あの3.11の『フクイチ』の原発事故からはや10年。
今、過ぎ去ったこの10年を思うとき、大震災というより、原発事故という印象がいっそう強くなった年である。
たくさんの資金を入れて、震災で被ったインフラ被害は戻ってきつつあるようだけれど、依然放射能汚染は続き、次世代への遺伝的な影響も含め、先の見えない不安ばかり。
廃炉に向けては、廃炉途中の放射能漏れ事故等を含め、まだまだ気の遠くなるような時間とお金がかかるという。
そんな中、このところ、温室効果ガス排出削減の目標というものが取り上げられ、この目標を達成するためには、原発を活用するしかないという声が聞こえだした。
原発のゴミを安全に管理、処分する方法が未だない中で、歴史上最大の原発事故『フクイチ』を発生させ、その後処理もできていない国。
原子爆弾で二度も被爆し、多くの人が亡くなり、後に後遺症でたくさんの方が苦しんでいる国。
人類史上、もっとも原子力に関連した事故の悲惨さを知っている国の指導者たちが、「原発を活用するしかない」と声を上げだしていることをとても複雑な思いで聞いた。
『フクイチ』の事故は、一定の収束をしたように見えるけれど、終息には程遠い。
人の幸福のためという名目を割り算した目標という数字をつくるために、先の見えないリスクの大きな方向に進み、後世に取り返しのつかないことをしてしまう。
これは後世に不幸もたらすことではないか。
先に進む事ばかりを考えず、我慢する(教育)、使わない(生活実践)、共有する(社会の組み換え)、そんな言葉のイメージで、全体を小さくしていくような見直しも必要ではないだろうか。
原発はやめたほうがいい、私的にはその思いを改めて強くした年だった。
早寝早起きの生活をするだけで、光熱費はかなり切り詰められる。
明日から始まる一年も、こんなごまめも歯ぎしり的な足掻きを続けながら、質素でも充実した自分の時間を送っていきたいと思っている。