まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

朝茶はその日の難逃れ

2015年10月26日 | 日記

朝、お茶を飲む習慣はなかったのですが、最近は、時間がたくさんあるので、一日の行動を起こす前に、NHKの朝ドラなどを眺めながら、お茶を飲んで一日をイメージすることが多くなりました。

ああ、じじクサ!と思いながらも、あたしの父母も含め、親の世代は、零細な農家が多く、親戚、近所が農作業を助け合っていました。
いつものように、朝の作業初めには寄り集まって、まずお茶を飲んでいた姿が被ってきました。

”朝茶はその日の難逃れ”といってな、お茶飲んで、みんなで話し合うのが大事なんだ。そんなことを言っていたように思います。

お茶は体にいいから、毎日飲んだ方が良い、程度に聞いていた言葉ですが、最近、朝に、自分がお茶を飲む時間を持つようになってみると、どうもこれはお茶の話ではなく、段取り、打ち合わせの重要性を言っていたのなぁ、と気づきました。

農作業や規格化されていない土方作業では、きちんと役割分担と到達点を決めておかないと、ケガをしたり、命を失ってしまうこともある。
朝から寄り集まって、茶を飲んで雑談しているようでも、実は、そうした役割を確認した上で、一日の作業に入ることが、働く人にとって、もっとも大切な命を守ること=難から逃れることになる。
そういうことを言っていたのだろうと分かりました。

会社でも、作業前にミーティングを行ってきましたし、今のアルバイト先でもそうしていますが、事務的な、観念的なことが多くて、ほとんどの人はあまり聞いていない。(と思う)

危険を伴う現場作業では、特に、朝、お茶でも飲んで、参会者個々が具体的な役割を認識する雰囲気を作っていくことが、難逃れに繋がる。

現職中に、ミーティングを主催していたころは、朝から、売り上げ上げろ、時間外を減らせ、現場の人にはどうでもいい会社の動きや幹部の人事などばかり話題にしていたように思います。
役に立たない情報ばかりだから、ミーティング時間が長いとブーイング。

今のバイト先では、聞く側ですが、内容は似たようなものです。
ほとんどが作業には必要ない情報なので、聞いていない。メモはとっているようで、いたずら書き。

お茶の時間(日本茶に限らず、コーヒーでも、紅茶でも、夏なら麦茶でもいいのですが)は、案外大事にしなければならない文化なのかもしれませんね。

 

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仕事の仲間は有難い

2015年10月25日 | 早期退職

今月の初めに、街のホームセンターで、今も再雇用で働いている先輩とばったり会い、懐かしく、立ち話。

「〇〇さんが、あんたが退職したのなら、是非昔の仲間で一席設けたいといっているんだけど、もう、辞めて1年経ってしまったね。ほんとうに、申し訳ない。この間も催促されたんだけど、今月中にはなんとか設定するから参加してほしい」
そんな話がありました。

みなさんがお元気なら、そんな気を使わないで下さい、と言って別れたのですが、金曜日に数名の先輩が集まってくれ、楽しい時間を過ごしました。

あたしが採用の時の職場の先輩たちで、もう、70代になる人もぼちぼち出ているグループです。仕事を教えてくれた、原点の職場でした。

会えば、若い頃にすぐに戻ってしまい、年取ってからの同窓会(同窓会は面倒なので、出たことはないですが)って、こんな感じなのかな、というノリで騒いでしまいました。

早期退職をして、一人になったとき、俺、友達っていないや。会社へ戻って働くつもりはないし、これからは、ほんとうに一人だ、と改めて確認しました。
60年近くも生きてきて、何をやっていたんだろう、と思い知った時期でもありました。

1年と少し経った今、分かったことは、友達はいませんが、たくさんの時間を共有した、職場の仲間たちは結構いて、さらっとした関係ですが、気を配ってくれる人がいたり、こちらも手助けできることはしたり、人の関係は、案外ある自分に気付きました。

30年近く前の上司や先輩が、いまだに心にかけてくれていたり、後輩たちが、1年以上経った今も時々連絡をくれたり、あたしからは、何もしてあげられないのだけれど、ほんとうに有難いです。

仕事、会社組織というルールの中では、人づきあいが苦手なあたしも、それなりに生きてきたということなのかもしれません。

今は、ルールはない。
人づきあいが苦手、嫌いという理由で、引き籠りのような生活もしようと思えばできる。

でも、人づきあいが苦手、嫌いだからこそ、引き籠りような方向へ進んでいってはいかんなぁと感じました。

もう一つ、あたしの場合は、早期退職後に、以前の会社に執着して仕事を求めずに良かった。
今は、前職とはまったく関係ない、趣味の延長のようなアルバイトで時間をおくっていますが、おかげでたくさんの気づきがありました。

