まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

韓国からプレゼント届く

2016年10月31日 | ラジオな日々

ようやく計画した畑の種まきが終わり、帰ってポストをのぞいたら、韓国KBS WORLD Radioから、SMALL PACKETがエアメールで届いていました。

これ、なんだろ???

恐る恐る開けてみたら、「2016年第3四半期のクイズ ご当選、おめでとうございます!」というメッセージともに、おちゃれなホルダーが送られてきました。

短波ラジオを聴いて、受信報告をする際に、KBSのHPを見て、たまたま目に留まったクイズをやった記憶があります。

懸賞には気ままにですがよく応募するし、金はなくても、買わなきゃ当たらない宝くじも季節ごとには買っていますが、この歳になるまで、ほとんど当たったことはなし(『文化放送イヤホン、当たりました』は、最近の快挙!)。

良くない、やりたくないことには、めっぽう高い確率で当たるという人生をつい最近まで歩んできました(笑)。

イヤフォンが届いたのは、今年の4月。
今回は、今年2回目の快挙!
いよいよ、まがりかどの先に、つぎつぎに楽しいことが起こるのかな!?

そんなわけないか!ないですね(笑)。

でも、うれしいや!

日韓の間には、文化や歴史認識(教育)の違いがあって、溝もあるけれど、KBS WORLD Radioを聴いていると、一番解りあえる可能性がある他民族(人たち)なのかな、と思います。

房総の片田舎に生まれ、そこしか知らないあたしには、”民族”なんてのは、よくわからないけれど。

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読書の秋に、文庫本『会津士魂』を読む

2016年10月30日 | 日記

電車などに乗ってみると、電子書籍らしきものを読んでいる方も見かけるようになりましたが、あたしゃ、紙の本がいいなぁ。

新刊本のにおい、手ざわり。

半世紀近く前の古本の色合い、誰かがつけた折り目や書き込み。

ブックカバーやしおりは身近にあるものを工夫して自分で作る。

老眼が進んでそうはやくは読めなくなってしまったけれど、暖かい陽だまりでぼんやりと、手持無沙汰におもむろに、いつも文庫本を持ち歩き、ゆっくりページをくる時間が好きです。

只見の旅で知った『会津士魂』を読み始めました。

幕末は、たくさんの小説の舞台になっていますが、『房総駅間ひとりウォーク』で歩いた時の情報などとも重なってきて、とても面白い。

会津は、400km近く離れた遠い場所ですが、幕末の内房エリアには沿岸防備のためにたくさんの人が来ていたり、飯野藩(保科正之(徳川宗家の庶子)を祖とする会津藩が本家)という繋がりがあったり、闇雲に歩いてきた駅間ひとりウォークでしたが、その素材が、『会津士魂』という小説の世界とつながり、ぐっと引き入れてくれています。

一冊108円也。数十時間楽しめる。

読み返せば、また違う気づきもある。

歳とってきて、目もあがり、根気よく集中して、ということはできなくなってきたけれども、本、特に、文庫本っていうのは、素晴らしい文明の利器だと思います。

 

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11月は、房総の紅葉を見に行こう

2016年10月28日 | 少し働く日々

アルバイト先の11月のシフトができたというので見てみたら、中旬まで連休いっぱい!\(^o^)

連休といっても、家事に軸足をおいている現在、”おやすみ”は、”おしごと”より忙しかったりします。

でも、自分の裁量で動ける時間が多いということは、けっこう無理なこともできます。
少し長い距離を歩いても、縛りがなければ、翌日は寝放題のおうち休養日で全然問題ない!
これ、自由人の特権ですよね。

全体をみれば、とてもアンバランスなシフトのようにも見えますが、あたし的には、OK!OK!でした。

房総の紅葉は、日本で最後の紅葉なのだという話を聞いたことがあります。

千葉県は、日本一の低地、日本列島の背骨あたりの標高の高いところの色彩とは比べ物になりませんが、大多喜町、市原市、君津市などの房総丘陵の紅葉も、じゅうぶん
秋の最終章を感じさせてくれるきれいさがあります。

お天気も落ち着いてくるころなので、養老渓谷や亀山湖周辺を思いっきり歩いてみよかな。

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『千の風』に共感

2016年10月27日 | 読経の日々

仏壇の埃とりをしていて、お彼岸にご住職がおいて行ってくれたと思われる『四十六億年の命(お墓参りと先祖供養)』という小冊子を見つけました。

少し前のあたしなら、迷わずゴミ箱直行でしたが、読んでみました。

あれ、いいこと書いてある!これ、解る!

