まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

カミさんとデート

2014年10月31日 | 日記

カミさんが、午後休みを取るから、『ふしぎな岬の物語』(映画)を観に行かない?と誘ってくれた。

50歳以上は、一人1000円で観られるから、割引分でご飯でも食べてこようという。

30年以上お互いずっとフルタイムで働いてきた。

特に、この10年は忙しくなり、朝夕、休日もすれ違いが多く、この前二人ででかけたのはいつだったかなぁというくらい『ふしぎな夫婦のお出かけ』となった。

カミさんは、外で働くのが大好きで、社交的なタイプ。家事はどちらかといえば、帰宅後10分で食事完成というインスタントタイプだ。バリバリ仕切る。

自分は、じっくり家の片付けや雑草取りをしていた方が落ち着くし、食べ物もご飯と自作の梅干しでいいやというタイプ。

経済的理由や男は外で働くものといった世間体を気にしたこともあって今年まで会社員で働いてきたが、もし、若い頃に夫と妻の入れ替わりができたら、経済的には今より厳しくなっていたかもしれないが、子育てや母の介護などずいぶん違ったものになっていたろうなと思う。

昨日このブログに、“自分は、本当のところ一人ボッチになるのが一番怖い”という内容のことを書いたが、『ふしぎな岬の物語』は、正しくそれで、今この歳になって観たからかもしれないが、共感した部分が多かった。

親子、兄弟、家族、知人、地域・・・。

亡くなる人、新たに家族を作る人・・・。

人は、そんな関わりの中で生きていくのが、貧乏でも幸せな生き方なのだろう。

“円の切れ目が縁の切れ目”という言葉がある。

生活基盤のない貧乏からは、縁が逃げて行く。

貧乏といっても、“足りるを知る”一定の生活基盤を維持する努力をしていかなくては、人は幸せになれないのかもしれないと思った。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」(一人じゃないよ)

「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」(あなたのことを心から好きだよ)

ネタバレ、魔法の言葉。

 

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電話料金利用明細郵送の有料化に思う

2014年10月30日 | 日記

今月に入ってNTTから電話利用明細郵送を原則廃止、必要な場合は有料自己負担でお願いします、という案内が届いた。

NTTドコモのDCMXクレジットからも同様の案内があった。

数年前からWebでのビリングへの移行の動きはあったが、いよいよ本格的に動き出したようだ。

子供もシニア・シルバーと言われる世代も普通にパソコン、スマートフォン、携帯電話を使うようになった今、企業のコスト低減の視点からも利用者の利便性の点からも紙媒体の情報提供を廃止し、Web上での情報提供へ移行することは当然の流れだとは受け止めた。

NTTの施策とは無関係だが、会社組織を離れ自宅で過ごすようになってみると、たまにしかこない郵便配達でも人と触れ合う接点になっている場合もある。

仕事を離れると購入も控えるので、請求書もDMもめっきり少なくなる。

家に来る郵便物は、NTTと税金の督促くらいで、NTT関連の通知の廃止は、少し寂しくもある。(と言いつつも、Web上で十分なので@ビリングに切り替えたが)

電力関係者の知人から、電気の検針も今は遠隔でできるようになってきたという話を聞いたことがある。

便利になるのは良いが、人との接点がなくなるということは、高齢者等が孤立化する方向に向かうことのようにも思う。

会社組織を離れると、人との繋がりはどんどん遠ざかる。十分な蓄え、資金があって趣味の世界を広げられる人、地域との交流にどんどん参加できる人であれば孤立化とは縁遠いが、そういう人ばかりではないだろう。

たぶん自分は孤立化・孤独化方向に進みそうな気がする。

老人の孤立化・孤独化を救うのは、世代別居から家族同居、シェアハウス的な同居なのかもしれない。

が、である。

田舎では若い世代にも十分な仕事がない。都市部では、仕事のチャンスは多くても、世代を超えて住める安い土地・住居がない。相続税を払うのに、その住居等を売らなければ払えないなどという信じられない現実もあると聞く。

