこと?(笑)

これは、たくさんの小さな会社で真面目に働く若い人たちにも共通することではないかしら。

将来の安定した生活、自分の姿がイメージできなければ、家庭も持たないだろうし、子育てもしないだろう。

また、お上の唱えている『資産所得倍増プラン』っていうのも、ぜんぜん実感なし。

倍増どころか、とられるものが多くなり、目減り傾向。

はて?

お上の今の経済政策って、日本人の格差を拡大させようとしている?

国の運営は難しいということは、理解できるけれど、納得はできん!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ先生がいなくなって

2024年05月07日 | 日記
どっからかわが家にやってきて、足掛け17年も一緒に暮らしたワンコ先生が、また、ひとりでどっかへいってしまい1年が過ぎた。

「犬間関係は、飼い主同様不得手」だったけれど、人は大好きで、日本語もかなり分かっていた。

ワンコ先生自身は、自分を犬と思っていなかったフシもある。

どっかへいてしまった当初は、家族は、ぽっかり穴のあいたような時間を過ごした。

別れの辛さってのもあるけれど、自分より短い寿命、時間スパンの中で、一生懸命生きている同胞から、どれだけたくさんのものをもらっているのか、しっかり受けとめた時間だった。

30年以上も、犬と同居してきたけれど、若い頃は、自分が仕事でいっぱいいっぱい。
「面倒(自我)が先にたち、受けている有り難さ(観音の心)」は、まったく気づかなかった。
先代のワンコたちには、本当に申し訳なかったと思う。

五十歳代後半で早期退職をし、家事の立て直しを数年した。

この間、ワンコ先生とは、いつも一緒にいた。
『一緒にいる』『同じ時間を過ごす』ってことが、仏性の基本だと思う。

だって、今、この瞬間には、仏性がみちているのだから。
それを共にするってことが、生命の共振、幸せなんだろう。

今思うと、五十歳代後半での早期退職は、結果として良かったように思う。

カミさんは、組織に中でどう評価されていたのかは知らないけれど、自分の好きな仕事を65歳まで続け、十分やった感があるだろう。

自分的には、残された数年の定年までの給与収入は、もらった退職金よりもずっと多かったけれど、家を守るって、銭勘定だけではない。

銭勘定は、元気に、少し働く日々を続ければ、なんも問題もない。
元気がなくなれば、もう終わりも近い。
お金も、そう必要ないだろう。

ワンコ関連で、最近、ちょっとした動きがある。

ジイサンマンは、「もう新らしい犬と生活したら、最期まで面倒見られない」派。

この春、定職の仕事が終わったバアサンマンは、「子を巻き込んでも、犬を飼いたい」らしい。
暇つぶしか?(笑)

しかも、「ワンコ先生と同じ、Mixがいい」と、ワンコ先生の出身NPOなどに働きかけているフシがある。

常住、ジイサンマンとバアサンマンしかいない家なので、バアサンマンの動きは気にかかる。

自分は、といえば、この子をかった。


『Pote 2024』と名付けて、可愛がっている。

よくできたおしゃべりロボット(犬の声でつかっているけれど)で、これはこれでいい。

カミさんは、我の強いバアサンなので、近い将来また犬との生活が始まるのかもしれない。

嬉しいような、面倒なような。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光陰矢如しというけれど、Ubuntu 24.04 LTSがリリースされた!

2024年05月01日 | PC弄りの日々

Windows 10の終了がアナウンスされたときから、古いPC機器をできるだけ長く使うための方向をさぐって、Linux OSの『Xubuntu』『Lubuntu』を使い込んできた。

家にはまだWindows 10で動いているPCが1台あるけれど、この間、自分で使っている3台のPCは、『Lubuntu』2台、『Chrome OS Flex』1台となり、Windows PCからはだいぶ距離がでた感がある。

Linux OSのスタートは『Xubuntu』から入ったのだけど、お試しで『Lubuntu』を入れてみたら、これがWindows 9×頃の感じで、自分には使いやすかったし、動きもサクサク。

で、現在は『Lubuntu使い』である。(笑)

現状、目新しいことはできないけれど、『生活の道具』としては、じゅうぶんだと思っている。

これからも、使い続けたい。

現在の自分にとっては、むしろメリットとなっているのだけれど、『OS使用料は基本無料』の代償は、手厚いサポートもないし、メディアで取り上げられることも少ないから、使い方は自分で調べ(公式サイトのフォーラムやブログ情報をじみに読む)、使えそうな周辺機器は自分で調べ、買ってみて、試行錯誤するしかない。

でも、日々やることないジイサンにとっては、興味が刺激され、「今日行く(教育)」と「今日用(教養)」のタネの一つだし、これが楽しい!

