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ハイチ支援続ける日本人医師

2020-03-09 07:00:03 | 報道/ニュース

2月17日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


ハイチはカリブ海の島国でドミニカ共和国と国境を接し
四国の約1,5倍にあたる面積に約1,100万人が暮らしている。
そのハイチで10年前に起きた大地震では
30万を超える人々が犠牲となったほか150万人が自宅を失った。
NGOの代表としてハイチを支援してきた医師の小澤幸子さん(45)。
(小澤さん)
「気がつけば25年ハイチを支援している。」
小澤さんが初めてハイチを訪ねたのは軍事政権が倒れた直後の1994年。
緊急援助を行う学生ボランティア団体の活動に参加した。
帰国後すぐ小澤さんは仲間とともにNGOを起ち上げ
ハイチの風景が描かれた絵ハガキを販売。
その収益で雇用や教育を支援する活動を始めた。
(小澤さん)
「ハリケーンが去った直後だったのか
 街中水浸しで汚らしいけど
 街が暗く見えなかった。
 いくつかの壁にはハイチ絵画が描かれていて
 それが印象的。
 ハイチの人の中にはこういった絵や風景が息づいているのかと思って
 それを伝えたいと思った。」
さらに支援の現場で医療不足を目の当たりにした小沢さんは
文学部を卒業後 医学部を受験。
医師を志す。
そしてもうひとつ
小澤さんが身につけたのが現地の人々が使うクレオール語である。
ハイチでは毎年多くの子どもたちが感染症で命を落とすことを知り
手洗いの大切さを伝えようと
クレオール語で絵本を制作。
ハイチの学校に届けた。
(小澤さん)
「これを読むとけっこうウケる。
 子どもたちが非常に喜んで
 これを読み終わった後は水道場で手を洗ってみたりとか。
 喜んで手にしてくれています。」
2009年に山梨県の病院で医師として働き始めた小澤さん。
その直後
2010年1月 ハイチ大地震が発生。
日本赤十字社の緊急援助チームに参加することになる。
(小澤さん)
「上司が日赤に連絡を取って
 クレオール語が話せて土地勘があって医療者でもある者がいるが
 協力できないかと問い合わせてくれて。
 非常事態だからということで仲間に加えていただくことができた。」
幾度となく支援で訪れ慣れ親しんだ街の大惨事を前に
ただ体のふるえが止まらなかったという。
(小澤さん)
「簡単に人の命が失われていく現場にいる。
 ハイチの人はただでさえ生活が厳しいのに
 なんで神様はさらに追い打ちをかけるようなことをなさるんだろうと。」
その後も結核などの感染症の治療にあたる一方
2016年のハリケーン「マシュー」など相次ぐ自然災害
さらには長引く政情不安などで
人々の生活をどうすれば豊かにできるのか
模索を続けた。
(小澤さん)
「やっていくなかで
 ハイチのニーズの多くは
 “飢えないこと”“自分で稼ぐこと”が
 非常に大事なことなんだという事が見えてきました。
 首都に人口が集中してスラムが拡大して
 環境が劣悪なのはわかっていたから
 地方で食べていけなくなった人が首都流入で貧困が再生産するくらいなら
 地方が豊かになって
 そこでやっていける人を作る方がいい。」
そこで小沢さんが考えたのが
かつて盛んだった農業の復活である。
(小澤さん)
「“医療じゃなきゃ”と思って医療者になったけども
 現実ハイチで必要とされているのは
 そして私が関われるのは
 入口としては医療的なニーズではなくて
 農村の人たちとともにあること。」
医療活動のかたわら
地元のNGOと協力して農村地域の支援に力を入れる。
国際機関の支援が届きづらい地方の水路を改修。
約1万人分の生活用水や農業用水を整備した。
(小澤さん)
「水は非常に貴重なんです。
 水があれば木も生えるし
 人も潤う。
 水は本当に命だと思うので
 灌漑用水の事業に携われるというのは光栄に思いました。」
現在は植林事業も手掛ける小沢さん。
森林伐採やハリケーンなどで山肌があらわになり
土砂崩れの危険性が高い山に
栄養価の高い実がなる木 モリンガを植えた。
災害を防ぐだけでなく
地元の人たちの新たな収入源を作ろうという試みである。
(小澤さん)
「住民たちから“ああいうことをやりたい”という
 植林活動に関して声が出てくるようになってきている。
 大きな変化につながる良い兆しではないかと思います。」
“たくさんの手があれば仕事はつらくない”。
大好きなクレオール語のことわざを胸に
これからも
その先も
小澤さんの支援は続く。

 

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