簡単にはいかないなぁ。

表面上はそうでなくても、人と関わるのが嫌い、一人でいても平気という人(自分もそのタイプ)でも、実際には親、兄弟、家族、友人等何人かの人に支えられている。

リアル社会からもWeb上でも繋がりがなくなり、本当に一人になってしまったら・・・。

自分は、本当のところこれが一番怖いと最近思うようになった。

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清掃技能講習会というのがあった

2014年10月29日 | バイト探し

昨日書いた“時給800円くらいで掃除や雑用の単純な仕事。職務経歴はあまり関係ないんじゃない”は少し言い過ぎでした@反省

どんな仕事にも外せないポイント、タイミングといったものはあって、その道のプロはいるもんです。

ハローワークで清掃技能講習会というのを発見。

この講習会への参加でも求職活動になりますよ、参加者が少ないので希望者があったら申し込んでみて下さい、とのコメントがあったので、申し込んでみることにした。

ビル管理の現場を見ておくのも先を考える時にきっと役立つし、参加費は無料で本音を言えば暇つぶしにもなる。

参加者の選考があるようで、そこに入るかも含め、どんな展開になるか楽しみになってきた。

正社員の求人は田舎なのでかなり厳しい(ほぼ無理な)印象を受けた。

給料は月20万円以上の求人も多く、金額だけ見れば魅力だが、職務経歴をしっかり積んで、即戦力を買ってもらわないと難しいようなものが多かった。

例えば、ビル管理でも施設管理の方でボイラーや電験資格を持っていて実務経験があれば正社員でも行けそうだが、経験なし今から試験に挑戦しますでは間違いなく無理。

ドライバーの仕事も多かったが、免許はあっても60歳近くなって早朝から晩まで4tトラックを走らすのは危険すぎる。

“しっかりした会社”は、しっかり年齢制限もしている。

自分には無理そうなものばかりだ。

運輸関係のスキル、資格は多少あるものの、かなり労働条件は過酷な業界で、せっかくその業界を辞めたのにまた戻ることもないしなぁ。

その気もないが。

これからの展開がどうなるかは別にして、「無理そうだなぁ」なんて呑気なことをブログに書いている自分は、ほんと贅沢で幸せだなと思う。

家庭を持ち、子育てしていかなければならない世代の人は、自分が過ごしてきた同じような時間より間違いなく厳しい雇用環境だし、住みにくい社会になってきている。

年金年齢まであと数年になった自分の老後より、今から働かなければならない世代の人たちの老後はもっと大変そうだ。

これから先、世の中どうなっちゃうんだろう。

気が付けばシニア・シルバー世代になってしまったが、わがままを言わず、若い人の迷惑にならないよう、質素に大人しく生きて行こう!かな。

 

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職務経歴書

2014年10月28日 | バイト探し

午後ハローワークをのぞきに行ったら、適当な求人があったので、お試しで紹介してもらうことにした。

何事も数を重ねてブラッシュアップしていかなくては、といえば前向きでかっこいいが、要は現場合わせ主義。やってる内に何とかなっぺよ、のいつものぐうたら行動。

パートの現場仕事だから、手始めに適当に履歴書を作って書類選考に送ればたぶんボツで終わるんだろうなぁと思っていたら、窓口のおねえさんが、「ここは、職務経歴書を添付することになっていますよ。書いたことあります?」って。

もちろん、書いたことねぇ!

ハローワークで雛形をもらったので、ポツポツ書き込んでみたが、ずいぶんいろいろなことをやって、役にたたないシカクもたくさんあるが、恐ろしく脈絡のない人生をすごしてきたなぁとあらためてショ~ック。

こんな経歴書を出したら、マイナスでしかないっしょ。

散々いろいろ失敗を繰り返して、これからは単純作業労働でいいからという人は、こういうのナシにできないのかなぁ。

時給800円くらいで掃除や雑用の単純な仕事。

職務経歴はあまり関係ないんじゃない@失業者でした。

 

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石段

2014年10月28日 | 旅行

 

約2年前に仕事明けで夜走って、旅した久能山東照宮(静岡県)の石段。徳川家康東照宮遺訓「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を 常と思えば 不足なし・・・」の言葉どおり、ダラダラと1159段の石段が続き、途中振り向くと駿河湾のパノラマに癒された。

 

今年9月末、退職承認を貰ってから、ゆっくり旅した日蓮宗身延山久遠寺(山梨県)の287段の石段。こちらは、安房天津小湊から全国へ立身出世した日蓮さんらしく、1段の高さが30cm以上もある急坂、心臓破りの石段だ。

上り詰める覚悟で歩き始めたが、途中、心臓がバクバクして取れそうに悲鳴を上げ始めたので、女人坂に回って参拝。かなり情けなさがあったが、歳相応、こんなもんだろうと自分を慰めた。ここ数年現場から離れたこともあり、足腰、心肺機能は本当に衰えてきた。

人は辛いとき、きついときは、案外、地の表情を出すものらしく、坂の途中で、見知らぬ参拝客同士あいさつしたり、励ましあったり、カメラのシャッターを押しあったり、思いがけず人の温かさに触れた。坊主頭の私に手を合わせてすれ違う人もいた。(よほど神々しかったか、はたまた息が上がって死相が漂っていたか(笑))

旅先でのふれあいは、日蓮上人のご利益かもしれないと感謝した。

 石段から、人の生き方を感じた旅だった。

 

 

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