先輩たちは、みなさん、元気でいられれば何とかなる、と言っていました。
年金が主の生活だとは思うのですが、ほとんどの人が、牛乳の集金だけやってる、シルバーで適当に働いている、そんな声が聞こえました。
会社を辞めた時は、もう、精一杯働いたので楽をしたい、そんな表情でしたが、今は、生活のためではなく、働くことが楽しみのようです。

いろいろ、感じた先輩たちとの懇親会でした。

人づきあいは苦手、面倒。この気持ちは変わりません。

でも、短気を起こさず、じっくりあるがままを受け止めて、許容範囲のものは取り込んでいく程度の人づきあい、関わり方の努力はしていこうと思っています。

 


 

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腐っても、イワシ?

2015年10月22日 | 少し働く日々

バイト先の休憩時間に、若い社員から、なぜ早期退職をし、まったく畑違いの仕事をしているのか、(また働くなら、辞めなきゃよかったのでは、という疑問だったようです)という話になりました。

話せば長いことだし、面倒だったので、まあ、やるだけやったという感じで、疲れちゃったから辞めて、今までとはぜんぜん関係ない仕事をやってるってとこかな、と適当にかわしました。

そんじゃ、腐っても鯛ってとこですね。

あたし的には、・・・。
鯛じゃねぇし、まだ、ぜんぜん腐ってねぇし。

昨年の同じ日に雇用開始になった、役所の管理職を早期退職した方とシフトが重なっており、同席。

俺は、腐ってもイワシだなって、ニコニコしながら言ってました。
作業が始まってしまったので、話はたち切れですが、『腐ってもイワシ』、彼らしい言葉だと思いました。

イワシは九十九里の特産です。見栄えは、一匹では、鯛と比べようもありません。
たくさんの仲間と群れて回遊しています。

みりん干し、めざしなどにして、食べても美味しいですが、たくさんとれた近世の頃は、ほしかとして、肥料に使われていたといいます。

彼はきっと、目立つことがなくても、群れのリーダーになって、みんなのためになる。
死んだ後も、肥料になって、次の世代のためになる。
そんな思いがあったのかな、と感心した言葉でした。

あたしは?と考えると、腐ったら、骨が残るだけです。

祖父母、父母、地域の人、数少ない友、知人、職場の関係、たくさんの人をおくってきましたが、みな、骨が残るだけでした。

あたしが不信心だからかもしれませんが、天国で幸せに暮らしている、地獄で苦しんでいる、そんな話もぜんぜん聞きません。

腐った後のことを考えるより、今日を、今を、精一杯生きる。
一日一生。

イワシにもなれなかったし、まして鯛にはなれない。
人付き合いの苦手な、還暦まじかの、中老一人。

ものすごい迷惑をまき散らしたこともあったのだろうけど、開墾した畑の小菊のように、多少は、人のためになったこともあるに違いない。

そんな、あたしのこれからは、今と向き合って、精一杯生きるしかないいんだなぁと感じた、休憩時間の教訓でした。

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いくつになっても、褒められるのは嬉しい

2015年10月21日 | 家事・雑草との日々

開墾した畑に残っていた、シソ、オクラ、ナスを整理し、前に掘り起こしたサツマイモの畝といっしょに、カルチベータで耕しました。

いつものトウガンのばあちゃんは、今日も元気いっぱい。

隣の畑(趣味、生き甲斐)のじいちゃんは、いつもあたしとおんなじで一人でNHKラジオ(あたしゃ、ベイエフエム)を流しながら作業しているのですが、今日は、奥さん+近所の奥さん軍団、息子さんが参戦。
”マイワールド”を取られちゃって、ちょっと寂しそう。
隅っこで、鍬を振っていました。

トウガンのばあちゃん(うちの隣)の隣の家のおやじさん(歳が近いので、あたしに興味があるらしい)も、今日はやることがないようで、必死の形相で(ラジオ聞いてますが)雑草と闘うあたしのところへ来て、ほんとに1年で、畑みたいになったね、って、お褒めのお言葉。

いやいやいや。ここ、もともとも畑だし。
(たぶん、1年前は、どうせ、長くは続かないだろうと思っていたのでしょう)

開墾した畑の周りは、今日は賑やかでした。

母が元気で畑に出ていた頃は、毎日がこんなんだったんだろうな、と秋の空を仰ぎました。

耕うんした後作には、ソラマメ、エンドウ、コマツナ、春菊、ホウレンソウを播種する予定です。

ソラマメは、この春自家採種した種での初挑戦。
エンドウ、ホウレンソウは、100均種。
コマツナ、春菊は、カネコ種苗で、昨年から使っている種の残り。
よく発芽してくれていますが、この秋で使い切りたい。

この1年、ほんとうに、野菜の時間、花・木の時間に助けられ、その作業の中で、生き物を観察し、長い間に身についてしまった、自分をよく見せたい、他人より優位に立ちたいという『鎧』を脱ぎ捨てることができました。

同時に、栽培した野菜の自家採種や、定番ですがアサガオやヒマワリの種を残し、来シーズンを楽しみにしています。

花・木では、県立高校の公開講座で、接ぎ木、挿し木を教えてもらい、興味津々。

接ぎ木はレベルが高いので、挿し木を中心に、庭にある雑木などで大いに楽しみました。

ほとんどが失敗でしたが、室内にあった、大きくなりすぎたドラセナ系の観葉植物の挿し木に成功。

むくげ、シャコバ、アイビー、紫陽花、デュラタ、バンマツリなど、鉢で葉を広げているものもあります。

そんな中の一つで、春先にバッサリ切って、株分けした小菊があります。

この株は、3年前に、カミさんが職場の関係で、売れ残りだって、と言って、3鉢買ってきたもの。

地植えした株も大きくなってきたので、この春、バッサリ切って、株分け。
その剪定屑で、開墾した畑の淵植えに挿し木をしました。

これが今咲きはじめ、みんなが、奇麗だと褒めてくれる!

お世辞でも、声をかけてくれるのは、嬉しいですね。

サラリーマン時代は、”普通にできて当たり前”。
365日、”怒られ侍”。
他人に褒められるなんてことは久しくありませんでした。

サラリーマン時代には、”当たり前のことを、当たり前にできる。それだけですごいことなんだ。サービス業は、高品質より、当たり前品質の維持が大事なんだ!”と後輩たちに言って来ましたが、黄色い小菊にそれを証明してもらったような一日でした。

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自然界は、生きるのにみんな必死

2015年10月20日 | 家事・雑草との日々

土曜日のこと、軽くお昼を済まし、サツマイモ掘りにでかけようと、外を見ると、窓から見える柿の木にものすごい数の鳥がとまって、柿をつついています。
甘柿で、いいころ合いなので、美味しいのを知っているんですね。

この柿、子1号が好きで、日曜に取りに来ると言っていたので、急いて収穫しました。

やれやれと思って、開拓した畑に芋掘りに出かけると、トウガンをくれた隣のばあちゃんが、やぁやぁやぁ、と寄ってくる。

「この間あんたが掘って干してあった落花生が、カラスにだいぶ食われちまったよ。いっとき、すごい数のカラスがきてた。今は、食うもんがねぇから、カラスも必死だね」と笑っています。

落花生は今年初めて自分で育て、収穫の要領も分からなかったので、本に書いてあったように掘り出した株をひっくり返て、天日干ししてありました。
確かに、よくできた実はだいぶ減っています。
芋掘りの前に、落花生を取り外して収穫。自宅で網に入れて干すことにしました。(汗・汗 ですね)

毎日畑に出ている観察眼は、ばあちゃんもカラスもすごいや。

サツマイモを掘っていて気づいたのだが、モグラと思われる穴が、見事に畝を貫いていて、適度に出来のいい芋をかじっている跡がある。
モグラも、なかなかやる。必死に生きている。

このサツマイモの畝は、彼らが見つけて、作った秘密の食糧貯蔵庫だったのかも。
掘っちゃって、ごめんな。

白菜、キャベツ、ブロッコリーなどには、虫がつき、成長している若葉を美味しそうに食べ、穴だらけ。
う~~ん。みんな、なかなかやるなぁ。

まあ、ちょっとくらいなら、食べられてもいいか。

生業でやっている仕事では、こんなのんきなことを言っていられませんが、食べ物のすくない冬に向かい、みんな必死なのでしょう。

こんな必死な姿を見て、のんびり感心している自分は、ほんと、のんきな時間をす過ごしていますね。

今日は、室内を掃除をしたら、鳥が食べ残してある、開墾した畑の渋柿をとってきて、吊るし柿を作ってみたいと思っています。
サツマイモは、干しイモのリクエストがあるので、これもやってみようかな。
初めてなので、失敗の連続ですが、楽しい時間です。

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