自分でも驚きでした。

『千の風』(Do Not Stand at My Grave and Weep)という詩が紹介されていました。

死後は何もない。
骨、土という物質に戻るだけ。
もう一度人に生まれ変わるなんてまっぴらだし、そんなことはないというのが自分の現在(いま)の思いです。

最期が近づいてきたとき、その思いは変わるのかもしれませんが、葬儀も戒名もお墓も自分にとってはあまり必要性を感じません。
それでも、田舎の風習のお付き合いをどっぷりしていますが。
多少は、世間体も気にしながら生きているということでしょか。

あたしの理解が詩の本旨とずれているのかもしれませんが、これを読んだとき、ああ、ほんと、これでいいんだ、とみょうに落ち着く自分がありました。

死後に物質的なことはなにもいらない。もし、私を好意的に思ってくれていたのなら、私は、いつも風や雪の冷たさ・輝き、太陽の温もりや小鳥たちのさえずり、夜空の星の瞬きという日常から感じるあなたのそばに、心の中にいつもいるよ!ということだと思います。

現在(いま)生きているあたしは、先祖やお世話になった先輩などをそんな形で感じています。

人並に稼いでいたときは時間がないという理由で、今の下流生活ではお金がないという理由で、亡くなった方のお墓参りもなかなかできません。でも、自分の中に生きていている人はたくさんいます。

自分の人生もそんなフェードアウトでいいと思います。

 有名な詩のようなので、ご存じの方も多いと思いますが、冊子にのっていた詩を転用します。

==

私の墓前で泣くのはやめてください

私はそこにはいません

眠ってなんかいません

私は千の風になって大空を駆けています

私はダイヤモンドのきらめきとなって雪に舞っています

私は陽の光となって熟した穀物にふりそそいでいます

私は優しい秋の雨となっているのです

朝の静けさの中、あなたが目覚めるとき湧き上がる雲となって、小鳥たちを輪に描いて回せます

私は夜に輝く静かな星となって、あなたを見守っています

だからどうか私の墓前で泣くのをやめてください

私はそこにいません。

私は死んでいないのです

 

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手紙も悪くないなぁ

2016年10月26日 | ラジオな日々

ラジオのマイブームがまだ続いていて、9月にきいた海外短波放送や国内の遠い放送局からの受信確認カードがぽつぽつと郵送されてきています。

この1~2か月、受信確認カードの郵便物がきて、同封されているお便り(手紙)があると、なぜかやたら感動しています。特に、外国の短波日本語放局からのものは、手書きのメッセージがついているものもあって、温かいんですよね。

(先日届いた中国国際放送局の受信確認カード)

国内でも、NHK秋田放送局のラジオ第一で『きく・こまち』という地元番組をきいて報告したところ、技術部長さんから、「ごめんなさい。うちは受信証発行してないんですよ」という趣旨のお手紙とともに、ポストカードが5枚も送られてきました。

もちろん、担当の方が「部長、変なオヤジが受信報告書を送ってきたので、部長名でこれ出しときますね」ってとこなのでしょうが、とるにたらない遠方のいちリスナーにも配慮できるスタッフがいる職場の、部長さんの人柄が伝ってくるようです。

日本での日常の連絡は、電話やメール、ラインなどが主流。ラジオ番組でも、メール、ツイッターなどを使ったリアルタイムの交流が多くなってきていますが、思いを紙に書き記し、その紙を自分から受け取り側に送る。その紙を手に取って、書かれた背景なども慮って読む。
時間をかけて気持ちをおくる
手紙っていうのも、いいもんだなぁとあらためて思います。

 

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