まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

ゴール!地球の丸く見える丘展望館 そして、銚電沿線ひとりウォーク

2023年08月29日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク

8月17日、先月見送った銚子電鉄沿線ウォークへ。

JR銚子駅まで、古い軽四を走らせ、駅の観光案内所で沿線のマップ(無料)を分けてもらった。

JR銚子駅構内にある、銚子電鉄の銚子駅からいっきに終点の外川駅へ。

ここから、外川の海辺を散策、『地球の丸く見える丘展望館 』で、コール感を満喫し、銚電沿線をJR銚子駅まで歩いた。

(外川駅に展示してある古い電車)

(犬岩)

(屏風ヶ浦)

(地球の丸く見える展望台より)

ひとりウォーク再開 2020年01月24日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク
で、JR東金線大網駅を起点に歩き始めた今回のひとりウォークは、途中、新型コロナの蔓延による中断をはさんで、三年八ヶ月かけようやく完成。

数年前の株主総会で「もう、廃線にしたほうがいいんじゃないか」そんな声があがり話題になっていた銚電さん、このところ2期連続で黒字決算となり、先月7月に創立100周年を迎えた。

8月には、南海電気鉄道の2200系車両を約8年ぶりの新車両(中古車)として導入するなど、ここに来て元気がいい。

駅舎も電車も、もうどうしようもないくらい古いけれど、運転や車掌をつとめる方は、若手が多く、みな活き活き、元気に、働いていたのが印象に残った。

駅の命名権も販売、売れるもの、使えるものはなんでも活用し、竹本社長自らも運転免許をとり、シフトに入って電車の運転をすることもあるらしい。

2017年日本テレビ系列『24時間テレビ』内の企画である「ヒロミの24時間リフォーム〜オンボロ駅を直そう!〜」で、改修された本銚子駅。
森の中をゆっくり走る電車。
海辺の風景。
などなど。

古い電車は、ガタンゴトンと、自然のテーマパークの中を走っているようだった。

歩いた日は、猛暑日。
途中体調が悪くなったら電車に乗ろうと、1日フリーパスが700円だったので、車中で買った。
買い物の割引などもついていて、結構いい感じ。

電車はだいたい1時間間隔で運行しているので、面白そうな駅で降りて周辺を散策。
それを繰り返しながら、1日遊べる700円である。

駅命名権で、それぞれの駅名におもしろい名前がつけられていたが、爆笑しながら、思わずキャップを脱ぎ、反応してしまったのが、これ。



「笠上黒生(かさがみくろはえ)駅」は、「髪毛黒生(かちがみくろはえ)駅」という愛称がつけられていた。
ヘアケア商品の製造・販売を行う株式会社メソケアプラスさんがスポンサーとのこと。

このご利益で、わが滅びゆく草原状態の頭に、また黒い髪の毛がふさふさ生えてくるといいなぁ。(笑)

犬吠駅には売店があって、100周年のマフラータオルを記念に買った。

1日フリーパスの特典で、少し割引をしてくれた。

「自転車より遅い 歩くよりは早い シニアモーターカー」

古くても、遅くても、そこに価値を見出そうとする銚電さんの姿勢を表した言葉のような。
こういうの好きだ。

だった6.4Kmの線路で、地域の人たち中心の利用に頼っていたら、それは無理でしょって誰でもわかる。

電車単体の赤字を問題にせず、やれることは何でもやって収益を出し、そこに集った働くたちの生活を守る。
そのことが、本業の電車の運転を続けられることになる。
話題になり、頑張れば、地域にもお金がおち、地域の理解、支援だってえられるようになる。

竹本社長を中心とした銚子電鉄の皆さんの今後のご活躍にエールを送り、今回のひとりウォーク、完成!としたい。

=====
歩いた日   2023/08/17 
駅間営業キロ  6.4Km
歩行数     24,796歩
歩行キロ   約17.4Km

 

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銚子をめざして 駅間ひとりウォーク(Spin-off)(成田山御本尊御上陸地)

2023年07月08日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク

JR飯岡駅から、一番海沿いの道を選んで、のんびり軽四を走らせた。

この軽四、時速50〜60Kmで信号の少ない田舎道をゆったり走っていると、24Km/Lも走ってくれる。
もう10年以上経過した古い車だけれど、地味に頑張ってくれていて、大いに気に入っている。

横芝光町のとある場所で『成田山御本尊御上陸地』の看板が目にとまり立ち寄ってみた。

大きな鳥居の先に、


「やや!」
大きな不動明王様がたっているではないか。

由緒書きによれば、天慶2年(西暦939年)、平将門の乱を鎮めるため、寛朝大僧正が祈祷のために不動明王様を奉持して、遥かな海路を渡り、この海岸に上陸した。

寛朝大僧正は公津ヶ原(成田市)に護摩壇を築き、21日の御護摩ご祈祷を修し、満願の日に乱が平定された。不動明王様は、現在の成田山新勝寺の御本尊になったというものらしい。

成田山の不動明王様も海を渡り九十九里浜から千葉の地に来られたのだと初めて知った。

わが家は、曹洞宗だけれど、真言宗の成田山の不動様にも時々お参り。
有り難いものは、宗派を超える。(笑)
先祖代々、お世話になっているのである。

のーまく さんまんだー  ばーざらだん せんだー

まーかろしゃーだー  そわたや うんたらたー かんまん

南無大師遍照金剛
南無釈迦牟尼仏

ゴールまであと少し。
無事故で楽しい時間を過ごせますように。
と、自分事ばかりお願いして帰ってきた。(笑)

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銚子をめざして 駅間ひとりウォーク(4)(JR飯岡駅〜JR銚子駅)

2023年07月04日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク

4月に到達したJR飯岡駅まで車で移動し、JR営業キロで14.2Km先の銚子駅まで歩いてきた。

「銚子はくにのとっぱずれ」なんていうけれど、
房総の山間部から、ここまで移動するのがすでに小さな旅だ。(笑)

早朝から出発し、運良く、狙い通り、駅前に4台しかないパーキングにはいれて、歩行時間が確保できた。

飯岡駅から倉橋駅間は、九十九里浜から屏風ヶ浦の高台にのぼっていく感じで、長い急坂で息を切らした。

このあたりのみなさん、大人も学生さんも、すれ違うと「おはようございます」とか「こんにちは」と、とても自然に挨拶をしてくれる。
実に、いい感じ。

倉橋駅から猿田駅間は、わが生息地同様、草茫々の道路を歩く。
車が来ると草の中に踏み入ってかわさないといけない。
歩くのはかなり怖い。

草刈りをすればよいのだろうけれど、どこも、諸般の事情で予算がつかないのかな?

途中、目に止まった猿田神社に参拝。
由緒のある、りっぱな神社である。
神社を取り巻く山林がこの地の歴史を感じさせてくれた。

猿田駅からは、銚子市内となる。

次の松岸駅までの間が営業キロ5.5Kmと今回の最長区間。

いつもは気の向くままに歩いているのだけれど、線路が主要道路から離れていたので、この間はGoogle先生に案内してもらった。

実際の歩行キロは、約6.6Kmと、線路に近い道を上手にひろって案内してくれ、とても助かった。

松岸駅からは市街。

途中の公園で、持参したおむすびでお昼。
こういう状況で、こういうところで食べるおむすびは美味しい。

銚子駅に到着し、カミさんのみやげにぬれせんべいを買い込む。

次回は、銚子電鉄のゲートから、ゴール、地球の丸く見える丘へ。

いよいよゴールが具体的になってきた。

======
歩いた日   2023/06/28
駅間営業キロ 14.2Km
歩行数     25,881歩
歩行キロ   約18.1Km

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いつ見ても違和感がある

2023年07月01日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク

6月下旬の、シルバーバイトが急遽キャンセルになった、とある日。

JR飯岡駅から銚子駅までの駅間ウォークにでかけた。

銚子に近づくにつれ、見えてきた『大きな風車』

いつ見ても違和感がある。

『大きな風車』の下では、キャベツなどの畑農家さんの日々の生活活動があり、その上で、無機質な感じの『大きな風車』がゆっくり回る。

この日は風があり、ゆるゆると大きな風車が回っていた。

車では何度か銚子を訪ねているのだけれど、回っているのを始めてみた。

「西暦☓☓☓☓年、人類は核戦争により滅亡し、残ったわずかな・・・」
SF映画にある地球の未来の画を連想してしまう。

画像の下側には、バックフォーが写っているが、農地として放棄された荒れ地に、今度は、ソーラーパネルの設置が進んでいた。

電力という天下の宝刀をかざして、個々の生活者から薄く広く集めたお金を、補助金としてバラマキ、野山に風車やパネル施設を作る。

必要なら、それもいい。

でも、山野の設備周辺の草木は暴れる。

その管理は、どうするのか。

作ったものはいずれは朽ちる。

その手当はできているのか。

電力不足という大義名分を掲げ、燃料代高騰を理由に電気代大幅値上げ。

その上で、原発再稼働が必須という動きもあるようだけれど、
一方で、電力は供給過多となっても大規模停電を起こすらしく、自然エネルギーの供給を一時止めたというニュースも先日流れていた。

字田舎の山野を削って、パネルだらけにしても、まだ原発がないと足りないんかい。

ほんとのところ、ニッポンの電気、どうなんだい。

疑心暗鬼である。

補助金があれば、民間業者が事業を展開するのは当たり前。

そう思うと、この国の電力を長い目で俯瞰的に考え、政策誘導しながら束ねる人がいないってことらしい。

ちなみに、

銚子の風車発電は、補助金を受けて2007年からコスモ石油が行っているようで、これでおよそ3500世帯分の電力を賄っているらしい。

https://cosmo.eco-power.co.jp/wind_power/choshi/

こういう大きな資本がバックにあれば、設備のメンテナンスの心配は少ないのかのしれないが、房総の山野に『キョン』並みに増殖しているパネルは、古くなったら、誰がメンテナンスするんだろう。

すでに、草茫々でパネルが埋もれているようなところも散見する。

また、電気代上乗せで、とるんかい?!

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銚子をめざして 駅間ひとりウォーク(Spin-off)(天保水滸伝をたどる歴史散歩)

2023年06月22日 |  銚子をめざして 駅間ひとりウォーク

ゆっくり、のんびりの駅間ウォークだけれど、この方面を歩くに当たって訪ねてみたい場所があった。

それが昭和の時代、講談や浪曲、映画などで楽しんだ『天保水滸伝』のもとになった史実の遺跡等である。

5月、ウォーキングにはでられなかったが、車を使って歴史散歩にでかけた。

近世終盤の下総で、荒廃した農魚村民に尽くした男たちの夢の跡に立ち、生きることの難しさを感じてきた。

コースは、お世話になっているJAFさんの、JAFナビ『天保水滸伝をたどる ぶらり旭の歴史散歩』を利用した。

なんども訪ねているが、今回も旭市長部の大原幽学記念館からスタート。

その後、東庄の天保水滸伝遺品館、諏訪神社で笹川繁蔵が開いた花会跡の記念碑、延命寺での笹川繁蔵、平手造酒、勢力富五郎の笹川一家三人衆のお墓に参拝。
徒歩でのぶらぶら散歩にはちょうどよい距離だった。

天保水滸伝遺品館では、隣接する観光協会の方が30分ほどローカルな詳しい説明をしてくれ、大いに楽しめた。

実際に使われていたものを地元の方々が守って保存展示してくれている遺品館で、地味ではあるけれど、とても迫力が感じられた。

車で少し走って、旭市飯岡へ移動。

光台寺で、飯岡助五郎のお墓、定慶寺で笹川繁蔵の首塚に参拝。

繁蔵親分の体は後に発見され、現代の首長たちが相談して、今は首と体が一緒にお墓に納められている(延命寺)と、遺品館の観光協会の方のお話の中にあった。

最後に、旭市防災資料館と座頭市物語の碑を見学。

旭市防災資料館周辺は、2011年の、3.11の大津波で千葉県では一番大きな被害が出た場所である。
復興は進んでいたけれど、大変な経験、思いをした地域である。

当時の写真資料を中心に展示してあった。

資料館の前庭に、座頭市物語の碑が立っていた。


座頭市は、助五郎親分のところに草鞋を脱いでいた実在の人物がモデルになっているとのこと。
座頭市も千葉県発祥なんだ、と初めて知った。

また、映画をみてみようかな、との気になっている。(笑)

大原幽学は、天保水滸伝と同じ時代、荒廃した農村の実情を憂いた地元の有力庄屋さんに招かれこの地で農村指導。記念館周辺は、この庄屋さんの裏山にあたるらしい。

周辺の農村で根気よく説き、大きな成果をあげるも、その成果や農村の活性化、農民の集団化の動きなどが、封建体制の中での反体制集団と見られ、体制側からの圧力でその取り組みが頓挫してしまった。自刃。

笹川繁蔵親分は、若手の伸び盛の親分さん。
お金を集めて、東庄周辺の農村の疲弊を救おうと、国定忠治親分など、諸国の大親分さん方を招いた諏訪神社での花会、今で言えば『政治資金パーティ』といったところかな、などを精力的に行ったが故に、反体制集団として抑え込まれてしまった。

38歳で飯岡方により殺害、とされている。

一方の飯岡助五郎親分は、物語の中ではヒールなのだけれど、実際は体制側の人間として、十手を預かっている人物。
今で言えば、国家権力をもって取締のできる警察署長のような親分さんだったわけである。

助五郎親分も、地元飯岡では、地域住民のために力を尽くした人物だったという。

大利根河原の決闘というのも、実は、捕物で、今で言う強制捜査だったのだそうだ。(遺品館の観光協会の方のお話)

助五郎親分は、67歳で天寿を全うされているようだけれど、職務を一生懸命果たしたがゆえに、悪者扱いされているとも言えそう。

まだ憲法などの体系化、普遍化した法もなく、行政組織なども整っていなかった時代、地域の有力な人物が、利権とともに、その地域をまとめていったのだろう。
そんな時代を一生懸命生きた三人の男たち。

それぞれの立場では、みな好漢なのに、人生の糸が絡み合うと、辛く、悲しいことも起こってしまう。

人って、多面的に見ないと、ほんとの姿が見えてこない。

親分さんたちのお墓参りをしながら、そんな思いをあらたにした。

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