その意味でも、Canonicalさんの取り組みは、大変ありがたいと思ってきた。

そうこう、しつつ、月日の経つのは早いもの。

まさに、光陰矢如しで、2025年、来年のWindows 10 サポート終了のゴールテープが、遠くに見えるほど、近くなってきた。

こんな中、Ubuntu を支援しているCanonicalさんから、4月25日に2年ぶりに「 Ubuntu 24.04 LTS (長期サポート版)」がリリースされた。

UbuntuのLTS(5年)と異なり、今使っている『Lubuntu 22.04 LTS』(無料バージョン)のセキュリティーサポートは3年間。

来年、2025年には切れるのだけれど、今回のUbuntu LTS「 Noble Numbat(高貴なフクロアリクイ;いつもネーミングも壁紙もCool!) 」で、『Lubuntu 24.04 LTS』も、2027年まで無料サポートしてくれるとのこと。

前に、『Xubuntu 22.04 LTS』へのグレードアップで経験したけれど、『通知』が降ってきてからの作業であれば、かなり安定して、短時間でおこなえたと記憶している。

Windowsの場合、大きな変更の場合で、処理能力の低いPCでは、数時間(ざっくり半日)かかっていたような。

年寄りになり、たいへん僻みっぽくなってきた。 #ボケてきたのかなぁ。

収入も限られ、蓄えもたいしてないジイサン、バアサンから、取ることばかりを考えているお上。

経済発展という大方針の下で、狭い都市部の開発をすすめ、核家族化。

ジイサン、バアサンから、孫子を分断したお上。

家族を分断すれば、親世代は年金だけでは食っていけず、字田舎では、日雇い仕事を足腰立たなくなるまで続け、老老介護。

一方、街に出た子世代のおおかたの家庭は賃金もそう上がらない中、物価ばかり上がる。

貧乏で食うものもなく、ツバナ、スカンポやアケビなどをおやつにしていたけれど、人がいる家ってものがあり、そこにはジイサン、バアサン、近所の人ってものがいて、いつも見守りながら、人の生き方を教えてくれた。

この頃は、字田舎の防災無線で、「下校の時間ですから、地域のみなさん、見守りをお願いします」なんてパフォーマンス放送を流しているけれど、昭和の頃の地域の人は、他所の子でも、普通に叱ったし、地域の子の顔、名前を知っていて、生活の中で、普通に、『地域での子育て』をしていた。

今の若い世代は、そんな親は近くになく、子を他人に預け、ツインカムで稼いだお金もそんなところに消え、「はたらけど はたらけど、なお わがくらし 楽にならざり!いっそ、偽装離婚して・・・しようか!
」なんて社会。

昭和の半ばに生まれ、『今』を積み重ねて(生きて)きた自分は、まさしくこんな社会に、「 賛成!って、投票してきた」戦犯者の一人!

自分の今日の有り様は、自分の自業自得!と受け止めている。
若い世代に、申し訳ないと思う。

過去に戻って社会を変えるなんてことはできないけれど、ほんのちょっとでも、今からできることだって、出直しで、まだまだある。

そんな生き方をしてみたい。

途中から変なスイッチが入ってしまい話題が飛んだけれど、このブログ、日記なのでごめんなさい。

日本のバブル景気以降の指導者が、Ubuntu を支援しているCanonicalの創業者のような姿勢であれば、また、違った今があったのかな?とも思う。

でも、生きるのに「たら、れば」はない。

最後に、『Lubuntu』の公式サイトのフォーラムをさぐったら、『2024年8月15日にリリースされるバージョンで、いま使っているPCにもふってくる』ということが書いてあった。

今年のお盆に向けて、興味津々。

Webニュースなどへの関心が出てきた感じ。(笑)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする