2013(平成25)年元旦から記録し始めた10年日記の記入欄がこの大晦日でいっぱいになる。
書き始めた当時は、高齢となった母の認知症が進み介護問題に直面していた。
同時に、子育て、ご近所付き合い、家事などで長い間家を守ってくれたその仕事は、日々塵のように積もってきていた。
勤めていた会社では、もうこの仕事も十分やった感もあったように思うが、年相応の仕事もあり、そうそう休んでもいられない。
カミサンとはずっと共働きで家計の収入面では若い頃はずいぶん助かったが、このころにはカミサンも職場でそれなりの仕事を任されていたらしく、朝から晩まで仕事、休日も出かけることが多い。
すっかり『昭和のオヤジ化』し、仕事を辞める気など毛頭ない。
もともと家のことは苦手なのか、嫌いなのかほとんどしない人なので、辞めてもらっても、田舎の家事やお付き合いはできないだろうし、きっと不満分子化し、別の問題が発生したろうから、『昭和のオヤジ化』の道を突き進んでもらって良かったわけだけれど。
大げさだけれど、時間的にも気持ちの上でも、もういっぱいいっぱい、家庭崩壊寸前の中で、手にした10年日記だった。
十分に介護もしてあげられなかったけれど、2014年には母をおくり、早期退職制度に自主的に手を上げ、無所属となった。
母の遺品を整理しながら、できなくなっていた数年分の家事を整理し、ご近所付き合いも修復。これには、数年の時間がかかった。
荒れ放題になっていた宅内の雑木、荒れて草原と化した畑なども少しずつ手をいれた。
収入は1割ほどになってしまったので、支出を大胆に見直し。
自分のできることは自分でするDIYに目覚めた。
これが、結構楽しく、ずいぶんとできることが多くなった。
収入面では、家事をするのに時間的なしばりの少ないアルバイトを開始。
今もそんな生活で、いろいろな人との出会いは、案外楽しい。
家の仏壇(曹洞宗)のお世話をする番になり、修証義などを通じてお釈迦様の教えを学ぶ機会も増えた。
前半戦は、循環器、血圧、通風などが一気に悪くなった感じで、絶不調の時期もあったけれど、昨今は耐性ができ慣れてきたのか、悪いなりに固定化した感じでまずまず。
検査数値など見ると平均値と比べ良くはないが、体感は悪くない。だから、これでいいんだろうと思う。毎日のワンコイン晩酌が楽しい。
日記といっても、一日の終りに、今日を振り返って「これはできたな」と思うことを書き留めたり、その日の反省や周囲への思いを数行で書き留めるだけのメモである。
同じような繰り返しの日々の中でも、いろいろな事をし、新しく生まれ、なくっなっていくということがわかる一覧ができた。
子が他家へ嫁いでいったり、このあいだ生まれたと思っていた甥っ子が結婚し、赤ちゃんができたり。
お世話になった方が何人も生を終えた。
ほんと、方丈記。
あっという間の10年、されど大きな変化のあった10年だった。
もう少し生きているつもりなので、あたらしい日記を調達した。
今まで使ってきた『石原10年日記』はとても丈夫でよくできているけれど、ちょっとお値段が。(笑)
今回は、画像右側、日本ノート㈱の物にしてみた。
さて、新しい日記帳で綴る10年、この先どんな展開になるのか?
10年後、生きているかなぁ。(笑)