いすみ鉄道の走る姿を風景の一部としてみることはよくあるのですが、じつは、60年近く生きてきて、利用したことは数度しかありません。普段の移動手段はもっぱら車です。
経営的には、ほんと厳しいらしい。なんせ、地元住民のあたしが、いくらも利用しないのですから。
でも、いつまでものどかに走っていてほしい。
いすみ鉄道や小湊鉄道が山間や田んぼ中を走る風景は、”あたしの原風景”なんです。
何もない田舎の”こんな沿線”に足を運んでくれる都会暮らしのみなさんも、きっと”自分の田舎の原風景”と重ねているんですかね。
房総横断ひとりウォークのスタートは、大多喜駅近くにある町営駐車場(1日500円)に車を置いて、大原駅まで、い鉄(いすみ鉄道)で移動。この間(営業キロ15.8Km)のウォーキングから始めました。
券売機で乗車券を買って構内に入ると、本多忠勝公が迎えてくれました。
雰囲気ある。いい感じ。
乗車すると30分ほどで、いすみ鉄道大原駅に到着です。
左の黄色いムーミン列車(いすみ350)に乗ってきました。
いすみ鉄道には、黄色いムーミン列車と画像右側のようなキハ系の車両が、ローカル色いっぱいに走っています。
駅を出て、い鉄のレールと並行している国道465号(大多喜街道)を歩きました。今回のウォーキングは、この国道が主です。国道といっても”一桁・二桁国道”をイメージしないでくださいね。国道もローカル線です。
外房エリアの中核都市、茂原と、今回歩いた国吉駅周辺を結ぶ、南総広域農道というのがあるんですが、農道より交通量は少ない(感じのする)国道です。
駅を出て少し歩くと、木戸泉さんという地酒屋さんの側をとおりました。飲む方ではお馴染みだったのですが、場所は初めて知りました。
その先にあった鉄橋も、風景に溶け込んで、味があります。
時速4kmならではの気づきです。
駅間営業キロ1.7Kmなので、じきに、西大原駅に到着。
駅とはいっても、駅舎はなくバスの停留所のような感じです。案内表示もないので、少し行き過ごしてしまいました。
西大原駅先から線路脇を歩いてみました。線路脇に農道があり、すぐ近くで走る列車を見られます。列車も、のんびりガタゴト。気持ものびのびです。
田植えの終わった田のくろで、シラサギ羽を休めていました。鶴ならば話題性もあるのでしょうが、シラサギじゃぁねぇ、って感じです。でも、時々羽を広げて水上を飛ぶ姿は、風景としては悪くありません。しばらく観察していました。
国道脇に小高く残った丘の上に、祠が見えたので覗いてみました。
文化年間(1804年~)に佐室村が建てた馬頭観音が残っていました。当時は、このあたりは峠道だったのかなぁ。この辺りが、近世の村堺だったのですね。
上総東駅です。
新田野駅手前にあった、『遭難者之碑』。
顕彰碑によると、昭和26年当時、この付近は山深い峠道で、東中学に通う女生徒が交通事故で亡くなった。これをきっかけに、周辺の道路整備が始まったというような内容でした。車が珍しい時代の死亡事故で、大きな動揺があったのでしょう。
新田野駅。ここの待合所で休憩。自転車の人も休んでいました。駅構内の出入りは、自由です。線路を見ながら、のんびり!
駅ノートが置いてあったので、見せてもらいました。
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営業できました。結果は検討。
(中略)
また来るね、いすみ鉄道。
ほんとうに、いいでんしゃだから。
海外へも、どこにでも広げたい。
本当のニッポンは、ここにある!
(書き人知らず)
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あたしには、見慣れた日常の山野・田園風景ですが、こんなふうに感じている方もいる。自分は幸せな環境の中に暮らしているのだと再認識しまいした。
大原と国吉の村堺の民家脇にひっそり残っていた馬頭観音。
こちらは、弘化年間(1844年~)に、地元の有力者でしょうか、治左ヱ門さんという方が建てたもののようです。大多喜街道を通じて、たくさんの人、物の移動があった名残ですね。
200年近く前からの人々が見た風景の一部を同視できたような、時速4Kmの徒歩ならではの時間が過ごせました。
(実際に歩いた日:2016年4月19日)
房総横断ひとりウォーク(いすみ鉄道1)後編につづく
本日は、趣味道楽の世界の長文をご覧いただき、ほんとうにありがとうございましたm(__)m