ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

「最後の海軍大将」の強烈な生きざま

2005年06月08日 | 価値観

 ぼくは、「最後の海軍大将」「ギターを弾く提督」として知られている故・井上成美氏をとても尊敬している。
 実際の氏にお会いしたことはないし、もうお会いできることもない。氏は1975年12月15日に86歳で亡くなっている。


 氏は、旧日本海軍の中で最後に大将に昇進した人物である。終戦間際の1945年5月のことだ。
 しかし終戦後は、日本が戦争へ突き進んでしまったのを止められなかったこと、そしてそのために多くの部下・民間人を犠牲にしてしまったことを恥じ、その責任を取って辺鄙な田舎町に隠棲したままひっそりと人生を終えた。


 何かにつけて考えてしまうのだが、人間というのはなんと弱いものなのだろう。自分のことを振り返ってみると、自己嫌悪に陥るばかりだ。
 ぼくは欠点の多い人間だし、性格的にもモロいところがあって、自分を見失いやすいタイプだと思う。そういう時には信頼できる人に話を聞いてもらったり、励ましてもらったりしながら、なんとか自分を取り戻そうとしている。


 しかし自分を取り戻しても、その自分の根本が間違っていたら?
 あるいは自分が狭いところにはまりこんでしまっていて、そのぬるま湯のような心地良さを当然のように感じてしまっていたら?
 そんな時というのは、心ある人がいくら心配してくれていても、その気持ちはこちらには通じなくなってしまっているだろう。


 井上氏は信念の人だ。
 自分の生きざまを貫き通した。
 そしてその生きざまはひとりよがりなものではなく、氏の持つ見識に裏打ちされたものであると思う。


 もうずいぶん昔、豊田泰光氏の執筆するスポーツコラムで井上氏の存在を知り、興味を覚えて氏に関する本を何冊か読んでみたのだが、ぼくはその強烈な人間像にたちまち惹かれてしまった。


 徹底的な合理主義の持ち主でありながら、発想の柔軟性を非常に大事にしたこと。
 太平洋戦争真っ最中に、周囲の圧力にも全く屈せず「敵性語」だった英語を、海軍兵学校(!)で教え続けさせたこと。
 世論も含めて反米英・ドイツ礼賛の空気が日本を覆っていたさなかに、命を狙われる危険をものともせず「対米開戦」と「日独伊三国同盟」に対して徹底的に反対し続けた見識と勇気の持ち主。
 終戦後、旧軍人達の公務復活を全く相手にせず、最後まで公の場に出ることを潔しとしなかった高潔な人柄。
 子供達の持つ将来性に大きな希望を持ち続け、ほとんど無報酬で近所の子供達に英語を教え続けた先見性。しかも、勉強第一主義ではなく、マナー全般や音楽など、人格の形成に役立つことを重視していたという。


 非常に厳しい人だったため、取り巻きなどおらず、寂しい晩年だったそうだが、氏を慕う人は一様になみなみならぬ尊敬・敬慕の念を抱いていたそうだ。
 
 
 
 
 
 ぼくは少しでも氏の生きざまに近づきたいと思っている。
 今日はガラにもなく堅い話でした。絵文字も無しですよ(笑)。



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