昨日は、お彼岸の入りで、祝日。
シルバーバイトで、街の霊苑の駐車場出入り口の交通誘導をおこなってきた。
自身は宗教に対する強い信心はないし、おおかたのみなさんもそんなものだろうと思ってきた。
加えて、昨今はお葬式なども簡略化がすすみ、形式化してきたという話題が多く聞こえてくるようになった。
街に住むみなさんが、お彼岸のお墓参りにくるのだろうか?
そんな気持ちでのぞんだのだけれど、まさしく老若男女、いろいろな方がお参りに見えて驚いた。
物質的に死者の霊があるのかないのかは分からないけれど、なくなった方の思いという点では、今を生きている人の心のなかで生き続けているのは間違いない。
霊とは、先人の思いであり、自分自身であると最近は感じることもある。
お墓、お遺骨は、自分の中に生きるその思いと向きあう、自分自身とひととき向きあうためのきっかけとか窓口である。
宗派を問わず、お墓参りという行為を通じて、同じような価値観を共有する。
おなじような時間、価値観を持つことは、他を思いやるときのもとだと思う。
個々には強い信心はなくとも、お釈迦様の教え、仏教という傘の下で生きている日本人はまだまだたくさんいることを目の当たりにして、日本は今なお仏教国なのだなと感じることができた。
人間関係不得手の私に、実践はなかなか難しいけれど、まず他を思いやり、次に自分を意識するという行為は、人間関係を円満にし、ひいては自分もラクに生きられることになる。
実際の交通誘導の作業は、慣れないこともあり、いつものへっぽこ誘導員でみなさんにご迷惑をかけたことは言うまでもないけれど、飲料を頂いたり、ご苦労さまとあたたかいねぎらいの言葉をかけていただき、良い時間を過ごすことができた。